鈴木清順の映画をめぐる

ツィゴイネルワイゼン」と「陽炎座」をめぐる


ツィゴイネルワイゼンを巡る

 日本映画といったら、黒澤明、小津安二郎、鈴木清順ではないか(ちょっと偏りすぎか…)。
 そして、鈴木清順といえば何といっても「ツィゴイネルワイゼン」だろう。「ツィゴイネルワイゼン」がシネマプラセットという仮設映画館で上映されたのもはや20年ほども前のことになってしまった。この映画は衝撃的だった。当時、まだ無名無所属ではあるが新進気鋭の社会学者だった橋爪大三郎さんが「ツィゴイネルワイゼンを解く」「ツィゴイネルワイゼン:知の擬態」などというこれまた衝撃的な論考を発表したほどだ。
 「ツィゴイネルワイゼン」は大正期の鎌倉湘南を舞台として、原田芳雄と藤田敏八の扮する中砂と青地という親友二人のドイツ語学者をめぐる怪奇談なのだ。ある晩、二人は、サラサーテ自身が弾く「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを聞きながら、その中にどこか遠くから幽霊が語りかけてくるような奇妙な声が収録されている、何といっているのか、それを聞き取れないか、と聞き耳を立てる。そこから物語が始まり、やがて、どちらか先に死んだほうが、その骨をくれ、ということになる。生きている時の肉ではなくて死んだあとの骨の中にこそ、その人間の真実が詰まっているから、というわけだ。この両者に大谷直子と大楠道代の扮する妻や芸者がからんで怪奇な展開に深まっていく…というわけだが詳しくは見ていただきたい。最近はDVDにもなっているし、福岡在住の方々ならば、福岡市総合図書館で9月に上映会がある。これはやはり暗くした大きな映画館でぜひ見たいところだ。
 さて、ツィゴイネルワイゼンはそのほとんどの舞台を鎌倉にとっている。今回、仕事があったついでに真夏の鎌倉をめぐってきた。なかでもツィゴイネルワイゼンや陽炎座のロケ地を中心に少し巡ってきたので、それをご紹介したい。


(1) ミルクホール(鎌倉・小町通りウラ)
中砂が先に死んで、その解剖をした医学者に青地が中砂の骨にうっすらとしたあかね色がまじっていたかどうかを尋ねるシーンが撮影されたところ。小さな路地裏にあって大正期を感じさせるレトロなカフェとなっている。


     



(2)
妙本寺
中心メンバーによる夜の豆まきが撮影された寺。花火があがって不思議なにぎわいが感じられるシーン。ここは、次回にふれる鈴木清順の「陽炎座」の始まりのシーンが撮影された琴弾橋の近く。真夏の猛暑の中を、レンタサイクルでぜいぜい言いながら上まであがった。寺のいちばん奥まったところに、比企一族を葬る墓とともにこの本堂はある。



    



(3)
釈迦堂の切り通し
このシーンは、「ツィゴイネルワイゼン」でも屈指の印象に残るシーンだ。高砂が死んだあと、彼のドイツ語の原書が昔貸し出されて青地のところにある、といってドイツ語が読めるはずもないおいねさん(大谷直子)が薄暮のころに訪ねてくる。この釈迦堂の切り通しを通って向こうから訪ねてくるのだが、その向こう側とこちら側は、まさに幽冥を異にしているのだ。切り通しの向こう側が死者の世界なのか、それともこちら側こそそれなのか。あなたは向こう側こそ瞑府だと思っているかもしれないけれど、そうではありませんことよ、というぞっとするメッセージが、この切り通しのシーンで発せられる。
現在、この釈迦堂の切り通しは通行止めになっている。崖を切り抜いた道なので崩落の危険があるとのことで、観光地図にも「通行止」と出ている。実際には行くと、かなり急坂だが、徒歩では通行できる。まさに、この切り通しをとおりぬける時、幽冥の境を越えるようなぞくっとした感触がある。



       



(注 )今回の「ツィゴイネルワイゼン」めぐりにあたって、資料としては『映画芸術』1980-4.6 No.333を参照した。この号の冒頭は「鈴木清順新作ロケ40日間の迫力追跡」として「ツィゴイネルワイゼン」のロケ隊に密着取材して、どこでどういうシーンを撮ったかを詳細に紹介している。だからこそ20年後のロケ地巡りも可能になったわけだ。この『映画芸術』というとんがった雑誌ももはやない。かつては小川徹という突出した編集者がこういう雑誌をつくっていたものだったのだ。

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