新宗教研究の系譜 10選

はじめに

  新宗教(new religion)の定義をめぐって主として問題になるのは、その発生の時期をいつ以降にするかという点です。いくつかの見解がありますが、ここでは、幕末から明治期以降に発生した、既成宗教から相対的に区別される諸教団の総称としておきます(島薗進 1992『現代救済宗教論』青弓社)。このように考えるならば、幕末に発生した天理教や金光教、明治時代に誕生した大本教、戦前に活動を開始した生長の家や、戦後に誕生した世界真光文明教団などの多様な教団がその中に含まれることになります。
 この定義から窺い知ることが出来るように、新宗教は日本の幕末、明治初頭以降の歴史と共にその活動を続けて来ました。そのため、近代以降の歴史的状況において日本の宗教がどのように展開したかという点の理解が、新宗教研究を通じて深化し得るはずです。それに加えて、宗教を通して時代を読むという課題に取り組むことも可能です。少なくともこれらの二つの点に、新宗教を研究対象とする意義を見出すことが出来ます。
 同時代の宗教現象としての新宗教に、研究者は向き合い続けて来ました。宗教研究の中でも、新宗教研究においては時代の潮流との関連が特に密接なものとなるはずです。そこで、ほぼ年代順に文献を挙げつつ、時代と共に歩んで来た新宗教研究の系譜を描き出すことをここでは目指します。その上で、今後の新宗教研究の向かうべき方向についての検討を付け加えることにします。
 なお、以下の文献案内は、戦後になされた日本国内の研究を対象としています。戦前の教派神道研究や精神医学における諸研究に関しては、『新宗教研究調査ハンドブック』(井上順孝・孝本貢・塩谷政憲・島薗進・津島路人・西山茂・吉原和男・渡辺雅子共著、1981年雄山閣刊)に詳細な解説があります。

 

初期の新宗教研究

 昭和20年代、多くの新宗教教団が――政界への進出を含めた――活発な活動を展開し、研究者やマス・メディアからの関心を広く集めました。初期の新宗教研究は、そのような状況への強い同時代論的な関心の下になされる傾向にありました。今となってはこれらの研究と問題意識を共有することは難しいかも知れません。しかし、後続する諸研究がこの批判的検討の上に成立していることもまた確かです。

 

1. 乾孝・小口偉一・佐木秋夫・松島栄一 1955『教祖――庶民の神々』青木書店。

 昭和20年代、数々の新宗教教団が注目を集めました。本書は、そのような状況において諸教団の実態を捉えようとした、ルポルタージュとしての色彩の濃い著作です。天理教、大本教、生長の家、霊友会等の教団を対象に、教祖やそれに準ずる人々の伝記が主な内容です。巻末には「神々のお花畑」と題した著者らによる座談も掲載されており、本文と併読することによって、この時期における新宗教の状況と研究者達の問題の所在を窺い知ることが出来ます。

 

民衆思想史と新宗教研究

 初期の新宗教研究の問題点の一つは、教祖の思想や信者達の語る内容を誤謬とみなすことにほとんど躊躇しなかったことでしょう。その後に現われた諸研究の多くが、それぞれの立場からこのような傾向に対して批判的な視線を向けました。その中で生じた一つの議論の流れが、民衆思想の歴史の中に新宗教教団の教祖の思想を位置づけようとするものです。ここでは、幕末から明治期に発生した天理教、金光教、大本教といった諸教団が主な研究対象とされました。近代における民衆思想の系譜の中に新宗教を位置づける安丸良夫の著作と、宗教史の立場からなされたものの、やや近い観点を持つように見える村上重良の著作を一点ずつ挙げます。初期の新宗教研究が往々にして新宗教を近代化の阻害要因とみなしたのに対して、これらの論者は――その限界を指摘しつつも――諸教団の教祖の思想の中に近代化を促進する要素を見出そうとしました。

 

2. 村上重良1958『近代民衆宗教史の研究』法蔵館。(増訂版、1963年)

3. 安丸良夫1974『日本の近代化と民衆思想』青木書店。

 

 なお、新宗教を視野に含めた近代日本思想史の解説としては、鹿野政直の『近代日本思想案内』(1999年岩波書店刊、岩波文庫別冊14)が便利です。

 

さまざまな視点からの新宗教研究

 多くの著者が、独自の視点から新宗教をめぐる議論を展開しました。次にあげる三冊は、議論が実証的であることを重視した上でより一般性の高い問題について論じているものです。いずれも、新宗教教団の事例に基づく議論が、民俗学や宗教社会学、宗教学といった諸領域においてより広く共有され得る問題へと結び付けられている著作です。

 

4. 宮田登 1970『生き神信仰――人を神に祀る習俗』塙書房。

人を神に祀るという習俗の背後にその存在が措定されるような民俗的な思惟構造との関連において、天皇制と教派神道の教祖達を対比させつつ両者の在り方を捉えようとする論考です。民俗学を背景に国家神道や更には王権をめぐる問題へと迫ろうとする壮大な構想の下に議論が展開されていますが、個々の事例に密着する態度を著者が崩すこともない。新宗教研究の今後のあるべき展開について考える際には、本書の議論が個々の新宗教教団を事例に含みつつ、宗教研究の中でより広い範囲に通じる論点へと迫り得ているという点に注目するべきであるように思われます。 

 

5. 井門富士夫 1972『世俗社会の宗教』日本基督教団出版局。

 プロテスタントや浄土真宗における東西両本願寺派と共に、天理教や立正佼成会といった国内の新宗教が扱われています。様々な新宗教教団の組織形態についての議論が豊富です。本書においては、各種の統計資料を基にした議論が、世俗的状況において宗教がいかに存続するかというより一般性の高い問題へと接続されています。世俗化理論が衰退したとされる今日でも、著者が示したこの問題意識を棚上げしてしまうべきではないでしょう。

 

6. 森岡清美1989『新宗教運動の展開過程――教団ライフサイクル論の視点から』創文社。

 D.O.モバーグによるライフサイクル論等を糸口に教団のライフサイクル論という問題を提示した上で、著者は特定の新宗教教団の歴史を綿密に辿ります。そうした豊富な資料の検討を基にした教団ライフサイクル論の発展に向けての議論と、教団の組織形態についての議論がその後に続きます。宮田登や井門富二夫は多種多様な事例を基に議論を展開しましたが、本書でなされているのは特定の教団を対象としたモノグラフに基づくより一般性の高い理論を作り出そうとする作業です。

 

「宗教社会学研究会」の時代

 1970年代以降、新々宗教という用語が研究者とジャーナリストによって共に使用されました。この時期には、それまでとは異なる型の新宗教教団が数多く生じたのではないかという見解が複数の論者によって提示されています。昭和20年代のみならず、1970年代にも諸教団の活動への社会の注目と新宗教研究の活性化という事態が並行して生じていたように見えます。1970年代から1980年代の間に、清水雅人や室生忠によるものなど、新々宗教という用語を用いたジャーナリストによる著作も数多く刊行されています。そのような状況の中、その当時の若手研究者を中心として「宗教社会学研究会」が1975年に結成され、1990年まで活動を続けました。多くの新宗教研究がこの会の活動の中から生まれています。同会に所属する研究者による成果は非常に豊富です。ここでは挙げていませんが、草創期の成員である島薗進、井上順孝などの論者による単独の著書も数多く刊行されています。

 

7. 宗教社会学研究会(編) 1992『いま宗教をどうとらえるか』晦鳴社。

 1970年代から1980年代にかけて、宗教社会学研究会は四冊の論集を発表しています。これらの論集には、新宗教研究の中で繰り返し引用される重要な論文が複数収録されています。しかし、研究史を辿るという目的に則して、ここでは同会の解散に際してその活動を総括したシンポジウムの記録に基づく論集を挙げました。

 

8. 井上順孝・孝下貢・対馬路人・中牧弘充・西山茂(編) 1990『新宗教事典』弘文堂。

 この『新宗教事典』は、「宗教社会学研究会」の草創期の成員を編者としています。諸教団やその教祖、教団刊行物の紹介等に加えて研究動向の詳細な紹介が掲載されており、新宗教研究の入門書としても必読の文献です。新宗教の研究史において、本書の刊行は非常に大きな出来事でした。本書の刊行された1990年に、「宗教社会学研究会」は解散しました。新宗教研究の系譜を辿る際には、ここで一つの区切りがあったと見てよいでしょう。

  ところで、1980年に関西在住の研究者らを中心に結成された「宗教社会学の会」の活動の中からも、重要な新宗教研究が提示されました。同会の編集した論集として『新世紀の宗教――「聖なるもの」の現代的諸相』(宗教社会学の会(編)、2002年、創元社刊)等があります。

 

近年の新宗教研究――「宗教社会学研究会」以降

 近年では、教団というよりも、個人的な実践がゆるやかに結びついたネットワークのような活動形態も目立つようになりました。新宗教という枠組に入りきらないような宗教現象が展開しているとしてよいでしょう。「新霊性運動」や「スピリチュアリティ」といった用語を用いて、教団という枠では捉え切れないような今日の宗教現象を捉えようとする試みが近年の新宗教研究の中には見られます。ここでもまた、時代と共に変化し続ける宗教現象に新宗教研究が並走しています。

 

9. 島薗進 2001『ポストモダンの新宗教――現代日本の精神状況の底流』東京堂出版。

 1970年代以降に新宗教が変質を遂げたのではないかという指摘は数多くありました。その後1990年代に、新宗教はまた別の――不幸な――経緯でマス・メディアからの注目を浴びました。本書には、このような状況の中で新宗教を捉えようとする一連の論考が収録されています。

 

10. 伊藤雅之・樫尾直樹・弓山達也(編) 2004『スピリチュアリティの社会学――現代世界の宗教性の探求』世界思想社。

 新宗教よりもスピリチュアリティという用語を用いて現代日本の宗教を捉えようとした論集です。宗教社会学研究会の解散以降の、新宗教研究の一つの展開を示すものでもあります。

 

おわりに

 どの研究も時代の影響下にあるはずですが、同時代の宗教を扱うことの多い新宗教研究は、特に時代の流れとの密接な関連において展開する傾向にあるように見えます。これからも同時代の宗教を見つめる作業は必要です。しかし、新宗教研究の範囲を超える宗教研究に広く共有され得る問題の提示と、さらには単に宗教現象の理解に留まらない宗教を通じた時代の特性の把握という課題は、未だ十分に達成されていないようです。この問題の克服のための努力に加えて、それが容易に達成されないままであるとするならばそれが何故であるのかという点について考えることもまた、必要となるでしょう。その際に、この文献案内に掲げた宮田登、井門富二夫、森岡清美らの著作から、重要な手掛かりが得られるように思われます。これらは、新宗教それ自体の理解というよりも、新宗教研究の枠内に留まらない問題意識を掲げた上で議論を展開したものです。いわば新宗教研究の外側から持ち込んだ問題を新宗教教団の事例に即して検討することによって、新たな方向が開かれるのではないでしょうか。

 

付記――研究史の理解のために

 この文献案内では、新宗教の研究史をごく簡単に辿ることしか出来ませんでした。新宗教の研究史を辿る上で役に立つ文献を挙げておきます。

 

西山茂 2005「日本の新宗教研究と宗教社会学の百年――実証研究の成果と課題を中心に」『宗教研究』78(4):195-225。

山中弘・林淳 1995「日本における宗教社会学の展開」『愛知学院大学文学部紀要』25:301-316。

 日本における宗教研究の歴史を辿った総説を二つ挙げました。前者においては新宗教研究への言及が特に充実しており、後者は日本の宗教学と宗教社会学の中の新宗教研究の位置について知る際に非常に示唆に富むように思います。

 

Clarke, P. B. (eds.), 1999. A Bibliography of Japanese New Religious Movements With Annotations. Japan Library.

 この文献案内では日本人による研究のみを紹介しましたが、英語圏の著者による研究も数多くなされています。ここではそれらを紹介することが出来ませんでしたが、英語圏の論文を大量に紹介した比較的新しい書誌を最後に挙げておきました。

(岡本圭史)

 

 

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