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教員・飯嶋秀治 Shuji, IIJIMA http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima Fri, 20 Aug 2021 20:37:40 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.0.3 メディアとのつきあい方 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=1823 Fri, 20 Aug 2021 20:37:40 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=1823 続きを読む ]]> 研究人生のなかでマスメディアと交差することが何度かあったのですが、「近くて遠い/遠くて近い」という2つの感想が入れ替わることがありました。

1.最初に交差したのはある商業誌Aで、原稿を提出した後になって「原稿料はありません」と言われたのですが、普段から論文などでは掲載に原稿料をもらう訳ではないので、そこにこだわりはなかったのですが、事後的に言われるのはよくないなぁ、と思い、編集側に提言したことがありました。

2.次に交差したのは商業誌Bで、これは調査先でのある話題を広めたいために、私から企画書を書いて掲載していただいたのにもかかわらず、当時としては驚くほどの原稿料をいただき、読者に支持されている商業誌の力を仰ぎ見たこともありました。

3.そのあとは、フィールドで調査をしていたところ、現地のドキュメンタリー作家の方Aさんにドキュメンタリーを撮らせてほしいと言われたのですが、顔ばれすると現地調査に影響をきたすな、と思い、オファーを断ったことがありました。

4.ところが博論を終えつつあるステージではもうこの理由が書くなったので、現地地方紙Aや別の現地ドキュメンタリー作家Bのインタビューにも応えています。なので、まぁお互い様なのですが、仕事のライフステージ上での出遭いというのもあるよなぁ、と思います。

5.日本に戻ってきてからは、児童福祉の暴力問題に取り組んだこともあり、これはまた別問題が発生し、いい勉強になりました。もともとは臨床心理学の田嶌誠一先生の声掛けで始まった仕事でしたが、臨床心理学では基本的にケースは守秘義務で、日時も場所も、名前も特定されないようにして、資料はすべて回収します。ですが、人類学の場合は基本的に社会問題に取り組む作法でやってきていないため、その辺りのことは意識しないと、臨床心理学で守秘していることが学際連携している社会科学側から漏れるということになりかねません。私の場合は修士の時から臨床心理学のケースカンファレンスに出席していたので、その辺りの意識はあったのですが、逆にメディア側から、臨床心理学からはインタビューが取れないというので全国放送Aが私の研究室に連絡を取ってきたことがありました。これは当然、上述の懸念があったためお断りしましたが、そうした作法に慣れていない研究者だと乗ってしまいかねないな、と思いました。

6.時系列的には前後しますが、全国放送Bから現地の聖地のことでコメントをもらえないか、と打診をされたこともありました。ただ、向こう側は事情が分からないので、気軽、という意識もなく頼んでくるのですが、こちらはフィールドが少しでもずれると調べ直さないといけないので、今仕事が立て込んでいるので、近々に、ということだと難しいのですが、と申し上げたところ、予想通りに近々の話だったので、これもお断りしたことがありました。これは割と社会科学系の研究者だと持っている体験ではないかと思うのですが、マスメディアからある事件のコメントを急に求められることがありますが、こちらは当該の事件についてマスメディア以上の資料を持ってないこともあり、そうした場面で既知の知識でお応えすると、実態とずれた説明をしてしまいかねないリスクがあります。なので、読者や視聴者としては、マスメディアに登壇する研究者はこうした交渉の結果、選ばれて登壇していることを知っておくのが良いと思います。

7.またフィールドによっては、公の場で発表したら、もうその場にマスメディアが常駐していて、何でも書かれかねないという場もあります。こういう時には、事前に記事のチェックなどをさせてくれるかどうかはその記者さんとの関係次第なので、研究者としては最初から情報を守秘的にして発表しなければならないこともあります。最近はある程度落ち着いてきましたが、大学が研究成果を積極的にメディアリリースすることが推奨された時期があり、人類学や民俗学などでも公共性を意識する領域ではそうした方向を推奨する姿勢もあるのですが、私自身はたとえ現地の人がOKを出した場合でも、それをこうした公の場に出すかどうかは研究者として考えなければならないし、フィールドからSNSなどに直で書くようなことばかりをする人物とは距離を置くだろうと思います(一度学生がブログでそうしたことをしたことがあったので、背景や理由を説明して、止めてもらったことがあります)。フィールドと研究者とメディアとの関係はその一つ一つで判断すべきことが色々あるので、この関連様態は複数もっていることが関係を豊かにすると考えています。

8.ちょっと珍しかったのは、地方紙の新聞記者、地方テレビ局、研究者で一緒に10日ほどの旅を共有したこともありました。この時はそれぞれの職種と人物のちがいで、こんな風に取材の仕方が違うのか、とも思いましたし、その場でそのことを質問できたので、大変勉強になりました。私がまず驚いたのは、地方テレビ局のディレクターとカメラマンで、たった10分もないくらいの放送のために、10日もカメラを回すことにも驚きましたが、最初から構成が決まっていて、まず扉であれを撮って、次にこの場面とこういう場面を使って、そのあとにディスカッション風景を入れて、と、最初の数日で最後までのストーリーが出来上がっているのに驚愕しました。それを一緒に見ていた地方紙の記者に話したところ、「そうですよ。だってテレビは『絵』がないと話にならないから、『あそこであれを撮っておけばよかった』っていうのは通用しないですからね。だって、どこどこで火災がありました、なんてニュースは新聞記事にしたら数行ですけど、そんなニュースがテレビだと見てられるのは『絵』があるからですからね」と言われ、なるほど、と思いました。継いで「でもそれで言ったら新聞はもっとストーリー先行ですよ」と言われ、その自覚の持ち方に、優秀な記者だなぁ、と舌を巻きました(実際はいろいろな人やパターンがあるとは思います)。

9.さて、そんなこんなで、ドキュメンタリー作家、地方紙、全国紙、雑誌、全国放送といくつかの交差があったため、ある程度は体験してきたな、と思っていたところで、先日、オンライン講習やラジオ放送の記録のオファーがあり、自分の専門にもかかわることだったのでお引き受けしたのですが、独特の難しさがあるなぁと実感しました。全国放送などでライブでコメントを求められるのはこういうことなんだな、と思いましたが、「何分内」とか時間の枠組み(いわゆる尺)を頭に入れて発言するのって、慣れてないと難しいなぁ、と。一つは、オンライン講座での収録で、1時間収録で後で見たら舌足らずで誤解を招きかねないところがあったものの、撮り直しなしのため、注を入れるしかない場合がありました。放送大学などではその場で複数の人間で何度も確認し、危うい個所があればその場で撮り直しますが、財源などが限られたところではそうもいかず、ある程度説明を飛ばしたところはこちらで応答責任を引き受けないといけないなぁ、と実感。またラジオ放送の方でも、1つの話題の尺が決まっていたので、それを意識しながら話していると、Aという著作の紹介からその書籍が置かれている文脈がある研究動向へと敷衍して紹介したのですが、後から考えたら、一緒に話してしまったので、敷衍した説明の部分はAの紹介の範囲を大きく超えているため、これも誤解を招きかねなかったなぁ、とは思いましたがこちらも再集録なし。こうした資源が限られたところでの録画・録音は、その独自の臨界を意識していないと難しいなぁ、と思った次第でした。

10.またそうした体験を経ることで、マスメディア側の独特の難しさも体験することになりました。なので、お断りすることもあるのですが、全く違う職種の人というより、異なりながらも似ている人、という視線でつきあっております。

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人間環境学への想い http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=458 Thu, 06 Dec 2012 01:24:11 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=458 続きを読む ]]> 1.昨年末に参加したIUAESからはしばらく時が経ってしまったので、話題を変えようと思います。話題は最近、募っている想いでもある、人間環境学についてです。

2.この話をする前に、迂遠な話ですが、これまでの大学の話から始めたいと思います(私が念頭に置いているのは、戦後日本の大学で、しかも私が直接知っているのは、バブル経済崩壊後の大学です)。これまで、大学というのは、研究者にとっては永遠の所属先という感覚はあまりなかったと思います。大学といっても、総合大学では、全体が巨大で、一生会わない教員の方が多いかもしれません。なので、そうした大学がひとまとまりになっているのは、一人の教員から見ると、ある種の幻想のようなもので、研究者というのはその人が専門に研究する主題を的確に相互評価してもらえると期待できる学会こそが半永久的な所属先でしたし、現在もそういう感覚が大半なのだろうと思います。

3.研究者は、それゆえ、学会での評価を気にします。具体的には、学会が開催される全国大会での口頭発表、学会が発効する専門誌、学会を運営する編集委員会や理事会などにどれだけ寄与したかが評価されます。そうして、そこでの実績を上げれば上げるほど、研究者の自由度は増します。具体的には、自分が所属したい大学が選べるようになるのです。なので、研究者にとって、大学というのは永続的な所属機関というよりも、一時的な乗り物のようなものであり、別の大学から招かれたり、別の大学に応募したりして、大学を変えて行くのが研究者の社会階梯なのでした。現在でもこうした研究者が大半だろうと想像します。社会科学で言えば、法学、政治学、経済学、経営学、社会学、人類学、地理学、民俗学、心理学など、それぞれが学会をもっており、そこでの階梯をあがることで、大学を変えていったのでした。

4.ところが、1970年代から、世界的に環境問題があちらこちらで話題になり始めます。戦前からあった問題ではあったのですが、主には工場から排出される様々な物質、時には生産品それ自体が、環境汚染・人体汚染をし始め、ついに環境や身体がそれに耐えられなくなって、その在り方が地球規模で問題になるのが、この頃からで、象徴的だったのが、ローマクラブの刊行した『成長の限界』と、レイチェル・カーソンの刊行した『沈黙の春』だったと思います(言うまでもありませんが60年代はその他に、世界的には色々ありますが割愛します)。

5.それで、世界的にこの頃に、それまでの学問へのかなり執拗な批判が出てきます。それが科学哲学の流行であり、(私は科学というより工学ではないかと思うのですが)近代科学の相対化・批判化のなかで、「デカルト流の心身二元論」「還元主義批判」が出てきます。つまり、世界を心ある世界と心ない世界に分け、後者をある原理・原則・法則に還元して分析的に理解するやり方で進めてきた結果、地球環境という全体が死角になってしまっていたのではないか、という反省でした。そこで、これまで中心的価値を担っていた科学から哲学へのシフトがありましたし、政治学や経済学といった学問への懐疑のまなざしが学生から生まれてきて、人類学や民俗学が、より包括的なものの見方を呈示する学問として隆盛をきわめた訳でした。

6.70年代に学生だった彼らが、ある者は研究者になり、ある者は官僚になり、ある者は企業人になり、当時の問題意識を通過した人間が、社会の中堅になってゆくのが90年代前後からです。そこで、環境社会学や臨床社会学、環境民俗学や環境心理学などがそれぞれの学会から提案されるようになり、要するに人間に焦点を絞っていたそうした社会科学が環境や身体という主題を再度取り込もうとしてきて、また方法的にはそれぞれの学問の中で中心的だった計量可能なものから記述的なものへのシフトが生じてくるのですが、さて、当初の問題だった地球環境や人体環境の危機に届くような学問に鍛え上げられてきたのだろうか、というのが私の素朴な疑問です。

7. 私自身は1999年に九州大学人間環境学研究科(当時は研究学府は存在していなかった)に進学し、それから10年以上が過ぎました。九州大学人間環境学研究科出身の教員が、九州大学人間環境学研究院に雇用されることも生じ始めています(臨床心理学の増田先生、実験心理学の光藤先生、人間共生論の私など)。しかしどうもまだ届かない。初志を共有できているのかどうかも不確かだなぁ、と思ってこの数年過ごしてきました。そうしている間に、2年前の大震災と津波、放射能汚染が露見し、また、今も続き、もちろん私たちは九州に居るので、ここからの距離感というものはあるにせよ、学問が本当にこのままで良いのだろうか、と思い続けてきた2年でした(いや、正確には、個人的に世界的におかしくなってきたな、と感じ始めたのは2001年の9月11日からでした。ただそれはどちらかと言えば政治のメディア・イベントであり、70年代の地球環境危機の方が私には根本的なように思われます)。

8.こうして、私は今でも時には私一人ではないかと感じながら、人間環境学というものに憧れを抱いています。今や教員になったので、自分がやって見せる番になっている訳で、そうした視点から振り返ると、これまでの学会の方が私には乗り物になりつつあります(人間環境学という学会もあり、去年見学に行ってきましたが、日本の人間環境学会は、心理学的手法を用いる学会かな、という印象でした)。かといって大学が永続的な所属先と感じているかと言えば、いやぁ、それはそれは。ただ、九州・沖縄地区で人間環境学をやるというのは 色々な意味(九州・沖縄地区内での歴史を振り返っても、九州・沖縄地区がアジア大陸や太平洋に開かれているという意味でも)で、「良い場所にいるな」と思うので、今年もその初志を忘れずに、人間共生論で今の自分が世界に生きて行く上で重要と思われる主題を探求していきたいと思います。


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言葉 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=183 Tue, 24 Jan 2012 16:04:44 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=183 続きを読む ]]>

1.「言葉」この一つの話だけで、いくつもの側面があって、論じるのが本当に難しい。また以前、竹内敏晴さんに教わった、声や身振りの次元は味わうに愉しい。言葉は人間にとって、汲めど尽くせぬ源泉のようなもの。少なくともその一つ。

2.昨年末、ドイツで理科系の学生たちと食事をしていたら、ある学生さんが注文した飲み物のボトルを前に「僕、こういうのを見ると、成分は何なんだろうって考えちゃうんですよねぇ」と言うと、周囲にいた理系の学生たちが「そうそう」「わかるぅ」と共感して聞いていた。

3.それを見て、「ははぁ」と思った。私たちにはそういう発想は弱い(ないわけではないのは以前も書いた)。けれども、同じ飲み物を見たら、僕やその学生なら、「この飲み物はどこからどういう人伝いに来たか」と考えるんじゃないかと思った。

4.同じ世界を前にしても、どこに焦点をあてて、何に着目するのかは多様だ。同じボトルを前にしても、その「中身」の成分に注目するようにトレーニングされた人々もいれば、その「物」の経緯に注目するようにトレーニングされた人々もいる。

5.社会心理学やメディア研究で、「マスメディアの効果」について論じる際、有名な議論に「(メディアの)話題設定機能」というものがある。メディアで放映されたものを見聞きしたからといって、すぐにそれを模倣すると思われていた(強い効果論)、かといって、例えば政治的信念のある人に対して、その信念を変えるほどの効果は及ぼさないという実験結果も出ていた(強い効果論の否定)。これらの後に出てきた、ちょっとフーコーの言説=権力論と共闘できそうな議論が「話題の設定機能」というものだ。おそらく、理系にせよ、文系にせよ、学校というメディアで学生が学ぶ言葉と、その「話題設定機能」というのがこういう形で現れるのであろう。そして、一度「成分」に注目が行くと、その中の分析に話題が方向づけられ、逆に一度「経緯」に注目が行くと、その経路や人手に話題が方向づけられがちで、それは決定されるわけではないけれども、その他の発想の展開を大きく規定する、という話である。

6.なので、もう10年ほど前から、大学の授業で、かなり一般的な入門的な授業であっても、僕はマスメディアの投資構造というものをいつも新入生たちに話すようにしてきた。テレビ局は株式会社なので、それに投資する人たちがいてはじめて成り立つ。そして、多くの場合それは、新聞社(やラジオ会社)なのである。なので、テレビ局が、自社系列の新聞社の批判を積極的には報道できないことは当然のこと、という話をする。「だって、君たち学生だって、僕が成績を出す以上、積極的に批判はしにくいでしょ」という話もする。

7.こういう話をすれば、勘の良い学生なら、「じゃぁ、その新聞社の株主はだれなんだ?」と思うだろう。これはこの10年くらい、いったん株式公開が義務付けられた後、修正されて、なかなか大手新聞社の出資者が簡単には分からないように、生命保険会社とかになっているけれど、地方の新聞社などではかなりあからさまにみられるところもある。例えば西日本新聞社の場合、大株主のトップ3は電通、九州電力、新日本製鉄がそれぞれ3%台を保有している。これらの投資者は、西日本新聞が運営されれば自社の商品も売れる仕組みなのだから当然であろう。その仕組み自体を問題視はしていない。そういう社会に生きているのだから、そこから便益を享受している市民が1人1人知っていることが望ましい。

8.が、こういう仕組みがあるから、視聴者は、テレビ報道の内容を、この構造を考慮して聞いた方が良いし、読者は、新聞報道の内容を、この構造を考慮して読んだ方が良いのである。これは大学生の社会科学入門にふさわしい内容だと思うので、僕は新入生に教えているのである。

9.ドイツのTazに出かけた際、「日本はなぜ唯一の被爆国なのに、原子力発電に強く反対しなかったのか?」と記者に聞かれた。ある理系の先生が「日本では核の<軍事利用>と<平和利用>は別と考え、無限のエネルギーの可能性を秘めていると思われていたし今も一部の科学者はそう思っている」と応答したので、文系の人間として「それは一時読売新聞が大々的にアメリカと組んでプロパガンダしたからで…」と補った。このことは『原発導入のシナリオ―冷戦下の対日原子力戦略―』というタイトルでNHKで1994年に放映された番組で描かれており、隠すべきことは何もないと思われたからである。また、ハインリヒ・ベル財団で「どうして日本では福島の後でなお、再生エネルギーが進まないのだと思いますか?」と訊かれ、同様に応えたうえで、「新聞社の大株主に電力会社があるからといって、必ずしも直接的に発電会社がメディアに力をかけるわけではありません。私が知っている例でも例えば東芝EMIが反原発ソングのアルバムを差し止めたことなどは中間企業の自粛です。しかし、こうした自粛とときにあからさまになる外圧とを支えるのは、このような投資の構造があるからです」とお話しした。

10.実際、テレビでも新聞でも罹災地の「惨状」を報道する内容は多く、それがゆえに、特に当初は多くの「支援」ボランティアが詰めかけ、今も、頑張っている。他方で、ドイツから不思議に思われて何度も質問を受けたように東京電力や政府、アメリカに批判が向かわないのは、そのような問題を指摘して積極的に書く報道、記者、メディアが少ないからであろう(全てとは思っていない。年末のNHKや朝日新聞はこの点、よくやっていると思う)。メディアを通じて「話題設定機能」は充分に機能している。特にそれは、今回のように、何か普段から考えたことがない人には最も効果的に浸透する。そういう作業をしているのだということを、報道の人たちには分かってほしいと思う(*)。かといって、そうした批判の先に「よい原発電力会社」ができることには疑問なので、私は私で、NPOもやいバンク福岡、九州大学大学院人間環境学研究院FD「安心・安全検討委員会」やIMSのナチュ村でドイツのエネルギー革命と教育についてお話し、より安全な基準でエネルギー供給をする仕組みを提示したいと思う。問題は原発か否かではなく、同じものであればより安全な基準にしてゆくということに生の質を増す仕方があるからである。

*そういえば、ドイツでの旅程中、こんなことがあった。テレビ用の取材に来ていたディレクターとカメラマンが、取材2日目ではやくも「政治的な絵をとって、文化的なものをいれて、それで先生からインタビューをもらうのが良いんじゃないですか?」と。私は10日のうち、2日目にしてこうした決められてゆくテレビ報道の「構文」にいささか驚いた。そのことを同行の新聞記者の方にお話ししたところ「そうですよ、彼らが欲しいのは『絵』ですからね」とお話ししてくれた。「ただ」と付け加えられたところでは「ある意味、新聞はもっと枠組みが決まってますよ」とも話をしてくれさらに驚いた。確かに、2人で相談していたので、テレビ取材の「構文」が明らかになった訳だが、1人で考えている新聞取材の「構文」は顕現しないだけなのかもしれない。そのときに話し合ったのは、テレビと新聞の世界というのは、研究者にとって、パワーポイントと論文の世界に似ている気がするということ。パワーポイントだと、ある程度論理に齟齬があっても「見れてしまう」が、論文だとそうはいかない。けれどもパワーポイントだと見てわかる側面が強くなるので、多くの人に投げかけられる。研究者の論文にもこうした「構文」はもちろんある。たまに指導で「論文としてはもうひとひねり欲しい」などと言われるのがそれで、ある種の期待と、その裏切りがないと研究者は満足できないのである。私自身はちょっと斜に構えて、そういう現象を見ているが、それ自体が研究者の構えの構文なのかも。

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ドイツの印象 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=162 Mon, 12 Dec 2011 02:06:02 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=162 続きを読む ]]>

1.この10日、ふとしたことがきっかけでゲーテ・インスティチュートから招待をもらい、罹災後の日本への贈り物として「エネルギーシフトとしての文化転換」というプログラムに参加する機会をいただきました。内容についてはこれから、17日NPOもやいバンク福岡での報告をしたり、20日ゲーテ・インスティチュートにも報告書を提出しますし、3月の年度末出版予定の報告書(『フィールド人間環境学ことはじめ』)で書こうと思うので、ここでは彼らが私たちに呈示しようとしたところ以外で、私が感心したことを書こうと思います。たった10日なので、印象にしかすぎませんが、それでもヨーロッパは初めてだったので、大変興味深かったです。

2.今回は南西ドイツのフライブルクから北東ドイツのハンブルクまで、列車やバスを乗り継いでいったのですが、まず興味深かったのが、大地と建築との関係でした。例えば北ドイツの方に行くと、赤土がよく露出しているのですが、そういう土地の家には赤煉瓦が使われていたりして、当たり前のことですが煉瓦も土の産物なのだと実感させられました。またドイツは近世に至るまで領土が小分けにされていたので有名ですが、現在でもその土地に根差した建築様式が見られ、ハイデガーの弟子和辻が「風土」という概念を思いついたのもよく分かる気がしました。

3.現在でも大学の主な財源は州からのものであり、連邦国家からのものではないようです。もちろんそれが故のデメリットもあるのですが、例えば連邦の首都ベルリンでさえ、それほど高層の建物はなく、それに匹敵する都市がミュンヘンやハノーヴァ、ハンブルクにも見られるように、ドイツに来ると一極集中していない「道州制」というのが如実にイメージできました。そうして、自分たちの身近なところから積み上げていっているせいか、どの土地に行っても自分たちの納得したやり方で子どもたちを育てている「落ちつき」が感じられました。

4.また都市に近づくと一角に低い掘立小屋が並んでおり、最初は移民のゲットー化したものかと思って驚きましたがさにあらず。同行したドイツ近世史家の出村先生に依れば日本で言えば日曜農園のようなもので週末にバーベキューなどして愉しむのだとか。まぁそうした子育てと菜園の愉しみを持つ風土なればこそ、チェルノブイリ事故の後はスペインの小さな島に移住した家族も珍しくはなかったと伺いました。

5.また「風土」と書くとある環境がいつも変わらぬ人を生むと考えられかねませんが、私たちが眼にしたのはあくまで2011年の戦後ドイツの帰結であり、歴史については興味深いもののまだほとんど何も知らないことを認めざるを得ません。ただ、戦後のドイツ史は日本の戦後史と酷似している構造と、大きな違いが両方見られ実に興味深いものでした。

6.具体的には戦後の経済体制が上手くゆき、工業を中心に再興し、その象徴が自動車産業だったこと。それがゆえに環境汚染を引き起こしたこと。また戦前との対決として学生運動が熾烈を極めたこと。そこから過激派の赤軍、反原発、有機農業志向などがうまれたこと。その後、政治やメディアが保守化したことなどは構造的に酷似しているように思われました。

7.他方で、ベルリンでは自由時間を利用してナチの恐怖政治を展示する「恐怖の地政学」や、被虐殺ユダヤ人モニュメント、ユダヤ博物館などを見てきたのですが、あぁした博物館が首都のほぼ中心部にあること、また「ドイツでは反原発とか有機志向を表明しない人間や研究者は奇妙な目で見られた」とさえ言われることから、大学における研究者差別が逆向きになっていること、そして緑の党の指示や2022年までに原発撤廃を決めたことなどには大きな違いがあると思われました。

8.出かけた時期がクリスマスシーズンだったこともあり、「これはゲーテ・インスティチュートからのクリスマス・プレゼントのようだなぁ」と感慨深く思いました。私がその受け取り手としてふさわしい人物だったかどうかはまだ迷いますが、私の今後次第でふさわしくも「なれる」かもしれません。

9.少なくとも、私たちを介して罹災後の日本をこんなにも応援してくれる人たちがいることを忘れてはならないし、自分もしっかりしなきゃな、と思えました。大学というのは(その他の機関と同様に)様々な力がひしめく場所なので、時には内部の人間関係でうんざりさせられることもあるのですが、外でこういう風に真摯に取り組んでいる人たちに出遭い、はげまされました。

10.一緒にいった東北の理系の学生たちもすがすがしくて、いつかまた会いたいと思っています。こうした人間関係はいくらこちらが望んでも、自分の意図だけでは再生も、持続も可能ではありません。だからこそそうした関係を心行くまで慈しむために、私たちが責任のある大人としての判断をしなければね。文化人類学実習の学生たちも、不在中、関先生とよく頑張ってくれました。さぁ、世界に向き合おう!

 

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安全な基準、危険な基準 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=145 Sat, 19 Nov 2011 13:23:12 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=145 続きを読む ]]>

1.かつて、グレゴリー・ベイトソンはこんな例をもちだしていた。「呼吸の反射というのは酸素不足によってではなく、相対的に危険の少ない二酸化炭素の過剰によって引き起こされる」[Bateson1991(1972):15]。面白い指摘だと思う。もし、横隔膜が、酸素不足で起こるとしたら、二酸化炭素過剰で起こるよりも、相対的に危険な基準であり、私たちの身体はその基準を採用してこなかった。

2.今日、外でごぼ天うどんを食べてきた。九州の名物と言われている。確かに関東では食べた覚えがない。素材は、大豆(醤油)、小麦(うどん)、葱、ごぼう、さつまいも、といったところだろう。他にも、何の出汁か、どういう天麩羅粉を使っているのか、何か化学調味料をつかっているのか、など気になるけれど、とりあえず、それが分かると安心する。でも、これが、どこの大豆なのか、どこの小麦なのか、どこの葱なのか、どこのごぼうなのか、どこのさつまいもなのか、までは分かっていない。なので、少し、不安になる。

3.なにしろ、僕らが食べているエビがどのような仕組みでインドネシアから輸入されているのか、現地では、その産業のために、どのような生態系の破壊が生じてしまったのかは、村井吉敬さんが『エビと日本人』などで描いている。鶴見良行さんからアジア太平洋資料センター系の仕事は、バナナ、コーヒー、マグロなどについて、大同小異の構造があることを指摘してきている。なので、自分が既に、相対的に、危険な基準に足を突っ込んでいるのではないか、と不安に思うのである。

4.なのでときたま、ドラッグ・ストアやデパートの化粧品売り場で、一見きれいにパッケージされているけれど、成分を見るとさっぱりチンプンカンプンな化粧品などを見ると、「こんなものをいきなり身体にとりこんで大丈夫なのかな?」と不安になる。まぁ私たちの身体は、原則的に、内から外へと細胞の流れが出来ているので、多少、肌に何かをつけても、うわべのことだけだと分かっているのだけれど、「成分が分かる」だけでも既に危険に足を突っ込んでいるようにさえ感じるときがあるので、「成分さえ分からない」のは、とても危険な基準のように思うのである。

5.数日前から、夜の天神が美しく彩られている。けれども、美しい電飾の背景にも、その成分というものがある。東京電力で使われていた原子力発電所のウラニウムの一部は、オーストラリアから輸出されており、現地ではオーストラリア先住民の大地が掘り崩されている例がいくつもある。2000年までのジャビルカでは、ウラニウム発掘残土を保存しておいたプール水が溢れかえり、周囲に先住民が居住し、その河川から野菜を採っているところに浸水したことが疑われてさえいる。けれどもこういう背景を知らないと、自分たちが「危険な基準」を採用していることにさえ気づけない。

6.鳥山敏子は殺生と食べ物の関係について、「『生きているものを殺すのはいけないこと』という単純な考えが、『しかし、他人の殺したものは平気で食べられる』という行動と、なんの迷いもなく同居していることがおそろしくてならない」「殺す人と食べる人が分離されたときから差別がうまれ、いのちあるものをいのちあるものとみることさえできなくなってしまった」と書いて、原発の問題も構造は同じなのではないか?と思い、現場で作業をしてきた人物に思いを馳せいたが、現在では、さらにその外にも思いが馳せられないと「危険な基準」に足を突っ込むことになる。

7.今年「人類学と経済学―個人投資家の事例から」[飯嶋2011]で書いたのも、そういう指摘で、かつてであれば、成人儀礼で教えられていた「世界」や「人間」の意味は、その活動がもはやとんでもないところにまで広がっていて、成人式までに教えられる「人間」概念がそれに追いついていない、ということだった。私たちは実に危険な基準を採用しているように思うのである。

 

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共生社会システム論宣言! http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=135 Sun, 13 Nov 2011 09:20:59 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=135 続きを読む ]]>

1.九州大学人間環境学研究院人間共生システムコース共生社会学に奉職して5年。10年内位には「共生社会システム論」とは何をする学問なのかを形にしなければと思ってきたが、自分なりに見通しがついてきた。

2.そもそもなぜこんな名前の専攻ができたのか、また、表向きの看板の論理と文部科学省と九州大学の本部からの論理とがいかに異なっているのか、という問題もあるのだけれど、これはもう置いてゆく(学問的には高い理想を失っていて、実にくだらないのである)。

3.共生社会システム論は、3本の柱を持った学問生活である。

4.1つは、社会科学であり、私はこれまでの経歴で言えば、地理学、比較宗教学、共生社会システム論を学んできた。こういう人間からすると、実に当たり前のことなのだが、社会の実態を捉えるための様々な方法が社会科学には蓄積されてきている。私がこれまで主に親しんできたのは文化人類学的な参与観察であり、卒業論文、修士論文で取り組んできた栃木県久野又の研究、宮崎県椎葉村の研究、福岡県福岡市の野宿者研究、オーストラリア先住民アランタ民族の研究は、この系譜にあたる。

5.但し、社会科学にはある種の限界が付きまとう。具体的には、健常な社会であれば研究者が「参与観察」で学ばせてもらう、という態度になっていても構わないのだけれど、何らかの意味でダメージを受けた社会では、そこで「観察」することが、新たなダメージの再生産につながることがある。特に、「暴力」現象の疑われるフィールドではそうした危険性が濃厚になる。なので、これまでの私の親しんできたフィールドで言えば、オーストラリア先住民アランタ民族の世界や児童福祉施設の世界、熊本県水俣市の世界などは、この系譜に連なると言えるのではないかと思う。そこではダメージ・リカバリーの具体的で支援的な姿勢が必要になる。

6.ダメージ・リカバリーへの支援は必要かつ重要なのだが、ダメージを受けての姿勢になるので、そこからダメージの生じにくい健常社会を構築していく姿勢には弱い側面がある。そこで、積極的に先回りして、健常社会の代替案を創出する代替実践の姿勢が必要になる。これまで私の親しんできた世界で言えば、臨床心理学の世界、市民講座でのワークショップの世界、NPOもやいバンク福岡の世界がこれに当る。

7.この3つの柱は、理念的・論理的には相互に循環し、社会科学→ダメージ・リカバリー→代替実践→社会科学(変化の科学)…となってゆく。当たり前と言えば当たり前のことなのだけれども、実にこれがそれぞれに分化していて、必ずしもそうした展望で学問生活が展開されてきていない世界の方が圧倒的なようである。実際、通常は、①を学者の世界、②を開発・福祉・医療の世界、③を運動・信仰・芸術の世界のように描いてこられたように思う。そしてそれぞれの世界では「それだけ」のツールで頑張ろうとする人が多い。

8.けれども私が思うに、この3つの姿勢はいずれも人間が生き生きと生きてゆくうえであると良い姿勢であり、どれも必要なのである。私は「選択」するのは苦手なので、人生で新しいものに出遭ったらなるべく「包括」するように努めてきた。ある意味でその学問化が、私の共生社会システム論と言えるのかもしれない。これは既にその片鱗を「生成する儀礼」[飯嶋・徳安1999]で書いていたけれど、当時は②の柱が弱かった。10年毎くらいに自らの研究をふりかえり、これまで何が見えてなくて、そこから何が成長してきたのかを確認していこうと思う。

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今日の動き http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=125 Thu, 03 Nov 2011 09:09:39 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=125 続きを読む ]]>

1.本日はKj法一段落記念ケーキ大会。博多駅のケーキショップで、チーズ、チョコレート、フルーツの3種類のケーキを買う。この一ヶ月の学部生の頑張りは凄かった。殆ど徹夜で数週間分析に徹していた。もちろん現地の人の苦労の重みとは違うけれど、頑張ったら労われるという体験を蓄積していってほしい。

2.駅に向かう途中、珍しいオブジェを展示したギャラリーがあったのでドアを開けると実際には撮影スタジオに近かったのだが、若いオーナーの坂上嘉規さんと数分立ち話をする。今はこうしたことをしているが、私も20年前は草間彌生の小作品を無理して買うほど入れ込んでいた。オブジェの不思議な半立体感覚は、彼女の作品を思わせた。

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今日の動き http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=93 Fri, 28 Oct 2011 15:15:19 +0000 http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~com_reli/iijima/?p=93 続きを読む ]]> 1.今日はお昼過ぎに、付属中央図書館が開催する第1回ビブリオバトルに参加しました。テーマが「恋愛」。どんなものかと思いましたが、仕事以外で大学内にいる人をちょっと深く知るいい機会だと思いました。詳細はこちらから。図書館の方たちもよくやっているなぁ、と思いました。

2.その後は今までホームページの試運転をしているところです。以前のホームページは、吉村一さん、八坂信久さんにつくってもらっていたのを使っていたのですが、原因不明の文字化けがでてきたのと、文学部のアドレス変更にともない、装いを新たにすることにしました。とはいっても、今回のホームページも永松和郎さんに製作していただいたものを私が使っているだけです。永松さん、ありがとうございました。

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