閑山子LAB

九州大学大学院人文科学研究院教授・川平敏文のページです。


六諭衍義大意

六諭衍義は、琉球の程順則といひし人、其国に印行しけるを、はるかに我邦にも伝へ来れり。しかはあれど、た ゞ 単本のみありて、おほやけの文府におさまりぬれば、世の人是を見る事なし。その書俚俗浅近の語を用て、善をすゝめ、悪をいましむる事、偏に親切なり。あまねく世に流布して、人の教誡にもなれかしとて、過しころ、有司の人かしこき仰を奉りて、書坊に命じて梓に鋟ばむ。然るにいやしき編戸の民、もとより漢土の文字をさへ見習はねば、此書を読みて、其意をしる事かたかるべし。是によりて重て愚臣に仰て、其大略をとりて、和語をもて、是をやはらげしむ。本書毎篇の末に律例をつけ、又古人の事跡を載たり。其律例は我邦の法に異同ありて、用捨なくしては行ひがたく、其事跡は、いにしへの物語にして、さして緊要にもあらず。されば此二つの品は、並に本書にゆづりて、爰に除きけるなり。たゞ手近く簡約にして、窮郷下邑にもおよび、賤のおしづのめまでも、常によむにたよりよきやうにとの意なるべし。今爰に其あらましを同く和語にうつして、世にもしらしめ、且は序ともみよとて。享保七年壬寅のとし。二月の季。室直清これをしるすことしかり。


六諭衍義大意

孝二順父母一

 凡世間にある人、貴となく賤となく、父母のうまざる人やある。されば父母は我身の出来し本なれば、本をば忘るまじき事なり。況や養育の恩、山よりもたかく、海よりもふかし。いかゞして忘るべき。今孝心に本づかんとならば、 父母の恩をよく〳〵おもふべし。先十月の間、懐胎にありしより、母をくるしむ。さて生れ出て、幼稚のほどは、父母ともに昼夜艱難辛苦をいはず、常にあらき風をもいとひて抱きそだて、少も病有て煩はしければ、神に祈り、医をもとめ、我身もかはり度ほどに思ひ、たゞ子の息災にして、成長するを待より外は、何の願かある。其子稍長なしくなれば、其ために師を撰び、芸をならはせ、よき人にもなれかしと思ひ、家をもおさむるほどになれば、縁をもとめ、 婦をむかへて、さかゆく末をこひねがふ。又世に立まじはるをみては、或は悪き友にもひかれ、或は不慮の難にもあはんかと、いまだ目にみえぬ事までも、たえず心くるしくおもふほどに、すべて一生のいとなみ、何事か子のためにせぬ事やある。何れの時か子をおもはぬ時やある。是等の厚恩、たとひ報じつくさずとも、責て孝行にして養ふべき事なり。其孝行と云は、貧富貴賤は、をのづから不同あれば、必しも父母の衣食を結構にせよと云にもあらず。たゞ分限相応に、父母の飽煖なるやうにすべし。父母年たけて後は、大かた側をはなれず、出入には、手をひき、うしろをかゝへ、寝興には、夜はしづめ、朝は省べし。父母若病あらば、昼夜帯をとかず、他事をすてゝ看病し、医薬の事にのみ心を尽すべし。さて第一に意得べき事は、いかほど父母の身を孝養すとも、其心を安ぜずしては、大なる不幸といふべし。何事も父母の教訓にたがはず、世話をおもんじ、よく身を守り、家をたもつべし。其子のかくのごとくなるをみては、父母の心中、いかほどの安堵、いかほどのよろこびとかしる。是を父母の志を養ふと云なり。たゞ常におもふべし。おしむべきは父母存生の日なる事を、今此時に及で、孝養をいたさずは、父母死して後、いかに悔ともかへるべきや。たとひ山海の珍物をそなへて手向祭るとも、いける時の蔬菜にはおとるべし。いかなれば、今の世の人、父母の養を大切の事におもはざるや。最愛の妻子たりといふとも、妻子は失て又も得べし。たゞ一たび失て、ふたゝび得べからざる物は、父母なり。人の子たる者、是をおもはゞ、いかで孝心を起さざるべき。今の世、やゝ孝心ありとみゆる人も、大かた妻をめとり、子をもてる身になれば、眼前妻子の愛にひかれて、をのづから朝夕の勤さへおこたるを、くやしとだにも思はず。それによからぬ妻子にあへば、いつとなく父母の悪き事をいふほどに、其言葉耳に入心につもれば、己も父母をうとむ心になりぬるこそ、いふもあさましき事なれ。能おもひみよ。我身十四五歳までは、妻と云ものもなし。子といふ物もなし。此時我を養育せし人はなに人ぞや。我を介抱せし人は何人ぞや。然に父母にかへて、妻子をおもふ事やあるべき。烏の鳥さへ反哺とて親にくゝめ反すといふ事あり。人として不孝なるは、人たる本心たえはてゝ、禽獣にもおとりたるといふべし。ふかくおそるべき事なり。

詩  曰
我勧世人孝父母   父母之恩爾知否
懐胎十月苦難言   乳哺三年未釈手
毎逢疾病更関心   教読成人求配偶
豈徒生我愛劬労   終身為我忙奔走
子欲養時親不在   欲報罔極空回首
莫教風木涙沾襟   我勧世人孝父母


尊敬長上

 古より今に至るまで、かくばかり大なる世界、かくばかりおほき人民なれども、たゞ一つの礼儀によりてさだまると知べし。いかなるかこれ礼儀ぞといへば、主従上下の差別をたて、としたかなる人と、若き人との次第をみだらぬ事なり。就中主従は、重き事なれども、主人に対して無礼なるは、世上にゆるさぬ事故に、末々までも、主従の間は、をのづから礼儀を存ずるぞかし。されば主人を尊敬するは、人のみなしる事なれば、今更爰にいふに及ばず。是によりて、父母に孝行するにさし次て、長上を尊敬するを、第二の教とす。長上といふは、我より年たけ、又は位たかく、わが上にある人をいふなり。まづ一家にていはゞ、男女をいはず、わが親方なる人は、これみな長上なり。但し長上を尊敬する道は、わが親しき兄より始まるべし。そのかみ我より先に生れて、遂には父に代る人なれば、父母に次て敬ふべきは、わが兄にあらずや。たとひ父死して別宅に居るとも、常に本家をおもんずべし。家財を配分する事相違ありとも、全く兄の裁判にしたがふべし。是等の出入によりて、兄弟のしたしみを失ふべからず。若兄よからずして、我に非道を加るとも、始終弟たる道を尽して、兄をとがむべからず。その外父方母方ともに、一族のうち年たかき人をば、それ〴〵に礼儀を尽してねんごろにすべし。いさゝか無礼をいたすべからず。いかなれば今の世の人、親族の恩うすくして、長上を尊敬する事をしらざるや。或は妻子の語にまよひ、或は貨財の欲にひかれて、やゝもすれば不和になり、はては兄弟親族たがひにあらそひにもおよべば、天性骨肉のしたしみも、忽変じて仇敵のごとし。いとあさましき事なり。又他人にていはゞ、其年齢わが父と同輩なる人をば、父に準じて敬ふべし。わが兄と同輩なる人をば、兄に準じて敬ふべし。孔子郷村におはしまして、一族の出合には、身を引さげて、たゞつゝしみたまふとなり。聖人さへかくのごとし。況や常体の人、すこしも驕りあなどりたるふるまひあるべからず。坐するときは、下に坐し、行時は、跡より行べし。仮初にも長上をさしこゆる事あるべからず。長上の前にて、口にまかせて空言し、興に乗じて戯れ事するは、はなはだ無礼なる事なり。ふかく是をいましむべし。又長上の中にて、その行ひ正しく、人の鏡ともなる人はいふに及ばず。其外芸能ありて、人の師匠にもなる人をば、別して是を敬ふべし。又我より位たかき人は、たとひ年弱にして、材徳なしといふとも、すでにわが上にたつ人なれば、これまた長上なり。常に礼義を存して、あなどるこゝろあるべからず。さればいにしへより、高位なる人、賢徳ある人、老年なる人、これを三つの達尊とて、天下におしわたつて敬ふべき人とするなり。後の世に至りて、時勢につきて、くらゐたかき人をのみたつとんで、老をうやまひ、徳を敬ふ事をしらず。ふかくなげくべき事なり。

詩  曰

我勧世人敬長上   身先尊敬為榜様
後船眼即照前船   簷前滴水毫不爽
分定尊卑豈可踰   歯居先後勿宜亢
逆理犯上刻難容   徐行後長時当講
傲為凶徳自招罪   温良恭譲人尽仰
満則招損謙則益   我勧世人敬長上


和睦郷里

 凡都鄙を諭せず、同じ郷村に住居する人は、先祖以来、常に行かよひ、互に久しく馴習ぬれば、其筋目尤忘るべからず。たとへば、他国にありて、我故郷の人にあはゞ、いとなつかしく、親族の思ひをなすべし。是にて同じ郷村の人は、常に疎略にすべからざる事をしるべし。いかなれば、今の世の人、一旦のいかり、又はわづかのよくによりて、日ごろのよしみを忘るゝにや。尤嘆かしき事なり。或は田宅の界を争ひ、或は金銀の債をはたりて、双方いかりをおこし、 遂には公事訴訟にも及ほどに、一郷のさはぎともなるぞかし。その始をたづぬるに、我身に贔屓する心よりおこりて、常に己を是として、人を非とし、己が利をのみしりて、人の害をかへりみず。元より我身のためをおもふは、人ごとに同じ心なり。然るに人としてなさけをしらぬは、木石に同じ。何事も人の上を思ひはかりて、我身ひとつを先だつべからず。たゞ家も人もよきやうにと心得べし。しからばなどか和陸せざらむ。但大学にも、家を出ずして教を国になすとあれば、先我一家のむつまじきを本とすべし。父母に孝行し、長上にしたがふみちは、前に諭ずれば、今又いふに及ばず。次には夫婦の道を重しとす。いにしヘより、妻を去と、さらざるとに、大法あり。婦人淫乱なるか、舅姑につかへざるか、又嫉妬ふかく、もの盗みなどすれば、法におゐて去べし。然ども其妻親の家なくして帰すべき所なきか、我と年ごろ父母の喪をともにするか、又は前には貧賤にして、後には富貴なれば、大なる不義の外は、法におゐて去べからず。いまの世をみるに、或は其妻に愛着して、常に悪行あるをもしらず。或はその妻にさせる事なきに、多年の馴習を忘れてよしなく離別するもあり。何れもいにしへの法にたがひて、家のおさまらざるといふべし。又在家の人に、父死して父の妾を妻とするものあり。人倫をみだり、常法をやぶるといふべし。そのほかちかき親類の後家を妻とする事、何れも有まじき事なり。凡郷村にある人は、先是等の不義を相互に吟味すべし。さて相まじはるの道をいはゞ、常によろこび弔をのべ、やみわづらひを問ば、定りたる事と云ながら、尤礼義を尽し、真実の志を致すべし。水火盗賊不慮の難あらば、互に合力して、随分救援べし。行跡の悪き人をば、幾度も懇に諫べし。賢徳ある人をば敬ひ、学問ある人をば親しみ、材芸ある人をばほめあらはし、無能なる人をば教へ誘き、争ひに及ものをばとりあつかひ、愁にしづむ人をばとひ慰め、孤児寡婦老病かたわなる人をばいたみあはれみ、困窮無力の人をば賑はし済べし。しからば一郷の人おもひ合て、一家の親しみに同からん。いかで和睦せざる事やあるべき。
詩  曰
我勧世人陸郷里   仁里原従和睦始
須知海内皆弟兄   安得隣居分彼此
従来和気能致祥   自古郷情称美水
東家有粟宜相賙   西家有勢勿軽使
偶逢患難必扶持   若遇告状相勧止
同郷共井如至親   我勧世人睦郷里


教訓子孫

 凡在家には、子孫を重しとす。子孫人がらよければ、家もおこり、人がらあしければ、家も衰ふ。これみな人のしる事なれば、大家小家ともに、誰か子孫のよきをねがはざるべき。然るに子孫生れながらにしてよきはまれなり。必教訓によるべし。其教訓の法は、幼稚の時より、第一に父兄につかへ、尊とく年たけたる者をば敬ふ道をしらしめ、さて言語は、偽なきやうにといましめ、起居は、必しづかなるやうにといましめ、事をつとむるには、おこたらぬやうにといましめ、人にまじはるには、無礼なきやうにといましむべし。朝夕出入には、常に心を付て、みだりに他行をゆるすべからず。飲食衣服をば、常に驕を制して、自由に過分をなさしむべからず。勿論一切無益の翫び物をすき好て日を費す事あらしむべからず。古ヘより朱に近づけば赤く、すみに近づけば黒しといへり。仮にも遊女博奕の場にあそばしむべからず。軽薄浮気の輩にまじはらしむべからず。常に学文をさせて、聖賢の道をしらしむべし。然らば其子の生質によりて、後日に徳をつみ、名をあらはして、世にも用ひらるゝほどにもなり、又はそれほどに歪らずとも、身を守り、家をたもつことなどかなかるべき。さて女子は縫針の事を教るはいふに及ばず。たゞ平生柔和を本として、何事も穏便に貞信なるやうにと教訓すべし。然らば成長の後、人の家の婦になりても、舅姑につかへ、夫にしたがひ、下部の女までもなづけて、家内を和らげとゝのへ、ながく繁昌の福ともなりぬべし。近代以来、父祖たる者、教訓の法をしらず。其子孫をそだつるを見るに、たゞ眼前の愛に溺れて、一切の飲食衣服言語挙動まで、小児の気随にするをよしとす。是によりて子孫たるもの、幼少より、一言のよき話をきかず、一毛の好事を見ず、その習はし僻となれば、放逸をのみ好て、仮にも礼義の正しき事をしらず。たま〳〵学文をすゝむといへども、人たる道を教へんとはせずして、たゞ是を以て名利の媒とする故に、其子孫たとひ学文すと云ども、道理におゐて、何をか自得すべき。我身の行ひにおゐて、何の益かあらん。さるほどに、或は貨財を貪り、或は酒色に耽り、おほく悪名をとり、身を持くづして、父母にも難義を懸るぞかし。又女子も、家にある時に、教訓の法なく、気随にそだつ故に、すでに人に嫁しても、家を治る事かなはずして、追出さるゝ者も世にそのためしおほし。是必しも子孫のとがにもあらず。そのかみ教訓の法たかふが故なり。しかれば親の慈悲にもそむくにあらずや。孔子も子を愛せば、苦労をさせよと宣へり。尤さもあるべき事なり。

詩  曰

我勧世人訓子孫   子孫成敗関家門
良玉不琢不成器   若還驕養是病根
寝坐視聴胎有教   箕裘弓冶武当縄
黄金万両有時尽   詩書一巻可常存
養子不教父之過   愛而勿労豈是恩
世間不肖因姑息   我勧世人訓子孫


各安生理

 天地の間に生るゝほどの人、貴賤貧富を論ずる事なく、人々我にあたりたる所作あり。是わが生涯につきて定りたる道理なる故に、生理と名づく。此生理に落つきて、外をもとめざるを、各生理をやすんずるといふなり。しかるに人の品をわかちていはゞ、先士たる者は、学文をし、武芸をたしなみ、義理を忘れず、公役をつとむ。是士の生理なり。次に農人は、耕作をつとめて、おほやけの年貢をかゝさず。職人は、家芸を精くして、所伝の習を失はず。商人は、売買をいとなみて、非分の利をもとめず。都てこの四つの民ともに、各志をたかぶらずして、我に当りたる職分をつとめば、をのづから家に当りたる衣食ありて、一生安穏にしてくらすべし。其外定りたる産業なくして、負担日傭などして世をわたるものあり。いやしき諺にも、天より食物なき人をば生ぜずといへば、是等の人もおこたる間なくかせぎだにせば、我に当りたる衣食などかなかるべき。又女人にも生理あり。古へは国主の后さへ、手づから蚕繅りて、衣服を作るといへり。況やそれより以下の人、いさゝかおこたるべからず。凡在家の婦女は、華麗をこのまず、遊戯を楽しまず、常に機おりもの縫わざを勤、はやくおき、おそく寐て、辛苦をみづからすべし。是女の生理なり。たゞ嘆べきは、世上の人、男女ともに、幼少より気随にそだつ故に、年長して後も、たるみおこたりて、我に当りたる職分の事をば心におかず、たゞ目前の楽に、むなしく日をおくるものおほし。就中富貴の家に生るゝ人は、曾て艱難を経ず、常におほくの所従にかしづかれ、美服身にまとひ、厚味口にあく。いつまでもかはるまじとこそおもふらめど、一旦時移り勢ひ去ぬれば、過にし富貴は一宵の夢となりぬ。日ごろ飽煖にくらして、何の材芸もなく、世話にさへうとければ、漸々に落ぶれて、庶民に下るも、むかしよりそのためしなきにあらず。また身もと軽き人の、遊楽を好むこそ、一しほうたてけれ。或は遊女にたはぶれ、或は博奕を好み、酒にひたり、色に溺れ昼夜家業をすてゝ、うかれ遊ぶほどに、はては家財もつきて、朝夕のいとなみもすべきやうなければ、おもひの外に悪事をたくみ出して、災難にあふも有ぞかし。また遊楽を好むにはあらねども、わが職分の事を一筋に守る心なく、他人のしあはせを羨み、非分の事をのみねがふ人あり。いろ〳〵思慮をめぐらすといへども、畢竟とりしめたる心なければ、遂に一事もなしあふぜたる事なし。是等は名利の心よりあき足る事をしらぬ故なるべし。元より貧富貴賤は、天命定りてあれば、いかで人の力にてあらそふべき。たゞ我に当りたる職分を勤、日に好事を行ふて、今よりゆくさきをとふべからず。万町の田を持ても、日に食するは、三度に過ず。千間の厦に住みても、夜の眠は八尺に止まるとあれば、常に我に事たるやうを知て、外をもとむる心あるべからず。しからばなどか生理をやすんずる事なかるべき。

詩  曰

我勧世人安生理   素位而行称君子
栄枯得失命安排   士農工商業莫徙
妄想心高百無成   厭常喜新没終始
芸多不精不義身   遊手好閑窮到底
皇天不負苦心人   須知安分能守己
更知徹幸断難行   我勧世人安生理


毋作非為

 天下にあらゆる事ども、窮まりなしといへども、すべて是非のふたつに過べからず。道理にしたがふを是とし、道理に背くを非とす。されば非がごとをするを非為と云なり。今其品を挙ていふに、悪逆強盗、人をころし、火を付るやうなる事は、云に及ばず。遊女に溺れ、博奕をたのしび、酔狂をし、喧嘩を好み、私曲をかまヘ、貨財を貪る。是等はみな大なる非為と云べし。其起りは一念のうへより、ふと覚悟を誤りて、おぼえず大悪にも至る故に、世に法を犯し、罪に陥る人もあり。身をほろぼし、家を破る人もあり。その時に至りて、さこそ後悔すらめども、我となしたる事にて、我と受たる禍なれば、誰をかうらみ、誰をかとがめん。然るに前車の覆るをみても、悪を荷担する心より、 曾て後車のいましめをしらず。世の諺にも蓼の虫は、蓼にて死し、川たちは川にてはつるといへり。あしき事をして、畢竟あしからぬ事やあるべき。たま〳〵幸にして禍にのがるといふとも、何ぞ頼にたらん。其外世には材智もあり。器量もある人おほし、然ども或は邪智によりて事をたくみ、人を欺ぎ、或は血気に乗じて礼を乱り、法をやぶる 。其所行を考るに、おほくは非為の事にあらざるはなし。又生質柔弱なる人は、平生怠りて月日を送るほどに、たま〳〵日ごろの非をさとれども、多年あやまり来れば、今より改悔とも、事のやうにたつまじとて、うち捨ぬる人あり。大なる非が事といふべし。我人聖賢にあらねば、たれか過なからむ。たゞ一念発起して己が非をあらたむれば今日よりしてよき人となるたとへは道にふみまよふ人の、一たび足を転じて引返せば、本道に出るかごとし。又世に人倫の道をばおろそかにして、たゞ神を信じて、生前の福を祈るもあり。または仏を信じて、死後のたのしびをねがふもあり。いま是等の人のためにいはゞ、神は善に福し、悪に禍すといへり。其心誠あらば、祈らずとても守るべし。其行ひ不善にして祈るとも、何の益かあるべき。また仏法も、慈悲をとき、貪欲をいましむるにあらずや。されば儒道にかぎらず、神道仏法といへども、とかく我身の非をやめずして、其教にかなふといふ事有べからず。たゞしそれに付ても、身の上の非はやめやすく、こゝろの上の非はやめがたしとみえたり。たとひ外に仁義をにせて行ふとも、険悪のこゝろを存せば、人をあざむき得るとも、天をあざむき得じ。王法の罪はのがるとも、神明の譴はのがるべからず。されば人間の私語は、天の聴には雷のごとし。世上の密事は、神の目には、電のごとしといへり。何ぞおそれ慎まざるべき。

詩  曰

我勧世人莫非為   非為由来是禍基
只因一点念頭錯   詎料終身自喫虧
姦淫賊盗方纔起   徒流絞斬即相随
抛屍露骨身難保   帯鎖披枷悔是遅
縦然逃得官刑過   神明報応不差池
及蚤回心猶可救   我勧世人莫非為
総  詩
聖人之道六言足   天下太平此一書
果能実々通行去   便是唐虞三代初




六諭衍義大意跋

 世之能学問知義理者、姑舎無論已。其余農圃陶冶、販鬻之徒、比屋樹畜、竈炊于閭左郷曲。何翅億万、苟無教道以率之、徒知競錐刀事煖飽而已。使之服勤共職、亦己難矣。況乎物我町畦、骨肉相軋、豈可遽以孝悌敦睦之行責之。若教以詩書之言、督以聖喆之訓、彼将藐乎不聞、裒如克耳。曷若以浅近易入之言誘之、使其馴致而至於善為愈。孔子曰、民可使由之、不可使知之。周礼有読法之会、後賢有郷閭之約。所以扶翼黌序、維持風教、亦不過使民由之爾。自学校之政不脩、而後独以号令教天下、世主憂其化之擁閼於下也。法駆刑威、科条繁興、密網深文、以囂民聴則有之。未聞有軫念霄旰、託意渙汗、諄々諭民於道者。及明興、廼始惓々論告之詔、常与刑律並布天下。観夫清帝六諭、亦規勝国而倣為之。豈以夷変於夏者耶。至於会稽范鉱就以民俗之語、為之衍義、可謂善於教諭者。其於奉上令下、両尽之矣。本邦表東海号称君子之国、方今遇礼楽之興、文献輻湊、治具畢張、而六諭之書、為政議所取、於是特旨并書授臣直清、撮其大意、訳以国語、遂付有司雕印、以行於四方、代遒鐸之令。惟冀為守令者、祇承徳意、以令郡県。為下民者、制夕羹牆、以訓子孫。更相倡随、陶鎔成化、遂将階鎬洛之治、致刑措之隆焉。豈小補之云哉。
享保七年歳次壬寅春二月二十五日臣室直清奉教撰