- 一、名称は九州藝術学会『デ アルテ』論文奨励賞とし、デアルテ賞と略す。
- 二、前年度の『デ アルテ』に掲載された論文を対象とする。
- 三、毎年1編の授賞を原則とするが、ふさわしい論文がない場合には該当者なしとする。
- 四、選考方法
- �@ 九州藝術学会幹事会は、経験や学識、専門領域を考慮して、5名以上のデアルテ賞選考委員を選出する。うち1名は九州藝術学会幹事とする。
- �A 賞の選考は、上記�@の選考委員からなるデアルテ賞選考委員会がその任にあたり、幹事会がこれを承認する。その責任は幹事会が負う。
- �B 九州藝術学会総会においてデアルテ賞(賞状と副賞5万円)を授与する。
- �C 選考委員会は、その他の必要な事項について審議し、幹事会に報告するものとする。
(2014年7月第90回大会総会承認)
<授賞者一覧>
第1回(平成24年度授賞)……立木美江「酒井抱一筆夏秋草図屏風の銀地背景に関する一試論」
- 第1回授賞論文
「酒井抱一筆夏秋草図屏風の銀地背景に関する一試論」
立木 美江(九州産業大学大学院)
- 選考経過と受賞理由
第1回デアルテ賞選考委員会は平成24年2月14日、福岡県立美術館会議室において開催された。選考対象は『デ アルテ』第27号(平成23年3月発行)に掲載された七篇の論文である。選考委員は、デアルテ賞実施要項にもとづいて、九州藝術学会幹事会によって選出された五名である。選考委員会は、十分な討議の結果、第1回デアルテ賞候補として、立木美江「酒井抱一筆夏秋草図屏風の銀地背景に関する一試論」をえらび、幹事会へ報告した。
この度の選考では、まずはじめに各委員が第三位までの候補論文をえらび、記名投票をおこなった。この時点で、評点はほどよく集散し、委員間の認識に大きなへだたりのないことが確認された。その後、各委員が候補論文に対する見解を述べ、ついで自由に議論をかわした。
議論のなかでは、荒木論文、藤村論文についても評価の発言が多く、高木論文へは複数の委員が関心をしめした。荒木、藤村両論文は、構成も整い、論旨も明快であり、研究の積みかさねもうかがえる。立木論文は、用語や文章にぎこちない箇所がみられるものの、研究方法の独自性と説得力ある考察は、さきの否定的側面をおぎなってなおあまりあるものであり、委員全員よりたかい評価をうけた。
立木論文の執筆のきっかけは、展覧会場において夏秋草図屏風の背景の銀地にかすかに市松模様をみいだしたことにあるという。従来、経年によるくすみとも、漠然と墨叢かともみられていたものを、日本画の制作者でもある筆者は抱一の周到な工夫のあとであると察知し、抱一の明確な意図を予感したらしい。
その抱一の意図を、筆者は、絵画的効果と古色づけにあると述べている。つまり、金属的な白いかがやきをもつ銀の地に陰影にとむゆたかな空間をつくりだすこと、屏風の表裏の対として指定された尾形光琳筆風神雷神図と、百年の時がもたらす新旧の差異を解消して、ゆるぎない調和をうみだすことにあったと。
この意図を達成するために抱一が画面全体にちりばめた工夫をみいだし、その工夫をなりたたせている技法を探る過程に、筆者の独自性は発揮されている。筆者の考察は綿密な観察にはじまる。作品研究における常套の手順とはいえ、ここで作品にそそがれるのは、制作者の立場から素材と絵をみつめてきた眼による、いかなる微細な線も微妙な色も曖昧な形もみおとすまいとするきわめて厳しいまなざしである。その観察によって、筆者は一見無作為とみえるところに作為を指摘する。そして、それら作為ひとつひとつの技法の解明をこころみる。筆者は、近世の書物を繙き、先行研究の意見にも耳を傾ける。そのうえで、慎重に提示されるのは、これまで培ってきた実践的知識と技術を駆使して、筆者みずからが試作をかさねてみちびきだした可能性である。その吟味がいかに妥当であるかは、随所におりこまれた図版が雄弁にものがたっている。
夏秋草図屏風については、文化的、文学的文脈において主題を読み解くすぐれた先行研究があるものの、技法に関する研究はたちおくれている。勿論、抱一の敬慕した尾形光琳の作品になされたような光学的調査が、抱一の作品に対しても実施される機会は遠からずおとずれると予想される。そこで、たとえば画面のある箇所の絵具の成分が特定されたとしても、画家がその絵具の使用によってもくろんだ視覚的効果や、画家が作品として結実させた表現をあきらかにするには、一方で、具体的な技法の検討を視野にいれた包括的な考察が必要である。抱一の作業を追体験するかのように、制作の過程を丁寧にあとづける立木論文の手法は、そのような局面においても、有効であり説得力をもつとかんがえられる。また、そこでしめされる技法上の多様な具体例は、画材のあつかいに不慣れな研究者をふくめて、技法に関する議論を活性化する手がかりともなりうる。
立木論文は、考察の深化や対象の拡大など、その将来性に期待がもたれるのみならず、多くの読者にすくなからぬ示唆や刺戟をあたえることも期待される。
※デアルテ賞選考委員会からの補足
下村委員長は、立木美江氏の指導教員の立場にあるため、公正を期して、立木論文へ票は投ぜず、候補論文が決定されるまで、立木論文に関する発言を控えた。
選考委員……植野健造、小林法子、下村耕史、西本匡伸、米村典子
第2回(平成25年度授賞)……該当なし
- 該当なし
選考委員が紹介されたのち、小林法子選考委員長から受賞論文なしという発表がなされ、続いて「選考経過と結論」が同委員長によって読み上げられた。
- 選考過程と結論
第二回デアルテ賞選考委員会は平成二十五年三月二十三日、福岡県立美術館会議室において開催された。選考対象は『デアルテ』第二十八号(平成二十四年三月発行)に掲載された論文三篇と報告一篇である。選考委員は、デアルテ賞実施要項にもとづいて、九州藝術学会幹事会によりあらたに選出された五名である。議事は、第一回デアルテ賞選考委員会の手順を踏襲して、はじめに記名投票をおこない、ついで意見を交換した。
今回の選考は、選考対象論文数がすくないこともあり難航が予想された。投票では、ふたりの委員が複数の授賞候補論文をあげたが、のこる委員は該当論文なしとした。この結果をふまえて、各委員が選考対象のそれぞれについて所見を述べた。投票においてふたりの委員の推した論文は、ほかの委員からも一定の評価をうけるものであった。そこであらためて各選考対象について時間をかけて討議をおこなった。ここではおもに論文としての形式の整う三篇に関して、それらの細部にわたって忌憚なき意見をかわしたが、議論は、デアルテ賞の、とりわけ奨励賞としての意義にも及んだ。その結果、今回の選考対象論文から一篇の授賞論文をえらぶことは困難であり、該当なしとすることで委員全員の意見は一致をみた。
今回、選考の議論において主たる対象となったのは、未紹介の作例をとりあげる二篇、既知の著名な作品をとりあげる一篇である。前者は、ともに奇しくも南九州の地名を冠し、美術史研究においてはこれまで看過されてきた作例を研究の俎上にあげた意欲的な論文である。ともに作例の綿密な調査にもとづいて記述されており、一方は制作の背景として魅力的な試論を示し、一方は完成にいたる経緯と制作者の業績を丁寧に紹介している。後者は、研究対象としてのみならず、ふるくより鑑賞者にも制作者によっても注目されてきた作品をとりあげるものであり、果敢な挑戦として好ましい。道教の信仰に育まれたその題材について、関連する多数の文献を精査し、豊富な参考図版をもちいて、従来の説を再検討し、独自の解釈を提示している。
しかしながら、討議のなかでは、設定された問題と結論の整合性の不足あるいは論拠不十分との指摘もあり、総じて、議論の道筋の明確化や説得力ある議論の展開のために、作品のさらに緻密な分析、時間的、あるいは空間的にもいっそうのひろがりを考慮した類例の蒐集、それらを包摂したうえでの位置づけ、諸史料のより的確で効果的な活用などがもとめられた。
選考対象論文は、査読を経て選抜されたものであり、『デアルテ』掲載の時点ですでに相応の評価をうけていることは再確認しておきたい。しかしなお、デアルテ賞の授賞論文としては、いま一段の研鑽と充実が希望される。それゆえ、選考委員会は、第二回デアルテ賞は該当論文なしと結論し、これを九州藝術学会幹事会へ報告した。
選考委員……植野健造、後藤新治、小林法子、西本匡伸、渡邊雄二
第3回(平成26年度授賞)……都甲さやか「文徴明《関山積雪図巻》(台北故宮博物院蔵)に関する一考察」
- 第3回授賞論文
「文徴明《関山積雪図巻》(台北故宮博物院蔵)に関する一考察」
都甲 さやか(九州大学大学院)
- 選考過程と結論
審査は 2014年3月2日(日)13時から福岡アジア美術館 会議室で植野健造、錦織亮介、藤川哲、ラワンチャイクン寿子、渡邊雄二(五十音順)の選考委員により行った。
選考対象は、『デ アルテ』29号(平成25年3月発行)に掲載された論文で、記載順に、都甲さやか氏の「文徴明≪関山積雪図巻≫(台北故宮博物院蔵)に関する一考察」、
古沢ゆりあ氏の「フィリピン近代美術におけるキュビスムと歴史画―マナンサラ作≪最初の十字架がたてられる》をめぐって―」、岸清香氏の「「アジア美術」コレクションの形成―福岡アジア美術館の東南アジア・中国現代美術作品を手がかりに―」の3本の論文である。
都甲氏の論文は明代の文人文徴明が描いた「関山積雪図巻」について、その画業における転換期の重要作品と位置づけるにあたり、先行研究では成立背景を示したり絵画表現の意味を解くことに主眼があったが、本論では文徴明の雪景図学習、とくに王維画など古画の学習による成果を見出すとともに、図の自題(テクスト)を読み込み、文徴明自ら「孤高抜俗」と標榜する文人意識を達成したものと位置づけた。
古沢氏の論文はフィリピンにおける近代絵画の代表的美術家マナンサラの作品について作品論を構築しようとするものである。マナンサラの作家としての位置づけ、作品の画題の意味、描写の特徴、とくにフィリピン近代絵画におけるキュビスム、なかでも「透明キュビスム」と称する描写などの特徴を挙げる。対象作品の制作背景、展示における意義など、この作品をめぐる状況も詳しく述べる。アジアの近現代美術について研究方法を深める試みといえよう。
岸氏の論文は福岡アジア美術館のコレクションの形成を通して、「アジア美術」という新しいジャンルの概念が創生したことを跡付けようとするものである。福岡アジア美術館の建設の経緯を単に美術活動としてばかりではなく、設置者である福岡市のアジアに向けたさまざまな政策のうち重要な一つとして、同時に世界的なアジア美術への関心を具体化するものとして位置づけた。その活動の底流として、福岡市美術館のアジア美術展の開催、それに伴う作品収集が福岡アジア美術館の開設や日本における「アジア美術」を形成したことを丹念に追い、個別にはとくに東南アジア、中国の近現代美術についてのコレクションや評価の展開を展覧会の開催、そのほか国内外のアジア美術をめぐる動きを踏まえながら詳述する。
論文の評価はなにをもってその基準とするかは各研究者によって価値観が異なるであろう。今回の審査も満場一致という経緯ではなかった。それは候補の各論文に不足があるというよりもそれぞれの論述の方法や対象とする美術の内容が異なるなどによることが大きいが、各論文の意義を審査委員が評価したと見てよいだろうとくに審査論文のうち2本はアジアの近現代美術を対象として、新しい価値観や方法論を提示しており、研究者たちの美術史研究のジャンル開拓への努力も評価された。
結果は、投票もさることながら、論文としての論旨の組み立て、洞察、先行研究の検討、対象資料の調査やその扱いなど基本的な要素について、都甲氏の論文がもっともすぐれていると判断し、今回の授賞論文とした。
都甲氏の論文は調査に基づいて対象作品の構成・描写を詳述し、文徴明自身による自題の内容を踏まえ、そこに記された王維ほか先人の雪景図を調査し、位置付けようとした。すなわち文徴明が参考としたと思われる作品、そして自ら描いた雪景図について、今日追える作例を熱心に検討している。それらは海外所在の作品であり、作品の閲覧や外国文献の解読も困難を伴うものである。とくに文徴明にとって王維作とする雪景図の重要性に注目し、関連作品を調査している。こうした作品を実際に調査し、関山雪景図巻との関連をよく検討している。また、モティーフについてはさらに王維以外の作家の作例からの採用を推察するなど、本作の成立を関連の現存作例から丁寧に追っている。こうした一つの作品をめぐる多くの検討の努力を評価したい。
ただし、審査員からは文人画という絵画の性格による専門画家とは異なるある種の不安定さ、また比較の対象となる王維作とされる伝承作品からどれほど確かな検討材料を得ることができるか確証をえがたいのではないかという危惧、あるいは詩や書など総合的かつ余技的な芸術について、慎重にまた、広汎に研究を進める難しさについて若い研究者への不安を示す意見もあった。しかし、このジャンルにおける稀少かつ熱心な若手研究者として、この授賞をステップに、自らの研究をさらに広げ、深めていただくことを切に願うものである。
選考委員……植野健造、錦織亮介、藤川哲、ラワンチャイクン寿子、渡邊雄二
第4回(平成27年度授賞)……李智英「朝鮮王朝成宗代における王室仏事の一側面―《三帝釈像》(福井・永平寺所蔵)を中心に」
- 第4回授賞論文
「朝鮮王朝成宗代における王室仏事の一側面―《三帝釈像》(福井・永平寺所蔵)を中心に」
李 智英(九州大学大学院)
- 選考過程と結論
第四回『デ アルテ』論文奨励賞の選考委員会は、平成二十七年三月一日、福岡県立美術館会議室に於いて開催された。選考対象は、『デ アルテ』第三〇号(平成二十六年三月三十一日発行)に掲載された四本の論文である。選考委員は、『デ アルテ』論文奨励賞実施要項にもとづき九州藝術学会幹事会により選出された六名で、互選により錦織亮介委員を委員長に選任した。選考委員会は、十分な討議の結果、第四回『デ アルテ』論文奨励賞候補として、李智英「朝鮮王朝成宗代における王室仏事の一側面―《三帝釈像》(福井・永平寺所蔵)を中心に」を選び、幹事会へ報告した。
選考過程を述べると、まず去年度と同様に、各論文を順位付けした記名投票を行い、傾斜配点方式にして合計点を集計した。投票に先立ち本賞選考基準についての質問が出され、それに対して、とくに基準はなく純粋に論文の出来で判断すること、「奨励」という言葉に含意はないという回答があった。集計結果は極端な偏りなく分散し、各論とも拮抗する内容であることが確認された。その後、各委員が投票論文についての見解を述べ、自由に意見が交わされた。各論とも意欲的内容で、新知見に富み、甲乙付け難かったが、最終的に石松論文と李論文が競り上がってきた。石松論文は、イギリス現代美術界における文化政策の反映とそのグローバルな波及について考察し、取り上げられた二作家の選択の整合性や議論の単純化が問題視されつつも、着眼点の新しさの上で際立っており、高い評価を集めた。対して李論文は、文献史料の丁寧な読み取りとそれにもとづく歴史叙述の明快さが評価された。堅実さの印象が強いが、その根底に革新性を秘めているといえる。
本論文は、李朝時代前期の成化十九年(一四八三)に制作された永平寺所蔵「三帝釈像」を取り上げ、図像解釈における新説を提示すると共に、これまでの朝鮮前期仏画研究で陽が当てられてこなかった十五世紀の作品群の歴史的位置づけを行うことで、朝鮮時代前期仏画を包括的に捉えるための新たな枠組みを提示しようとしたものである。
取り上げる作品名「三帝釈像」がサブタイトルにまわっていることが象徴するように、個別作品を分析し美術史的位置づけをおこなう、といったオーソドックスな叙述方法による美術史論文ではない。全四章のうち三章までが歴史的叙述に大きく紙幅を割いている。
第二章・第三章では、発願文を丹念に読み込んだ上で、本図の制作背景の検討と三尊の玉座飾りの龍鳳凰の意匠から、三尊の図像解釈の新説を提示している。第四章では、十五世紀の成宗代に貞熹王后が中心となって行っていた仏事が、十六世紀の仏教復興期、同じ家門の出自で垂簾政治を行った文定王后に規範として踏襲されたことを明らかにしている。
李氏の歴史叙述の文体は流麗で、まるでドラマのように読む者を朝鮮王朝の世界に引きこむ魅力がある。しかし「仏事」の歴史的意義を明らかにすることが、美術史研究の上でいかなる問題の解決につながるかのビジョンは示されておらず、目的地不明の楽しい旅といった感がある。また、作品の背景を掘り下げることで、研究の新たな枠組みを模索するという意気込みの余りか、作品研究としての基礎的作業部分には不足感がぬぐえなかった。とくに、第一章の作品の絵画史上の位置づけは、その前提となる具体的記述の不足のため、概念的に感じられたことは否めない。この点については論文の末尾に「詳細な作品分析を行うことができなかった」という自覚が示されており、今後の課題として取り組まれることを期待している。そもそも美術史学を歴史学や政治学などの周辺諸学から区別する独自性はどこにあるのか。この問題は、本紙掲載論文全て、ひいては我々美術史学徒みなに共通に問われるべき問題であろう。
本論文の問題点はしかし、李氏の学問的挑戦心に由来するものと見なせよう。『デ アルテ』三〇号までの掲載論文中、韓国仏教美術に関する論文や書評七本を振り返ると、一九九一年に「高麗仏画の研究がわずか二十年ほどの歴史しか持たない」なかで出版された鄭于澤氏の著書の書評が井手誠之輔氏によってなされ、一九九二年には「高麗時代にくらべ仏教絵画研究の空白期となっている」朝鮮時代前期仏画に関する朴銀卿氏の論文が発表され、二〇一四年の李論文で「十六世紀中心におこなわれてきた朝鮮前期仏画研究」への反省から十五世紀仏画研究に着手している。挑戦の連続によって短期に飛躍的進歩を遂げてきた韓国仏教絵画史研究の軌跡が如実に反映されている。李氏の革新性もこのような軌跡の上でこそ達成されたといえるが、未開拓領域に着手するというレベルを越え、現存する作品例の少ない時代を美術史学の対象とするための方法論構築を目指そうとしている点で際だった意義をもつといえる。
李論文に示された、作品を生み出した時代背景の考察に徹することで、個々の作品を捉える枠組みそのものから再考しようとする学問的挑戦は、読者に大きな示唆と刺激を与えてくれる。この点を評価し、第四回『デ アルテ』奨励賞を贈るものである。
選考委員……小林知美、錦織亮介、西本匡伸、橋冨博喜、藤川哲、ラワンチャイクン寿子
第5回(平成28年度授賞)……高山百合「昭和期官展における『現代風俗画』の展開―中村研一《瀬戸内海》を中心に―」
- 第5回授賞論文
「昭和期官展における『現代風俗画』の展開―中村研一《瀬戸内海》を中心に―」
高山百合(福岡県立美術館学芸員)
- 選考過程と結論
第五回デアルテ賞選考委員会は平成二十八年三月二日、福岡県立美術館会議室において開催された。選考委員は、九州藝術学会幹事会によって選出された五名であり、選考に先だち松本誠一委員を委員長に選出した。選考対象は『デアルテ』第三十一号(平成二十七年三月発行)に掲載された次の四編の論文である。高山百合「昭和期官展における『現代風俗画』の展開―中村研一《瀬戸内海》を中心に―」、西村佳菜子「日本近代における『陶彫』の創始者についての一考察―寺内信一と沼田一雅の比較を通して―」、平川信幸「琉球国王の肖像画『御後絵』の考察―描かれた衣装から見る国王イメージ―」、西田紘子「グスタフ・ベッキングのリズム類型論―その思想的背景―」。
選考委員会は討議の結果、第五回デアルテ賞を、高山百合「昭和官展における『現代風俗画』の展開―中村研一《瀬戸内海》を中心に―」とすることに決定した。選考は、はじめに各委員が全体の講評を述べた後、それぞれ第三位までの候補論文を選び、傾斜配点方式(一位三点、二位二点、三位一点)による記名投票をおこなった。この時点で、五人の選考委員のうち四人が高山論文を一位に投票する結果となった。再度、各委員が自身の投票について見解を述べ、ついで議論をかわした。意見が収束したところで、高山論文を「デ アルテ賞」に選出することが満場一致で承認された。
高山論文は、昭和期官展系の洋画家である中村研一の《瀬戸内海》(昭和十年)を取りあげ、作品の制作過程、展覧会への出品事情、モチーフや絵画表現上の特色などを検討し、本作品を中村の画業および昭和洋画史のなかで位置づけようとする試みである。問題設定、考察方法、論文記述について、いずれも丁寧かつ妥当であることが高く評価され、受賞につながった。ただし、結論の一つである《瀬戸内海》を中村の戦前と戦後の「橋渡し」的作品とする見解には多少の齟齬が生じているのではないか、また「風俗画から戦争画へ」などの視点でも考察をする余地があったのではないかとの意見があった。
西村論文は、陶による彫刻、すなわち「陶彫」の創始者が誰であるのか、という問題を出発点とし、陶彫黎明期の二人の彫刻家である寺内信一と沼田一雅の生涯や業績をとりあげ、その実情を明らかにしようとするものである。研究課題としては興味深く、調査も十分に行っていることがうかがえるが、考察方法、論の組み立て方によってより内容が充実したのではないかとの意見があった。
平川論文は、琉球国王の肖像画「御後絵」を対象として、そこに描かれた衣裳表現を検討し、中国の明時代にあたる時期に制作された御後絵と清時代にあたる時期に制作された御後絵に相異がみられることを指摘し、そこから両者に表象された国王イメージの相異を指摘する試みである。詳細な調査結果にもとづく貴重な仕事であることが評価される。しかし、写真しか残っていない御後絵を一次資料の如く扱っている方法にやや配慮すべき点があったのではないか、また、中国に現存している衣装などの資料と比較しつつ論証する方がより正当な方法ではなかったかとの意見があった。
西田論文は、二十世紀ドイツの音楽理論家グスタフ・ベッキングによるリズム類型論を同時代の思想背景と関連づけながら明らかにする試みである。ベッキングによるリズム類型論の紹介は日本ではこれまでなされていないようで、初紹介という点が評価される。しかし、原著の翻訳、紹介にとどまっている感もあり、より深い独自の考察をもとめる意見があった。
受賞者である高山百合氏をはじめとして、いずれの著者についても、今後のさらなる研究の進展を期待したい。
選考委員……岩永悦子 植野健造 田中修二 松本誠一 渡邊雄二
第6回(平成29年度授賞)……武梦茹「民国期中国の女性洋画家関紫蘭をめぐって─《少女像》(一九二九年)を中心に─」
- 第6回授賞論文
「民国期中国の女性洋画家関紫蘭をめぐって─《少女像》(一九二九年)を中心に─」
武梦茹(九州大学大学院)
- 選考過程と結論
第六回『デ アルテ』論文奨励賞の選考委員会は、平成二九年二月一八日、福岡アジア美術館会議室において開催された。選考対象は、『デ アルテ』第三二号(平成二八年六月三〇日発行)に掲載された三編の論文である。選考委員は、『デ アルテ』論文奨励賞実施要項にもとづいて、九州藝術学会幹事会によりあらたに選出された五名であり、互選により橋冨博喜委員を委員長に選任した。選考委員会は、十分な討議の結果、第六回『デ アルテ』論文奨励賞の候補として、武梦茹「民国期中国の女性洋画家関紫蘭をめぐって──《少女像》(一九二九年)を中心に──」をえらび、幹事会へ報告した。
この度の選考では、前年度までの手順をほぼ踏襲して、はじめに各論文を順位づけした記名投票をおこなった。この時点で、評点はおおかた一致し、委員間の認識に大きなへだたりのないことが確認された。その後、各委員が候補論文に対する見解を述べ、ついで自由に議論をかわした。議論のなかで、影山論文については、浮世絵師中井芳瀧の仕事を多方面から整理されたことが評価された。森論文については、装飾文様に的を絞り、緻密に作品を検討して論じている点が委員全員より評価され、周辺的なものを主役にすえて考察したところに独自性が認められるという発言があった。武論文については、現存作品や資料が不足する中で丁寧に研究を積み重ねている点や、論文の構成も整い説得力のある考察を試みている点など、委員全員から高い評価を集めた。ひとつの作品を読み解くことから出発して、それを大きな枠組みの中で位置づけようとする総合的な視点から執筆された労作であり、授賞に値すると判断された。
本論文は、一九二〇年代終わりから三〇年代にかけて上海洋画壇で活躍した女性画家、関紫蘭の《少女像》について、基本的な情報を整理したうえで、関紫蘭の芸術観が作品のうえに如何に表れているのかを考察し、またその制作意図や関紫蘭をとりまく社会背景を考慮しながら中国近代美術史における《少女像》の位置を明らかにすることを目的にしたものである。
筆者は、《少女像》の風俗やその制作過程について、当時の資料や写真を駆使して先行研究の見直しをすすめ、新たな見解を示す。とくに筆者はモデルの同定に力を入れ、師である陳抱一の幼い娘の肖像や関紫蘭の自画像という従来の説に対して、自らの妹をモデルに制作したという論を展開している。その証左として、一九三〇年に上海を訪れた中川紀元を囲んだ画室での集合写真、中川紀元による関紫蘭の妹の肖像画、及び同年の写真や雑誌記事をあげる。確かに、本作の少女を断髪の女学生だった妹に比定する筆者の説には説得力があるだろう。ただし、妹の名前が原題に一致するかどうかの課題は残るし、描かれた少女は女学生と言うには幼く見え、引き続き調査が必要だろう。なお、論拠とする写真資料の扱いにいま少し留意すべきとの意見もあった。
基本情報を整理した上で、筆者の論は、関紫蘭の芸術観とその具体的な表現へとすすんでいく。そこで筆者は、師である二人の画家、陳抱一と丁衍庸の影響を受けて、人格の修養が優れた作品を生み出すという文人的芸術観を関紫蘭が持つに到った経緯を丹念に追い、人格主義的な観点からマティス風の画風を摂取したと述べる。そして、この人格主義に基づいたポスト印象派の受容こそ、一九二〇年代に日本へ留学した陳や丁ら中国人画家が上海画壇にもたらした時代の潮流だったことを指摘し、《少女像》を、二〇世紀初頭に日中画壇が邂逅していくなかで中国美術が近代化されていく一面を示すものとして位置づけるのである。
以上のような第二章から第三章にかけての論の展開に、おおよそ異論をはさむ余地はなく、筆者の論文執筆への意欲が表れていた。ただし今後の課題として、関紫蘭の芸術観と実作品の結びつきについては、《少女像》を含めた関紫蘭の作品全体を対象に具体的に考察していただきたい。また、表現における陳抱一の影響の有無、中川紀元を介したマティス受容など、本論で言及されなかった点についても調査の必要性を感じる。
しかしながら、武論文が提起した近代の日本と中国の美術交流は、今後さらに掘り下げることで多くの新知見を生み出す可能性を十分はらむ領域だと思われる。武論文の発表意義は、まさに東アジアの近代美術研究に、新たなテーマを加え、豊かなフレームを提供した点にこそあるだろう。それが、武論文の否定的な側面や課題をおぎなってあまりあることは言うまでもない。
選考委員……小林知美(筑紫女学園大学)、橋冨博喜(近畿大学)、松原知生(西南学院大学)、ラワンチャイクン寿子(福岡アジア美術館)、渡邊雄二(九州産業大学)
第7回(平成30年度授賞)……香月比呂「ピーテル・ブリューゲル(父)作《死の勝利》―「葬儀」の場面についての一考察―」
- 第7回『デ アルテ』論文奨励賞 授賞式
授賞論文「ピーテル・ブリューゲル(父)作《死の勝利》―「葬儀」の場面についての一考察―」
香月比呂(九州大学大学院)
- 選考過程と結論
第七回『デ アルテ』論文奨励賞の選考委員会は、平成三〇年三月二日午後に福岡県立美術館会議室において開催された。選考委員は、同賞実施要項に基づき幹事会から指名された小林知美、下村耕史、西田紘子、西本匡伸、藤川哲(五十音順)である。選考に先立ち、委員互選により下村委員を委員長に選出した。
選考対象は、『デ アルテ』第三三号(平成二九年六月三〇日発行)に掲載された論文で、掲載順に、香月比呂氏の「ピーテル・ブリューゲル(父)作《死の勝利》―「葬儀」の場面についての一考察―」、石田泰弘氏の「龍安寺石庭の変遷と変革」、水野裕史氏の「狩野永納筆《秀吉鷹狩絵巻》下絵と勧修寺家」、米良ゆき氏の「ヨハン・マッテゾンの音楽論における装飾とギャラント」、江本紫織氏の「写真観賞と現実イメージの拡張―時間・場所・撮影者/提示者の再構成―」の五編の論文である。
選考において、まず各委員が持ち点六点を任意に論文に配点するという方式で記名投票を行い、合計点を集計した。香月論文が多くの点数を集めたが、水野、米良、江本論文は僅差で並んだ。その後、各委員が自身の投票について意見を述べ、続けて各論文における評価すべき点や課題となる点について真摯な討議を重ね、最終的に再度の記名投票を経て、香月論文が受賞論文に選ばれた。
香月論文は、ピーテル・ブリューゲル(父)作《死の勝利》について、従来注目されなかった「死者を弔う死」の添景的な場面に着眼し、それをエラスムス著『痴愚神礼賛』の、贖宥状による罪の軽減を願う風潮の揶揄と結びつけることで、死に襲われる深刻な光景に思わず笑いを生じさせる造形表現の路をブリューゲルが開いたことを詳らかに論じる。「死の舞踏」、「死者のための聖務日課」および「往生術」等の中世末期以来の死に関する図像との関連を踏まえた上で、従来の葬儀の場面に含まれていた最後の審判やその後の救済の示唆を意図的に避けた、その意味で近代の無神論やニヒリズムにも通じる《死の勝利》の「死者を弔う死」の場面の意義を明解に論じたことが、今回の受賞につながった。但し論文の「ブリューゲル芸術の本質」という記述での「本質」の意味を明確にし、「死」と「死者」の区別の基準を示し、聖務日課についての長すぎる記述を必要最小限に抑えるべきとの意見があった。
石田論文は、龍安寺石庭の成立と変遷に関する従来の研究を批判し検討することで、今日迄の石庭成立の過程を明らかにすることを論文の主旨とする。問題の提起と取り上げられた史料の詳細な検討は注目に値するが、論旨の運び方に分かり難さがあるとの意見があった。
水野論文は、従来未紹介の狩野永納筆《秀吉鷹狩絵巻》下絵について、関連資料を紹介し、図像成立と制作背景並びに狩野永納と当下絵所蔵の勧修寺家との関係を考察し、十七世紀後半の豊臣イメージの復興と当下絵との関連を論じる。下絵細部の詳細な説明と史料に基づく図様典拠の根拠ある提示は大いに評価される。永納における当下絵の位置づけについて言及がないのが惜しまれるとの意見があった。
米良論文は、マッテゾンの音楽理論におけるギャラント概念導入の目的を、古代のイソクラテスの修辞学と彼のギャラントとの類縁性に着目して考察し、彼の説く音楽の目的論におけるその意義を明らかにする試みである。是まで重視されなかった修辞学との関連で彼の理論の独自性を指摘する試みは多とすべきであるが、彼のギャラント概念と同時代の美術のそれとの関係および同概念の後世への影響についての言及があれば、同概念の史的位置が一層明らかになるとの意見があった。
江本論文は、従来の銀塩写真とデジタル写真を比較して、銀塩写真では撮影対象が観者に現実のイメージを強く与えるのに対して、デジタル写真では現実の断片化と時間性の希薄化の印象が強くなる一方で、仮想的再構成の世界が拡大することを指摘する。論文を通して写真の現実認識とイメージ読解の区別が一層明確であればとの意見があった。
もとより、今回選考の俎上にのぼった論文はいずれも甲乙付けがたい労作であり、委員会では白熱した議論となった。受賞者の香月氏のみならず、各氏の今後の研究の進展に大いに期待したいと思う。
【2018年7月28日:追記】
後小路代表により、香月氏に賞状と副賞が授与された。
選考委員……下村耕史、小林知美(筑紫女学園大学)、西田紘子(九大芸術工学部)、藤川哲(山口大学)、西本匡伸(福岡県立美術館)
選考対象となる『デ アルテ』第34号(平成30年6月30日発行)掲載論文が2編であったため、賞の選考を延期し、次号の『デ アルテ』第35号(令和元年6月28日発行)の掲載論文9編と合わせて選考することとした。
第8回(令和2年度授賞)……1)日野綾子「河鍋暁斎《山姥図》―図像と制作背景に見る明治期の暁斎―」
……2)野口朋子「十一代将軍徳川家斉期の婚礼道具に関する基礎研究」
- 第8回『デ アルテ』論文奨励賞 授賞式
1)授賞論文「河鍋暁斎《山姥図》―図像と制作背景に見る明治期の暁斎―」
日野綾子(九州歴史資料館)
2)授賞論文「十一代将軍徳川家斉期の婚礼道具に関する基礎研究」
野口朋子(昭和女子大学非常勤講師)
- 選考過程と結論
第八回『デ アルテ』論文奨励賞の選考委員会は、令和二年三月二〇日午前に、福岡市美術館レクチャールームにおいて開催された。選考委員は、同賞実施要項にもとづいて、九州藝術学会幹事会によりあらたに選出された青野純子、岩永悦子、小林知美、末吉武史、西本匡伸、ラワンチャイクン寿子、渡邊雄二(五十音順)である。選考に先立ち、委員互選により渡邊委員を委員長に選任した。
本選考は『デアルテ』第34号(2018年発行)、第35号(2019年発行)に掲載の論文について行った。第34号には2編の論文のみであったことから、次号とあわせて選考することとなり、第35号は9編の掲載で合計11編の論文が選考対象となった。これらの論文は寄稿から九州藝術学会査読委員の査読を経たのち掲載となった。
学会員の日ごろの研究成果を示した今回の候補論文であったが、なかでもテーマ、論述、内容に優れたと思われる論文について選考委員が各専門分野の見地から意見交換した。候補の中で、九州の古代彫刻制作に観世音寺講師が果たした役割を示した宮田太樹氏の論文、システィーナ礼拝堂壁画装飾を「競作」した作家、工房の状況について検討を加えた荒木文果氏の論文、見失われていたラファエル・コラン《眠り》(1892年)の所在を確認し、サロンでの評価の分析を通してコラン作品の特質に迫った三谷理華氏の論文、箏譜集の写本の比較研究を行い、演奏家としての経験との両面から箏譜所載の楽曲を復曲した劉一葉氏の論文も新しい視点や方法論を示したことで評価されたが、委員全員によって次の2つの論文を最終選考論文として、ほぼ同じ評価の推挙をした。
一つは日野綾子氏の「河鍋暁斎《山姥図》―図様と制作背景に見る明治期の暁斎―」(『デアルテ』第34号)。もう一つが野口朋子氏の「十一代将軍徳川家斉の婚礼道具に関する基礎研究」(『デアルテ』第35号)である。
この二つの論文がほぼ同評価でありながら、一方は近代の絵画作品の検討から作者像を再考するというもの、もう一方は儀式にともなう江戸時代の工芸品制作にまつわる組織、制度への考察を促すというもので、論文の性格が大いに異なり、同基準で優劣をつけることがむずかしく、どちらも今後の研究の発展が期待できるということから委員会では両者に奨励賞を贈呈したいと考えた。
日野氏の論文は河鍋暁斎という狩野派に学び、江戸時代末期から明治期にかけて活動した画家の明治期における作品《山姥図》が、1884年の第二回巴里府日本美術縦覧會に出品されたことを推察し、特異な主題を採用しながら、作者の意欲的な創作の末に作られたことを示した。そして、本作品は暁斎による近代日本の国内外の美術活動の振興、とくに欧米への日本独自の作品として出品されたものとした。《山姥図》は暁斎がその高い技術を駆使しながら、近代の美術政策を踏まえて意欲的な制作を行ったことを示し、作品論により作家像の変更を促す内容であった。委員からはその論旨の明快さ、作品の描写、位置づけに関する社会、文化状況の裏付けをあとづけるほか、近代作品でありながら、近世の絵画への視点をも合わせた論調などが評価された。
一方、野口氏の論文は漆器を中心とした江戸時代の将軍家など武家婚礼道具の意匠、史料による婚礼道具の記載の検討を通じて、武家の作法、職人制度などから、婚礼道具を体系づけようとするものである。婚礼に関する工芸品について、優品として個々の作品論を述べるのではなく、これまで構造的に顧みられることが少なく、地域や武家の家ごとでの紹介にとどまっていた作品群を江戸時代の武家作法や制度から制作の背景、経緯、用途などを追求しようとするもので、美術史にとどまらず、武家制度、職人制度など大きく文化史の視点から見直すべきことを指摘する。本論に至るには地道な調査や着実な認識を必要としたであろうが、論文ではこれまでの調査研究の蓄積を披露して、他分野の研究者までも呼びかけるものである。
以上、奨励賞の選考委員会における意見をもとに日野氏、野口氏の論文が受賞の対象にあたると考えた。両論文を推薦するのは、それぞれの論文が作品を跡付ける視点の大きな相違にもかかわらず、ともに美術史論文として、十分な調査研究にもとづいて、そこから得られた見解を論文として提示し、さらにテーマ、認識を広げる可能性を示すと考えられるためである。
今回の『デアルテ』論文奨励賞受賞を機に両氏の研究が、今後さらに発展することを期待して、奨励賞を贈呈するものである
【2020年9月30日:追記】
賞状と副賞は、後日、学会事務局をとおして両氏の手元に届けられた。
選考委員……青野純子(明治学院大学)、岩永悦子(福岡市美術館)、小林知美(筑紫女学院大学)、末吉武史(福岡市博物館)、ラワンチャイクン寿子(福岡アジア美術館)、渡邊雄二(九州産業大学 委員長)、西本匡伸(福岡県立美術館)
第9回(令和3年度授賞)……中島由実子「橋本関雪《木蘭》にみる画家の中国観―近代日本における「中国」表現の一例として―」
- 第9回『デ アルテ』論文奨励賞 授賞式
授賞論文「橋本関雪《木蘭》にみる画家の中国観―近代日本における「中国」表現の一例として―」
中島由実子(福岡県立美術館)
- 選考過程と結論
第九回『デ アルテ』論文奨励賞選考委員会は令和三年二月一四日、Zoomによるオンラインにおいて開催された。選考委員は、九州藝術学会幹事会によって選出された五名であり、選考に先だち植野健造委員を委員長に選出した。選考対象は『デ アルテ』第三六号、令和二年六月発行、に掲載された次の三編の論文である。武梦茹「近代中国の女性洋画家関紫蘭と中川紀元―中国服の女性像を中心に―」、中島由実子「橋本関雪《木蘭》にみる画家の中国観―近代日本における「中国」表現の一例として―」、羽田ジェシカ「塩月桃甫《徳川家康 バンチャー国人引見図》を巡る考察」。
選考委員会は討議の結果、第九回『デ アルテ』論文奨励賞を、中島由実子「橋本関雪《木蘭》にみる画家の中国観―近代日本における「中国」表現の一例として―」とすることに決定した。選考では、冒頭あるいは途中で、『デ アルテ』第三六号の掲載論文が三本と少数であるものの各論文の内容は一定の水準に達しているため賞を選出することに問題はないこと、先に受賞歴のある執筆者であっても再受賞もあり得ること、さらに執筆者の過去の研究成果を考慮にいれることはあるが、基本的に当該論文のみをもって選考の対象とすることなどを確認した。初めに各委員が第一候補、第二候補、第三候補を表明した。この時点で受賞候補は中島論文と羽田論文に絞られた。次いで各委員が講評を述べ、議論を行い、改めて各委員が第一候補のみを表明した。その結果、中島論文が四票、羽田論文が一票の結果となった。再び各委員が自身の投票について見解を述べ、議論をかわし、意見が収束したところで、中島論文を『デ アルテ』論文奨励賞に選出することが承認された。羽田論文については、同主題を異なる視点から論じた別の論文が二編ある旨が論文中に述べられていたが、その内容を簡潔にでも再録した方が良かったのではないかとの意見があった。
中島論文は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家・橋本関雪(一八八三〜一九四五)が一九一八年の第一二回文展に出品した《木蘭》について取り上げる。同作品は漢詩「木蘭辞」を主題としており、関雪の同主題の《木蘭詩》《木蘭詩巻》の二作品や他の作家の作品と比較検討することによって、関雪の「木蘭辞」受容の状況や中国観を明らかにしようと試みている。結論として、《木蘭》が橋本関雪の中国への高い関心と豊富な知識に基づいた独自の中国観が示された、近代日本美術史でも注目すべき作例であることを提示した。中島論文は、主題となるテキストの検討、作家の同一主題の作例、先行する時代あるいは同時代の他の作家の類似する主題の作例の探索と比較、表現方法の特色の検討など、オーソドックスな作品論と言える。堅実な研究方法と論述内容は好感が持てるものであるとの意見が複数の選考委員から出された。ただし、橋本関雪の漢籍趣味や関雪や同時代の「支那趣味」については、その実情をさらに掘り下げることを望むとの意見が出されたことも記しておく。
武論文も羽田論文もそれぞれに従来見られなかった研究領域へと探求を試みる研究姿勢を評価する意見が出された。受賞者である中島由実子氏をはじめとして、いずれの執筆者についても、今後のさらなる研究の進展を期待したい。
選考委員……岩永悦子(福岡市美術館)、植野健造(福岡大学 委員長)、菊屋吉生(山口大学名誉教授)、田中修二(大分大学)、ラワンチャイクン寿子(福岡アジア美術館)
選考対象となる『デ アルテ』第37号(令和3年6月発行)掲載論文が2編であったため、賞の選考を延期し、次号の『デ アルテ』第38号(令和4年6月発行)の掲載論文6編と合わせて選考することとした。
第10回(令和5年度授賞)……1)李宜蓁「雪菴筆『羅漢図冊』と元時代の頭陀教」
……2)�燻R環「アングル作《オシアンの夢》−一八一三年完成時における表現選択についての一考察−」
- 第10回『デ アルテ』論文奨励賞 授賞式
1)授賞論文「雪菴筆『羅漢図冊』と元時代の頭陀教」
李宜蓁(九州大学大学院)
2)授賞論文「アングル作《オシアンの夢》−一八一三年完成時における表現選択についての一考察−」
�燻R環(九州大学大学院)
- 選考過程と結論
第一〇回『デ アルテ』論文奨励賞選考委員会は令和五年二月一八日、Zoomによるオンラインにおいて開催された。選考委員は、九州藝術学会幹事会によって選出された五名であり、選考に先だち植野健造委員を委員長に選出した。選考対象は『デ アルテ』第三七号、令和三年六月発行に掲載された二編、『デ アルテ』第三八号、令和四年六月発行に掲載された六編、計八編の論文である。第三七号については、掲載論文が二編であったため、次号の第三八号の掲載論文と合わせて選考することとなっていた。会議の始めに次の二つのことを審議し確認した。一として、過去『デ アルテ』第三四号と第三五号の合併選考の際に二人に第八回『デ アルテ』論文奨励賞を授与した先例があるが、今回の選考にあたっては原則として一人への授賞を想定して選考を始め、その過程で甲乙つけがたい論文が並立した場合は二人への授賞も検討する。二として、第三八号に掲載された「研究動向」は記事の性格、字数、査読委員数などの理由から選考の対象としないこととする。
選考委員会は討議の結果、第一〇回『デ アルテ』論文奨励賞を、李宜蓁「雪菴筆『羅漢図冊』と元時代の頭陀教」と�燻R環「アングル作《オシアンの夢》―一八一三年完成時における表現選択についての一考察―」の二編の論文に授与することを決定した。
初めに各委員が有力候補論文を表明し、その理由を述べた。その後、各委員が第一候補(三点)、第二候補(二点)、第三候補(一点)までの論文を傾斜配点方式で投票した。その結果、李宜蓁氏の論文が八点、�燻R環氏の論文が七点、その他四点が二名、三点が一名、二点が二名の結果となった。一位の李宜蓁氏と二位の�燻R環氏との点差はわずか一点のみであり、二位と三位との差が三点と開いたため、李宜蓁氏と�燻R環氏の二名に賞を授与することを決めた。
李宜蓁氏の論文は、元時代の画僧である雪菴の「羅漢図冊」(静嘉堂文庫美術館蔵)を、画家が頭陀教徒であった点に着目して考察するものである。まず論文では、当時の頭陀教が、禅宗や弥勒信仰を重視したことから、本図に達磨や弥勒などの図様が選択されたこと、更にその他の羅漢のモチーフにも、頭陀教の教義等が反映されていることを明らかにした。更に絵画表現についての考察は、南宋までの道釈人物画における逸品画風や罔両画の描法との関係、また当時の江南文壇における「書画一致」の理念の反映にまで及び、本作の美術史的な位置付けと、雪菴の元代文人サークルとの関わりを明らかにした。絵画表現と文字史料の緻密な分析に裏付けられたこれらの考察には説得力があり、これまで中国絵画史のメインストリームに位置付けるのが難しいとされてきた本作を、新たに元時代絵画の重要な作例として位置付ける論文として評価できる。
�燻R環氏の論文は、アングルの代表作《オシアンの夢》を、クイリナーレ宮殿における皇帝ナポレオンの寝室という特異な受容空間、および一九世紀初頭のローマにおける国際的な芸術環境という、二つのコンテクストに照らして分析することで、完成当時の作品像を再構築した労作である。まず主題選択の経緯を追跡した上で、アングルによる構図決定のプロセスを、素描やステルンによる評価など、複数のイメージやテクストと比較・照合することにより、説得力あるかたちで明らかにしている。しかし本論文において最も興味深いのは、同じく寝室の天井を装飾していたクベーロによる石膏フリーズとの「視覚的調和」に対する意識が、アングル作品に及ぼした多様な影響についての緻密な分析である。モノクロミーがもつ異次元表象機能については、辻佐保子氏ほかによる先行研究が存在し、それらが参照されていない点が惜しまれるが、アングル作品がもつ社会的構築物としての側面に光を当てようとする姿勢は斬新であり、高く評価される。
受賞者以外の論文もそれぞれに新知見を多く含み、従来見られなかった領域へと探求を試みる研究姿勢を評価する意見が出された。受賞者である李宜蓁氏と�燻R環氏をはじめとして、いずれの執筆者についても、今後のさらなる研究の進展を期待したい。
選考委員……浅野ひとみ(長崎純心大学)、植野健造(福岡大学 委員長)、都甲さやか(大和文華館)、福井尚寿(佐賀県立博物館)、松原知生(西南学院大学)
第11回(令和6年度授賞)……前田佳那「五代・北宋前期における屋木門の画家たち――燕文貴「江山楼観図巻」の理解にむけて――」
- 第11回『デ アルテ』論文奨励賞 授賞式
授賞論文「五代・北宋前期における屋木門の画家たち――燕文貴「江山楼観図巻」の理解にむけて――」
前田佳那(九州大学大学院)
- 選考理由と結論
第一一回『デ アルテ』論文奨励賞の選考委員会は二〇二四年三月二二日(金)午後に、Zoomによるオンライン形式により開催された。選考委員は、同賞実施要項にもとづいて、九州藝術学会幹事会によりあらたに選出された五名である。選考に先立ち、小林知美委員を委員長に選任した。選考対象は、『デ アルテ』三九号(二〇二三年発?)掲載の、落合桃子「ティエポロ《アポロと四大陸》(ヴュルツブルク)の像について」、本田代志子「浅草における生人形の見世物興行」、城市真理子「佛通事含暉院障壁画の「筆者問題」の検討」、前田佳那「五代・北宋前期における屋木門の画家たち―燕文貴「江山楼観図巻」の理解にむけて―」の四本の論文である。
選考委員会は討議の結果、第一一回デアルテ論文奨励賞を、前?佳那「五代・北宋前期における屋木門の画家たち―燕文貴「江山楼観図巻」の理解にむけて―」とすることに決定した。選考過程では、まず『デ アルテ』三九号掲載された研究動向を除く論文のみを対象とすることが確認され、選考方法について議論がなされた。対象論文の数が比較的少ないため、通例の加点投票方式を用いず、各委員が全ての論文について、受賞候補としての順位も含めて見解を述べ、その後あらためて意見交換をするという方式を取ることに決定した。各委員が見解を述べた時点で、見解の方向性に大差がないことが確認され、さらなる議論をかわし、前田論文をデアルテ論文奨励賞に選出することが承認された。
前田論文は、これまで着目されることのなかった「屋木門」という絵画ジャンルの興隆に光を当て、北宋山水画史に新たな見方を迫る内容である。建物や船などを描く「屋木門」は、北宋前期に絵画ジャンルとして初出するが、その興隆と時代相の関係を、作品観察と史料分析の両面から明るみに出している。筆者はまず作品観察から、北宋前期の燕文貴「江山楼観図巻」に、卓越した屋木描写によって、ある種生々しい現前たる世界が表現されていることに着目し、そこに北宋後期の詩情豊かな山水画とは異なる価値観が認められると想定する。次に史料分析から、燕文貴ら屋木門の画家を登用したのが、燕文貴らと同じ南唐・呉越の遺臣であった劉承規ら官僚であり、彼らが北宋建国期の芸術事業をオーガナイズしていたこと、北宋後期に台頭した文人官僚が、南方勢力の人材に取って代わったため、それ以降は文治主義を背景とした理想的山水画が主流となり、超絶技巧的な屋木門は評価から外されていったという過程を明らかにしている。すなわち、「山水」は文(文化的側面)を示すのに対し、構築物である「屋木」は実利(科学的側面)を示すモチーフであり、両者が拮抗した「江山楼観図巻」の緊張感を持った美しさは、北宋前期の実利主義的で活気に満ちた時代相の反映であると結論づけている。本論文は、若い研究者としての勢の故か、用語の内容規定の不明瞭さや文章の乱れが散見されるものの、挑戦的な問題提起と、作品と史料の緻密な分析が見事に調和した大作といえ、奨励賞を受賞するにふさわしいと評価された。
落合論文はティエポロの壁画に登場する象に着目するという着眼点のユニークさが、本?論文は、文献史料の検討により、これまで知られていなかった生人形興行の実像を明るみに出した点が、城市論文は佛通寺含暉院障壁画の筆者問題に対し真摯に取り組んだ点が評価された。受賞者である前田佳奈氏をはじめとして、いづれの執筆者についても、今後のさらなる研究の進展を期待したい。
選考委員……喜屋武盛也(沖縄県立芸術大学)、京谷啓徳(学習院大学)、小林知美(筑紫女学園大学)、佐々木奈美子(久留米市美術館)、田中修二(大分大学)
topへもどる