平成16年度 活動報告




 




 

<第70回大会> 2004年7月3日(於 福岡市博物館)

  • 「聖林寺十一面観音菩薩立像光背残欠の復原についての再考察」
  •  池田久美子(仏教彫刻研究家)
     <『デ アルテ』21号、23〜48頁>
    
    
  • 「三味線音曲の正本にみる注記の研究」
  •  矢向正人(九州大学)
     <『デ アルテ』21号、133〜160頁>
    
    
  • 彦根屏風の筆者について
     黒田泰三(出光美術館)

  •  暗い官能とも称され、描かれた一五名の人物のミスチックな姿態に隠微な淫風も、また底知れぬ男女の恋情における陰翳も感じる「彦根屏風」。遊楽人物群をかくのごとく奥行きをもって描くこの作品は、日本近世初期風俗画中の最高傑作と評される。多くの先学たちによる長い研究史の間、実に数多くの成果が発表され、この作品の持つ比類なき魅力が明らかになってきた。
     ところが、これら研究のほとんどは図像解析にもとづく意味解明や制作事情を考察することに主眼が置かれてきた。尤も、それが「彦根屏風」の美的特質を考察するに際してもっとも重要であることは言を待たない。しかし、これもまた言うまでもないことであるが、そういう美的特質を造形的に成功させたのは、画家の表現力である。じゅうぶんに練られた主題の解釈と周到な表現上の仕掛けは、同種他作例の及ぶものではない。
     その画家について、従来詳細な研究がなされてきたとは言い難い。「老練な狩野派の画家」と逸名であったり、名前が出されても確たる根拠の提示なく「狩野山楽」と推察される程度であった。ただし、狩野派の画家ということで一致している。そこで本発表では、「彦根屏風」の画家が狩野派のなかのどういう人物であるのかについて、可能な限り考えてみたい。
     描かれた一五名の姿形の由来を調べていくと、一〇名は長谷川派の風俗画と狩野長信およびその周辺の作品のなかから引用されたと考えることができる。なかでもとりわけ注目したいのは、近年狩野長信の作として紹介した「玄宗・楊貴妃図屏風」(クラーク・コレクション)である。そこに描かれた楊貴妃は、「彦根屏風」のなかのひとりの女性に酷似する。
     長信と長谷川派。従来指摘されることのなかった画家のイメージをもとに、「彦根屏風」の筆者について考察する。




<第71回大会> 2004年12月4日(於 海峡ドラマシップ)

  • 「黄檗書風の源流についての考察─隠元・費隠を中心に─」
  •  劉作勝(九州産業大学大学院)
     <『デ アルテ』21号、115〜132頁>
    
    
  • 「福岡市美術館蔵 田植図蒔絵螺鈿硯箱・同料紙箱の意匠に関する考察」
  •  川畑憲子(九州大学大学院)
     <『デ アルテ』21号、49〜66頁>
    
    
  • 「和田三造の画業の岐路、新出の「樹下婦人図」を軸として」
  •  中島順一(北九州市立美術館)
     福岡市教育委員会により平成一四年度指定の市有形文化財に選定された、和田三造「樹下婦人図」(油彩・板(杉) 二面(右一八八cm×一四六cm、左、一八八cm×一四六cm) 一九〇八年(明治四一年)制作 書き込み、画面右下「明治戊申三月 三造」 福岡市中央区唐人町、紙谷睦和氏蔵)は、所蔵者が営む菓子店舗の吹き抜け二階部分に嵌め込まれていて、町の誰もが覗くことのできる開放された壁画となっている。
     画面には、花をつけた一本の桐の木を中心として、華麗な衣装をまとい優雅に髷を結い上げた、天平時代を思わせる5人の婦人が、立ち姿、あるいは蹲る姿で配置され、小鳥や草花が図案的に散らされている。藤島武二「天平の面影」(油彩 一九〇二年(明治三五年)石橋美術館蔵)に由来して当時流行した歴史主題、日本の古代に取材した絵画の系譜に連なる作品であることがまず指摘できる。
     さらに和田三造の代表作、「南風」(油彩 一九〇七年(明治四〇年) 第一回文部省美術展覧会二等賞(最高賞) 東京国立近代美術館蔵)や「_燻」(油彩 一九〇八年(明治四一年) 第二回文部省美術展二等賞(最高賞) 焼失)と全く同時期の作例であり、かつ主題、描法の著しい対照性において、その後の画業の展開を占う重要な作品であるとして位置付けることができる。
     南蛮絵更紗「山の幸」「海の幸」(染色・綿布 各四一一・五cm×二〇七cm、六二二cm×三八一cm 一九一八年(大正七年) 西日本工業倶楽部(北九州市)蔵)、「羽衣」(壁画 一九二六年(大正一五年) 旧朝鮮総督府(ソウル)内設置)などに代表される建築物内装飾絵画の制作、色彩研究、図案研究、さらに晩年の日本画制作への傾注など、その画業は油彩画のほかに多様に展開していくが、その出発点に「樹下婦人図」を置くことができる。
     今回の発表では、和田三造の画業のいわば岐路が、公的な立場にあったか、私人としての立場にあったかによって生じたことを、「樹下婦人図」を軸としながら考察、論証していきたい。

    
    
  • 「オルフェウスの図像をめぐる一考察─ 一九世紀パリのサロンにおけるギュスターヴ・モローの『オルフェウス』の位置付け─」
  •  坂井利左子(別府大学大学院)
     ギリシャ神話のオルフェウスは、古代より現代に至るまで、西洋のあらゆる視覚芸術(絵画、彫刻、オペラ、映画等)の主題となってきた。なかでも、ギュスターヴ・モローの一八六六年のサロン出品作『オルフェウス(の首を運ぶトラキアの娘)』は、今日最もよく知られるオルフェウス像のひとつである。
     その神秘的な図像をめぐっては、発表直後から賛否両論の話題を呼んだが、作品は国家買い上げの名誉を受け、当時の現代美術館、リュクサンブール美術館に展示された。一方興味深いことに、同年のサロンには、レヴィの『オルフェウスの死』が出品され、モローの作品同様、リュクサンブール美術館に展示された。さらに、両作品に先行する一八六三年のサロン出品作であるフランセの『オルフェウス』も同美術館に展示されており、事実、オルフェウスのテーマはモローの作品以前からサロンに登場していた。
     しかし管見では、モローの作品がサロンに出品されたにもかかわらず、これらの作品との関係、さらに広く見るならば、サロンにおけるオルフェウスのテーマとの関係で、モローの作品について具体的な検討がなされているとは言い難い。
     これまで、モローの『オルフェウス』に関しては、「芸術的創造の永遠性」、「理解されない詩人の運命」といった作品の象徴性が注目され、また、「死の美化と崇拝化」を提示するイメージとして考察されてきた。本発表では、こうした従来の研究状況を踏まえつつ、19世紀の芸術家にとって最も重要な作品発表の場であったパリのサロンに見るオルフェウスの図像変遷、という新たな側面からモローの作品について検討し、その位置付けについて考察を試みたい。そこでまず、これまで部分的にしか把握されていなかった、サロンにおけるオルフェウスの主題の作品に関し、JANSONの復刻版パリ・サロンのカタログを参照して、一七九一年から一八八一年までの基本データを示す。それらを主題別に分類した資料及び図版等を用いて作品の特徴や傾向を分析することで、サロンで支持されたオルフェウス像の全体像を明らかにし、モローの作品との関係、同作品が示す意義について考える。

    
    
  • 見学会

  • 出光美術館(門司) 「漂泊の詩人 芭蕉」展
    関門近代建築めぐり
    下関唐戸地区(秋田商会、旧英国領事館、旧下関郵便電信局電話課ほか)
    門司港地区(旧門司税関、門司港レトロ展望室ほか)
    重文旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)、和田三造「海の幸」見学

    
    
    
    

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