平成17年度 活動報告




 



 

<第72回大会> 2005年7月2日(於 福岡県立美術館)

  • 「『蒙古襲来絵詞』にみる文永の役での竹崎季長着用大鎧威色目について―小桜萌黄返韋の再現を試みて―」
  •  佐藤佳代(九州産業大学非常勤講師)  
     <『デ アルテ』22号、95〜115頁>  
    
    
  • 「香月泰男の「東洋」―〈石と壷〉をめぐって―」
  •  林田龍太(九州大学大学院)
     <『デ アルテ』22号、29〜53頁>
    
    
  • 「国際美術展とグローバリゼーション―展覧会企画者の理論と実践―」
  •  藤川 哲(山口大学)
     <『デ アルテ』22号、5〜27頁>



<第73回大会> 2005年12月3日(於 長崎県美術館)



  • シンガポールの「木刻運動」―南洋華人社会の西洋美術受容の一側面―
     羽田ジェシカ(九州大学非常勤講師)

  •  発表者は二〇〇三年から数回にわたってシンガポールに残された一九三〇―一九五〇年代の華語刊行物を対象として、当時の美術活動についての調査を行った。その結果、この期間シンガポールの華人社会で木版画の活動が盛んであったこと、そして一九三〇年代には既に、中国「木刻運動」のリーダとされた魯迅と直接の関わりを持った作家たちが南洋で活躍していたことが見えて来た。つまり、魯迅を導師として仰ぐ広東出身の作家たちによる、「木刻運動」の一環としての木版画創作活動が、この時期のシンガポールに存在していたのである。
     一九三〇年代の中国の若者は、ドイツ、ソ連、日本などの地域の木版画を、他の西洋美術のジャンルと同様に、新しい「美術」として捉えていたようである。彼らにとって、木版画は先進的な表現媒体であった。作家たちの多くは美術学校で西洋画を専門とした人たちであり、中には日本に留学して美術を学んだ人たちもいた。例えば広州の作家たちは、日本留学の李樺を中心に木版画活動を行い、日本とヨーロッパで流行のスタイルや題材を、木版で表現していた。しかしその後、日本の軍事活動の拡大が中華民族主義を煽動していくに伴い、「美」のために作られた作品は現実の社会では無価値とみなす風潮が、美術界を席巻するようになる。木版画制作も民族運動の「木刻運動」と形を変えた。日中戦争の拡大につれて「木刻運動」はますます盛んになり、南洋の華人社会まで広がった。広東出身の作家たちのネットワークにより、「木刻」はシンガポールの華語学校に深く根をおろし、一九五〇年代末まで華人美術の重要なジャンルであった。
     シンガポールにおける「木刻運動」の精神は木版画だけに留まらず、芸術創作一般に影響を与えた。「木刻」作家たちは、美術とは何か、美術は何のために作られるのか、という根源的な問いに大きな関心を寄せ、エキゾチックな視点から異民族の女性、熱帯風景などを描くことを、真の美術創作活動ではないと批判した。この理念は五〇年代の華語華人の若者の間に広く支持されていたが、その後の政治情勢の変遷に巻き込まれ消えて行った。当時の論議と活動を記録した華語刊行物は、政治的な理由で僅か一部分しか残されていないが、当時の華人社会の西洋美術受容の実況を映し出す貴重な資料である。本発表はこれらの一次資料を用いて、シンガポールの「木刻運動」に光をあてることより、当時の南洋華人社会における西洋美術受容の一側面を検討する。
     <『デ アルテ』23号、19〜40頁>

    
    
  • 肥前松浦の美術
     大石一久 (長崎歴史文化博物館)
     中西真美子(崇城大学)
     竹下正博 (佐賀県立博物館)
     石原 浩 (八代市立博物館)

  •  さる一一月三日、長崎歴史文化博物館が開館しました。さきだって春にオープンした長崎県美術館とあわせ、中国やヨーロッパとの交流の華やかな歴史に彩られた崎陽長崎の美術を存分に楽しむことができます。
     重要文化財の泰西王侯図屏風に代表される南蛮美術、沈南蘋の花鳥画、司馬江漢の洋風画、黄檗美術、青貝細工、長崎刺繍、長崎ガラス、長与三彩など、日本近世期に特異な位置を占める花ばなが群れ咲いています。
     桃山時代に突如としてあらわれたかのように思える長崎ですが、その前史として、中国人海賊の王直を擁し、長崎に先駆けてポルトガルの船をむかえた松浦地方の存在があったことを忘れることはできません。古代より対外交流の要所であった松浦の歴史については諸書にとかれるところですが、その地の古い美術について、ひろく見渡そうとする試みはなかったように思えます。高麗仏など朝鮮半島の仏教美術に優れた作品がおおく、注目されるところですが、そのあまりにも個性的な一面が、ほかの側面をみえなくしているのではないでしょうか。
     今年の冬と夏、松浦地方の寺院を訪れ、調査の機会を得ました。平安後期の正統な作風をしめす金銅仏を平戸市で、南北朝時代の西国湛派の在銘作品や高麗時代後期の金銅仏の佳品を松浦市で見いだすことができました。この地域のながい歴史が生んだ多様な文化のあらわれのように思えます。  これらの作品は、これまでほとんど知られていませんが、その出来映えの見事さ、在銘作品であること、地域的特色を有することなど、九州あるいは日本美術史を考えるうえで重要な作品であることは疑いのないものばかりです。
     今回の発表では、まず大石一久が松浦の歴史についてご案内します。つぎに、中西真美子が平戸市・大聖寺の金銅大日如来像(平安時代後期)、竹下正博が松浦市・寿昌寺の如意輪観音像(康永三年 仏師幸心作)、石原浩が松浦市・慈光寺の金銅如来像(高麗時代後期)を紹介します。
     前史としての松浦を知ることは、ややもすると孤絶した感のある崎陽長崎の美術史を過去に結び、ひいては肥前あるいは九州の文化史を潤すことにもつながるのではないかと期待しています。

    
    
  • 見学地

  •  長崎歴史文化博物館
     野口弥太郎記念美術館
     日本二十六聖人西坂の殉教地




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