Th. W. アドルノ(1903-1969)は20世紀ドイツを代表する思想家の一人であり、彼の思想の射程は美学や音楽を中心とした藝術論から哲学や社会学にまで及んでいる。この様に多岐にわたる領域で展開されたアドルノの思想は極めて難解なものとして知られているが、彼の思想を理解する為に幅広い領域で専門的な知識が求められることや、彼の著作が複雑な文体を用いていることだけに理由がある訳ではない。むしろアドルノの思想の難解さは、その思想が「非同一的なもの」を軸とした否定弁証法の形態を採っており、演繹的にも帰納的にも思想の到達点が明確に語られない点に大きく起因している様に思われる。そこで本発表では、彼の著作の中でも大きな割合を占める美学・藝術学分野を中心にして、自然美や藝術の問題がアドルノの思想の形成や意義に如何に関わるのかを考察する。
アドルノは哲学上の主著の一つ『否定弁証法』(1966)において、「曰く言い難いこと」に対して沈黙せざるを得ないと語るヴィトゲンシュタインに反して、まさに「語り得ないことを語る」ことこそが哲学の役割だと断じている。人間の認識能力を超える物に対して積極的な言明を避けるのは、中世における否定神学やカントの認識論における「物自体」など、哲学史上しばしば見られることである。また、ヘーゲルの体系的思考は絶対精神に客観を綜合するが、全体性を志向する体系的思考では体系の外を想定することは出来ないし、社会的生物である人間にとって社会の外に存在するものに関与することも不可能なことである。このように人間の認識、思考、行為などの限界の外に存在するものをアドルノは「非同一的なもの」として語ろうとするのである。
このようなアドルノの試みは、全く人間の手によらない自然と人為的なものを如何に和解させるか、という問いの形で初期の「自然史の理念」という講演から一貫して問われ続けてきた。そこで決定的な影響を与えたのはルカーチやベンヤミンの藝術論であり、またアドルノが行っていた初期の音楽評論にその萌芽が見て取れる。アドルノによれば、自然は認識の対象や労働の素材として関わる場合には単に合理的に処理されるのみであるが、合理的態度の枠を超えて経験された時に突如「非同一性の痕跡」である自然美として立ち現れる。そのような自然美は主観的枠組みを対象に適用する概念的把握を拒み、対象に主観を合一させようとする「ミメーシス的態度」を喚起するとアドルノは考えるのだ。そして藝術は「ミメーシス」の産物であり、藝術もまた「ミメーシス的態度」を要請する。美的経験に基礎付けられたアドルノの思想は、「ミメーシス」を概念的思考で実現しようとする格闘だと言えよう。アドルノにとって自然美の経験と藝術の存在は、「非同一性」を持つものとして現状を批判すると同時に人間の限界を超える可能性を約束するものだったのである。