人間環境学への想い

1.昨年末に参加したIUAESからはしばらく時が経ってしまったので、話題を変えようと思います。話題は最近、募っている想いでもある、人間環境学についてです。

2.この話をする前に、迂遠な話ですが、これまでの大学の話から始めたいと思います(私が念頭に置いているのは、戦後日本の大学で、しかも私が直接知っているのは、バブル経済崩壊後の大学です)。これまで、大学というのは、研究者にとっては永遠の所属先という感覚はあまりなかったと思います。大学といっても、総合大学では、全体が巨大で、一生会わない教員の方が多いかもしれません。なので、そうした大学がひとまとまりになっているのは、一人の教員から見ると、ある種の幻想のようなもので、研究者というのはその人が専門に研究する主題を的確に相互評価してもらえると期待できる学会こそが半永久的な所属先でしたし、現在もそういう感覚が大半なのだろうと思います。

3.研究者は、それゆえ、学会での評価を気にします。具体的には、学会が開催される全国大会での口頭発表、学会が発効する専門誌、学会を運営する編集委員会や理事会などにどれだけ寄与したかが評価されます。そうして、そこでの実績を上げれば上げるほど、研究者の自由度は増します。具体的には、自分が所属したい大学が選べるようになるのです。なので、研究者にとって、大学というのは永続的な所属機関というよりも、一時的な乗り物のようなものであり、別の大学から招かれたり、別の大学に応募したりして、大学を変えて行くのが研究者の社会階梯なのでした。現在でもこうした研究者が大半だろうと想像します。社会科学で言えば、法学、政治学、経済学、経営学、社会学、人類学、地理学、民俗学、心理学など、それぞれが学会をもっており、そこでの階梯をあがることで、大学を変えていったのでした。

4.ところが、1970年代から、世界的に環境問題があちらこちらで話題になり始めます。戦前からあった問題ではあったのですが、主には工場から排出される様々な物質、時には生産品それ自体が、環境汚染・人体汚染をし始め、ついに環境や身体がそれに耐えられなくなって、その在り方が地球規模で問題になるのが、この頃からで、象徴的だったのが、ローマクラブの刊行した『成長の限界』と、レイチェル・カーソンの刊行した『沈黙の春』だったと思います(言うまでもありませんが60年代はその他に、世界的には色々ありますが割愛します)。

5.それで、世界的にこの頃に、それまでの学問へのかなり執拗な批判が出てきます。それが科学哲学の流行であり、(私は科学というより工学ではないかと思うのですが)近代科学の相対化・批判化のなかで、「デカルト流の心身二元論」「還元主義批判」が出てきます。つまり、世界を心ある世界と心ない世界に分け、後者をある原理・原則・法則に還元して分析的に理解するやり方で進めてきた結果、地球環境という全体が死角になってしまっていたのではないか、という反省でした。そこで、これまで中心的価値を担っていた科学から哲学へのシフトがありましたし、政治学や経済学といった学問への懐疑のまなざしが学生から生まれてきて、人類学や民俗学が、より包括的なものの見方を呈示する学問として隆盛をきわめた訳でした。

6.70年代に学生だった彼らが、ある者は研究者になり、ある者は官僚になり、ある者は企業人になり、当時の問題意識を通過した人間が、社会の中堅になってゆくのが90年代前後からです。そこで、環境社会学や臨床社会学、環境民俗学や環境心理学などがそれぞれの学会から提案されるようになり、要するに人間に焦点を絞っていたそうした社会科学が環境や身体という主題を再度取り込もうとしてきて、また方法的にはそれぞれの学問の中で中心的だった計量可能なものから記述的なものへのシフトが生じてくるのですが、さて、当初の問題だった地球環境や人体環境の危機に届くような学問に鍛え上げられてきたのだろうか、というのが私の素朴な疑問です。

7. 私自身は1999年に九州大学人間環境学研究科(当時は研究学府は存在していなかった)に進学し、それから10年以上が過ぎました。九州大学人間環境学研究科出身の教員が、九州大学人間環境学研究院に雇用されることも生じ始めています(臨床心理学の増田先生、実験心理学の光藤先生、人間共生論の私など)。しかしどうもまだ届かない。初志を共有できているのかどうかも不確かだなぁ、と思ってこの数年過ごしてきました。そうしている間に、2年前の大震災と津波、放射能汚染が露見し、また、今も続き、もちろん私たちは九州に居るので、ここからの距離感というものはあるにせよ、学問が本当にこのままで良いのだろうか、と思い続けてきた2年でした(いや、正確には、個人的に世界的におかしくなってきたな、と感じ始めたのは2001年の9月11日からでした。ただそれはどちらかと言えば政治のメディア・イベントであり、70年代の地球環境危機の方が私には根本的なように思われます)。

8.こうして、私は今でも時には私一人ではないかと感じながら、人間環境学というものに憧れを抱いています。今や教員になったので、自分がやって見せる番になっている訳で、そうした視点から振り返ると、これまでの学会の方が私には乗り物になりつつあります(人間環境学という学会もあり、去年見学に行ってきましたが、日本の人間環境学会は、心理学的手法を用いる学会かな、という印象でした)。かといって大学が永続的な所属先と感じているかと言えば、いやぁ、それはそれは。ただ、九州・沖縄地区で人間環境学をやるというのは 色々な意味(九州・沖縄地区内での歴史を振り返っても、九州・沖縄地区がアジア大陸や太平洋に開かれているという意味でも)で、「良い場所にいるな」と思うので、今年もその初志を忘れずに、人間共生論で今の自分が世界に生きて行く上で重要と思われる主題を探求していきたいと思います。


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