※ 死について:
この世における人々の命は、定まったすがたなく、
どれだけ生きられるかわからない。
いたましく、短くて、苦痛をともなっている。
生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。
実に生あるものどもの定めは、このとおりである。
熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、
死なねばならぬ。かれらにはつねに死のおそれがある。
たとえば、陶工のつくった土の器がついには
すべて破壊されてしまうように、
人々の命もまたそのとおりである。
若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る。
かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、
父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。
見よ。見まもっている親族がとめどもなく悲嘆に暮れているのに、
人は屠所に引かれる牛のように、一人づつ、連れ去られる。
このように世間の人々は死と老いによって害われる。
それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。
汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。
汝は(生と死の)両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。
泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。
ただかれにはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。
見よ。他の[生きている]人々は、また自分のつくった業にしたがって
死んでゆく。
かれら生あるものどもは死に捕えられて、この世で慄えおののいている。
たとえば家に火がついているのを水で消し止めるように、
そのように智慧ある聡明な賢者、立派な人は、悲しみが起こったのを
速やかに滅ぼしてしまいなさい。--- 譬えば風が綿を吹き払うように。
己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、
己が(煩悩の)矢を抜くべし。
(煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、
あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。
Suttanipaata, 574-582, 584, 587, 591-593
※ 欲望について:
世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。
わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、
すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを
見つけなかった。
この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。
この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆けめぐることもなく、
沈むこともない。
Suttanippata 937, 939
※ 縁起について:
あらゆるものは原因があって生じる。
その原因を如来は説いた。
そしてまたその滅却をも。
偉大な沙門はこのように教えたのである。
Mahaavagga 23, 5