文学部 哲学コース インド哲学史 専攻 専門科目 (2単位) |
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後期・通常 木曜2限 |
授業の概要 | 「西洋にしか哲学はありえない」というのは,西洋にしか音楽がない,というのと同じく,自らの知的興味の狭さを曝け出すだけである.インド哲学・宗教文献の中に確かに息づく精神の妙を,資料から直接に味わい共有したい.できるだけ一次資料に基づきながら,ダイレクトにインド人の思想を鑑賞する.そこに人間の思考に普遍的なパターンを見出したい. ひとくちに「インドの哲学」「インドの宗教」あるいは「ヒンドゥー教」といっても一枚岩ではなく,多様で雑多な宗教・学派の集合である.聖典ヴェーダに始まり,護教論的な文献群や,さらには,認識論や論理学の膨大な文献が現在に至るまで残っている.代表的な思想を概観し,いくつかについて詳細に見ていきたい.いわゆる「教科書的な思想史概説」ではなく,思想そのものについて,作者の世界をのぞき見たい.当時の「インド哲学」の実況中継ができれば幸いである.現代日本で目にすることの少ないインド哲学の世界を「少しばかり覗き見したい」という向きにお勧めの授業である. 「なんでここまでしつこく考える必要があるのか」と思うほどにディープなインド古典哲学世界を再現したい.哲学は「役に立つ」ものではない.それは,音楽を聴いたり絵画を鑑賞しても,一銭の得にもならないのと同じである.インド哲学は中でも(現代日本においては)「役に立たない思弁」の代表とされている.現実から遊離した教学や神学,そして,認識論や論理学が,2000年以上に渡り,積み重ねられてきた.しかし,それは間違いなく,我々と同じ人間の思考が生み出したものである.現実の社会を背景に,バラモンの知的エリートが構築した思想体系であり,インド文化の華である.また,その成果を我々日本人は知らず知らず,仏教を通して吸収していたりする.言語的壁と知的固陋を乗り越え,サンスクリット文献の向こうにある人間の精神の構造に迫りたい. 具体的には,紀元後7世紀〜9世紀のインド哲学文献を資料に,知覚などを扱う認識論(「知る」とは何か?),討論術や論証方法(どのように証明するのか,どうして煙から火があると推論できるのか?),言語哲学(言葉から意味が理解できるのはなぜか?),聖典論(なぜヴェーダは正しいのか?),主宰神論(神が世界を作ったのは絵空事ではないのか?)などを取り上げる.玄奘が留学した当時のインド絶頂期の知的世界を再現したい. |
学習目標 | (1) 全般的な教育目標: インドの宗教・哲学の「本質」に迫る. (2) 個別の学習目標: 資料から何がいえるのか,思想史構築の方法を学ぶ. |
授業の進め方 | こちらで用意したレジメ資料に基づきながら講義形式で進める. |
教科書等 | こちらで用意した資料を用いるので、特定の教科書を用いることはしない。しかし、通常の「教科書的」なインド思想史が知りたい向きには、以下の『インド思想史』を薦めておく。 <教科書> 特になし <参考図書> 『インド思想史』東京大学出版会。 |
成績評価方法 | 出席50%,小テスト(最終回に一回)50%の総合評価.毎回出席を確認する.小テストは,授業内容を理解しているかどうかを確認するためのものであり,授業に出席していれば容易に解答できるレベルのものである.授業で扱った各論点について解説を求める記述問題である. |
学習相談 | 授業後随時 |
その他 | 対象学年:2年生 3年生 4年生 教職(社会)(公民) |