文学部
文学コース
独文学 専攻
専門科目 (2単位)
ドイツ文学演習 III
講義題目:ヘルター・ミュラー II
教授小黒康正
前期・通常

火曜2限
授業の概要  総じて現代の優れた文学は、新しいポエジー言語を伴いながら、「周辺」から立ち上がってくる。その意味を我々に改めて問うのが、2009年12月にノーベル文学賞を受賞したヘルター・ミュラーの文学であろう。

 1953年、ミュラーはルーマニアのバナート地方に生まれた。そこは、18世紀にオーストリアの国家的要請を受けてドイツ・シュヴァーベン地方の人々が入植した土地である。ミュラーはこうした「周辺」の地で、1987年にベルリンに移住するまでチャウシェスクの独裁政治がもたらす恐怖に曝され続けた。処女作『澱み』(1984)は、ドイツ系少数民族の村社会に渦巻く因習や権威主義や暴力を子供の眼差しで描く「反牧歌」である。第一長編『狙われたキツネ』(1992;山本浩司訳、三修社、1997)では、秘密警察と相互密告に苦しむルーマニア80年代の日常が、不気味なメールヒェンと化す。また、最新の長編『息ブランコ』(2009)は、ドイツ系ルーマニア人が第二次世界大戦時に旧ソ連で被った強制労働という政治的タブーを扱う。総じてミュラー文学は多民族の縮図の中でマイノリティーが陥った苦難を見事に証言する。

 但し、過酷な現実を書き連ねるだけでは文学は成り立たない。ミュラーは言う、「多くの人にとって私の本は証言です。しかし私は書いている自分が証言者であると感ずることはありません。私が書くことを学んだのは沈黙からです。そこから書くことが始まりました」と。『狙われたキツネ』ではルーマニアの三色旗が「赤貧の赤、沈黙を表す黄色、監視の青」として示され、長編『心獣』(1994)は「僕らは沈黙すれば腹が立つし、喋ればとんだお笑いさ」という文言で始まり終わる。ミュラー文学における「沈黙」とは、独裁政治によって強いられた寡黙や秘密警察に対する黙秘だけではない。それは、過度な恐怖によって現実が歪められた結果、加害者と被害者、自殺と他殺、光と闇、自然と人間、これらの境界が判別しがたくなったいわば「言語」を絶する状況である。

 総じてドイツ現代文学は言語ならざる「沈黙」にことばを与えようとする矛盾を意図的に犯す。ミュラーの場合、コラージュの技法を巧みに用い、エピソードを断片化し、ことばを切りつめることで、饒舌な「沈黙」を現出させる。しかもそうした「沈黙」には倦怠と沈思による「深い憂い」が伴う。芸術の霊感源と称されてきたメランコリーが、古代ローマの農耕神サトゥルヌスや時の神クロノスと深く関わる土星的資質の知的衝動であることを忘れてはならない。ミュラー文学には、農地開拓の為に辺境に移住した人々の言語ならざる「深い憂い」が、時を経て沈殿し続けている。

 本演習では、ヘルター・ミュラー『心獣』を考察の中心に据えながら、現代文学の最先端を繙くことを目指す。
学習目標 (1) 全般的な教育目標:
ドイツ現代文学に関する知見を深める。

(2) 個別の学習目標:
ヘルター・ミュラー文学に関する知見を深めながら、ドイツ語テクストを読解する力を高める。
授業の進め方 授業は演習形式(担当者による事項説明と訳出、ならびに参加者全員による議論)によって進める。
教科書等 <教科書>
コピーを配布する。

<参考図書>
授業中に指示する。
成績評価方法 平素の成績および筆記試験。
学習相談 本授業の終了後、ならびにオフィスアワー(木曜4限)にて相談に応じる。
その他 本演習は、前年度に開講された「ヘルター・ミュラー I」の続きとして行う。但し、今回からの参加者に対しては、支障がないように配慮する。

対象学年:2年生〜4年生
教職(ドイツ語)