九州大学言語学研究室

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王 慶「量化解釈と疑問解釈―集合と個体の関係に基づく統一的分析―」

 実存世界は、無限の個体、および、個体と個体からなる集合で構成されている。集合は個体を含み、また、集合はそれ自体が個体となり更なる集合を構成しうる。 そして、個体も集合も、何らかの形で事態に参与する。一方、言語表現は、実存世界を記述し、コミュニケーションに介在しうる記号の体系である。 言語表現の中では、集合と個体は、常に顕然たる存在ではなく、「実(顕然)」である側面と「虚(隠然)」である側面とがある。

 本論文では、名詞句が指示する集合を、そのメンバー同士の関係によりAND集合、WITH集合、OR集合という3つのタイプに区別する。 そして、その集合のタイプによって、量化解釈(分配解釈、集団解釈、全称量化解釈、存在量化解釈)と疑問解釈が生まれるという分析を提案する。 AND集合とは、メンバーが並列等位関係でつながっている集合である。事態に参与しているのは、個体であり、これは、AND集合に含まれるメンバーにあまねく当てはまるというところから、分配解釈や全称量化解釈が生じる。 WITH集合は、メンバーが主従非等位関係でつながっている集合であり、この場合は、AND集合とは異なり、集団解釈が生じる。 OR集合は、包含的選言関係で成立している場合に存在量化解釈が可能となり、排他的選言関係で成立している場合に疑問解釈が可能になる。 従来の形式意味論では、このような解釈の違いは、集合のタイプを区別しないまま、量化子(quantifier)の違いによって表現されてきた。 これに対して、本論文では、これらの解釈の違いは、集合のタイプの違いとしてとらえたほうが、言語表現との対応がより体系的に一貫性を持って説明できることを示した。

 本論文は、五つの章から構成されている。第一章では、問題提起を行った上で、本論文の理論背景を説明した。

 第二章では、介詞もしくは連詞と呼ばれるhe(和), huo(或), haishi(还是)などを取り上げ、それぞれ上記のどのタイプの集合を形づくるのか考察した。 その結果、he(和)は、AND集合を形成する場合とWITH集合を形成する場合とがあるということ、それに対して、huo(或), haishi(还是)は、それぞれOR集合しか形成しないことを明らかにした。 さらに、wulun(无论)という連詞は、排他的選言関係からなるOR集合をAND集合に変換する働きがあると仮定することによって、huo(或)とhaishi(还是)の間の違いも説明できることを示した。 そのほかにも、「结婚了(結婚した)」という述語と「夫妻(夫婦)」という複合語の違いを、集合の3つのタイプという観点からとらえなおし、 そこから予測される結果が正しいことを示し、一般に複数を表すとされるmen(们)やlian(连)といった接辞の機能についても述べた。

 第三章では、分配解釈に特徴的にあらわれるmei(每)という要素に注目した。 mei(每)はAND集合としか結ばれないが、その構造に3種類のパターンがあるため、総称文、全称量化文、割り当て構文という異なる解釈が生じる。 このmei(每)の働きと、3種類の集合のタイプとが相互に作用を及ぼし、さらに、それぞれの表現が生起する主語位置・目的語位置・主部位置の違いの結果、異なる解釈が生じることが説明された。 あわせて、個体量詞と集合量詞の違い、suoyou(所)とmei(每)の違い、「大家(みんな)」と「个个(それぞれ)」の比較も行った。

 第四章では、特に不定語の解釈を考察した。中国語でも、日本語と同様、不定語は存在量化解釈、全称量化解釈、疑問解釈、複数疑問解釈という、いくつかの解釈を生じさせる。 本論文では、その対応関係についても、集合のタイプという観点から分析した。 不定語「谁」は、排他的選言関係もしくは包含的選言関係で結ばれる構成素からなるOR集合であるが、排他的選言関係からなる場合には疑問素性[QF]を付与されることがある。 包含的選言関係で結ばれる場合、存在量化解釈が生まれ、存在を表す機能範疇you(有)と共起可能になる。 一方、排他的選言関係で結ばれている場合、wulun(无论)によってAND集合に変換されると、全称量化解釈が可能になるが、疑問素性[QF]を付与されると、「特指问(疑問詞疑問文)」となる。 これと同様に、「正反问(反復疑問文)」、「选择问(選択疑問文)」も排他的選言関係に基づくため、疑問素性[QF]の付与が可能となり、疑問文解釈が生まれる。 「是非问(諾否疑問文」の場合は、中国語の疑問語気助詞「吗」が否定素性[Neg]を作り出す機能を持っており、この[Neg]との間に排他的選言関係が形成されるために、 疑問素性[QF]の生起および疑問文解釈が可能になる。

 第五章では、第二章から第四章までのまとめを行い、修飾関係の分析、中国語のスコープ解釈の一義性、多義性などの研究を今後の課題として提示した。

 このように、集合のタイプの違いは、文法の様々な側面に影響を与えている。 従来の形式意味論では、分配解釈、全称量化解釈、存在量化解釈それぞれに対して異なった量化子を仮定して説明する。 量化子そのものは、集合を形成する機能は持たないため、he(和), huo(或), haishi(还是)などの違いは説明できない。 men(们)やlian(连)についても同様である。 さらに、suoyou(所有)とmei(每)は、どちらも全称量化子で説明するしかないが、3.8節で述べたように、この2つには様々な違いがある。 量化子を中心とした理論では、これらの違いを述べる手段がないのである。 逆に、不定語「谁」の場合は、存在量化解釈・全称量化解釈・疑問解釈を許すが、その事実は、単に異なるタイプの量化子と共起できると規定されるだけになり、 なぜ、この3つの解釈に不定語が関わるのかということが説明できない。 このように、量化子だけに頼って意味解釈の違いを記述するアプローチでは、語彙と解釈との対応関係を十分に体系化することができない。 また、中国における言語研究の分野では、「語」本来の意味、さらに歴史をたどってきた語源が徹底的に追及されてきたが、そういった材料を統合し、論理的な分析により、 語と語を結びつけ、文全体の意味解釈を体系づける理論に欠けていた。 言うなれば、西洋の形式意味論は、「森を見て木を見ず」という状態であり、中国の伝統的な研究は「木を見て森を見ず」という状態だったことになる。 集合と個体は、その両面が同時に言語表現に映し出されることはない。 一方が「実」であれば他方は「虚」となる。 しかし、集合と個体は表裏一体の存在であり、解釈においては、その「実」と「虚」の両面が必要不可欠である。 本論文では、この集合と個体の関係を理論化することによって、「木」と「森」の両方を視野に入れ、論理学・中国語学・生成文法の間にある接点を模索した。 「実」と「虚」という伝統的な中国哲学思想の概念は、理論言語学においてもまた深く根ざしているのである。