九州大学言語学研究室

TOP課程博士論文>高井 岩生

高井 岩生「スコープ解釈の統語論と意味論」

 日本語の場合、形式的一致のような、「意味」とは独立して起きる現象が存在するという証拠は、少なくとも現時点では発見されていない。そのような状況で統語研究を進めていくためには、「表現」と「意味」の対応関係の中で、統語構造に基づいて決定されている可能性があるものを手がかりとするしかない。現在のところ、統語構造に基づいて決定されていると考えられる意味解釈には、スコープ解釈と束縛変項照応の解釈の2つがある。しかしながら、これまでの統語論における先行研究を見渡しても、「α>β」というスコープ解釈は常に同じ過程を経て導出されるということが暗黙の前提となっており、スコープ解釈の可能性とLF構造との対応付けだけに目を向けたものがほとんどである。

 しかしながら、実際には、日本語において最も基本的な型とみなされている[NPが NPを V]という語順の文のスコープ解釈についてさえ、観察的妥当性を満たしている一般化が得られているとは言いがたい。このような事態が続く限り、スコープ解釈を手がかりにして統語研究を進めていくことはできない。このような事態を招いている原因は、スコープ解釈の導出過程に注意を払わないまま研究を続けてきた点にあると考え、第2章では、まずスコープ解釈の性質とその導出過程を明らかにすることを目指した。考察の結果、スコープ解釈には、文法的にその解釈可能性が決定できるLFスコープ解釈と、そうでないものとがあるということを指摘した。その可能性が文法的には決定不可能なスコープ解釈は、先行文脈や話し手の知識状態などの要因によって左右される。このような認知的な要因を完全に制御することは困難であるが、本論では、少なくとも認知的な要因の影響を受けにくいスコープ解釈(すなわちLFスコープ解釈)があることを指摘し、どのような条件のもとでならば、LFスコープ解釈が観察されるかを述べた。その結果、日本語において、LFスコープ解釈の可能性は一義的であるという一般化が観察的妥当性を満たすということが示された。

 第3章では、LFスコープ解釈は統語構造に基づくものであると考え、LFスコープ解釈の可能性を説明できる分析案を提案した。この分析案を構築する過程において、従来仮定されてきたような割り当て関数だけに基づく分析案では、原理的に説明が不可能な現象(Eタイプ代名詞と「先行詞」との間に成り立つ照応現象)があることを論じ、上山 2008で提案されている意味理論を援用した分析案(スコープの解釈規則;名詞句繰り上げ規則と指標の書き換え規則)を提案した。

 解釈規則の妥当性を経験的に検証するためには、観察対象となる文の統語構造を仮定した上で、この規則が予測する、統語構造とスコープ解釈の可能性との対応が事実に合致しているかを確かめる必要がある。そのためには、ある音連鎖に対応する統語構造を明示的に規定できなければならない。そこで、第4章では、現在のミニマリスト・プログラムの枠組みに則った、日本語の統語構造生成のメカニズムを構築した。ミニマリスト・プログラムでは、ある素性に対する文法的操作の結果、文が生成されると仮定されている。本論でも、述語の持つ語彙特性と、「が」格、「を」格が持つ統語的特性に対して、一連の文法的操作が適用された結果、統語構造が生成するということを提案した。そして、この操作により、いわゆる派生述語を含む文も生成されるということを示した。

 スコープの解釈規則と統語構造生成のメカニズムに基づくと、どの文においても、「が」格名詞が他の名詞句(項名詞句、付加詞の区別を問わず)に対して広いスコープを取る解釈が常に可能であるが、他の名詞句が「が」格名詞よりも広いスコープを取る解釈は成り立たないということを予測する。つまり、主語と非主語との間に非対称性が存在するのである。第5章では、実際に、この予測のとおりであることを示した。

 本論では、[NPを NPが V]という語順の文については詳しく論じることができなかったが、第6章において、その分析の方向性も示しておいた。今後の課題としたい。