九州大学言語学研究室

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Zhai, Yong "Developmental Shift of Parsing Strategies: Processing Empty Subject Sentences among L1 and L2 Learners"

 心理言語学における言語処理の研究は、大まかに三つの時期に分けることができる。1960年代の「派生による複雑度の理論」に従う言語処理、1970年代の「知覚の方略」による言語処理、1980年代以降の「透明性の仮説」に基づく言語処理、である。生成文法の理論の変遷により、DTCの研究は行き詰まりを迎えた。しかし、「知覚の方略」と「透明性の仮説」の関わりについては、未解決の問題が多く残されている。また、従来の文処理研究は、主に成人の単一言語話者を対象に行った実験を基にしていた。第一言語習得者(child L1)と第二言語習得者(adult L2)のデータの欠如は、文処理メカニズムの一般化や文処理モジュールに関する議論を不十分・不完全なものにしていた。本論文は、第一言語習得者と第二言語習得者の空主語文処理に着目し、言語処理研究が「文処理方略の移行仮説」(文処理方略は言語の習得が進むにつれ、知覚の方略から言語的方略へと移行する)という四つ目の新たな段階に入ることを提案し、文の推測(guessing)から文の処理(parsing)への方略移行のプロセスを明らかにした。空主語文とは、例えば、日本語では以下のようなものを指す。

(1) 太郎1が花子2に[<空主語1>東京へ行く]ことを約束した。 主語コントロール文
(2) 太郎1が花子2に[<空主語2>東京へ行く]ことを催促した。 目的語コントロール文

 本論文は、「導入」、第1章「先行研究」、第2章「中国語を母語とする小学生による空主語文処理」、第3章「日本語を母語とする小学生による空主語文処理」、第4章「英語を母語とする中国語学習者による中国語空主語文処理」、第5章「英語を母語とする日本語学習者による日本語空主語文処理」、第6章「結論」からなる。

 導入においては、本研究の背景に言及しながら、成人を対象に行われたこれまでの空主語文処理研究の問題点を指摘し、なぜ第一言語習得者と第二言語習得者を対象に空主語文処理の実験をするのかということを論じた。

 第1章においては、理論的な面から空主語について概観したうえ、成人を対象に行った英語・日本語・中国語の空主語文処理実験を紹介し、「知覚の方略」と「透明性の仮説」について論じた。

 第2章においては、中国の小学生を対象に空主語文処理の実験を行った。主文動詞をまだ習得していない段階の低学年児は、距離の情報に基づく「知覚の方略」を用いるが、中学年児では、「知覚の方略」と「言語的方略」の両方をランダムに用いるようになることが示唆された。さらに、高学年児になって主文動詞を習得している段階になると、主文動詞のコントロール情報という言語的手がかりを利用して文処理を行う段階に移行することが示された。

 第3章においては、日本の小学生を対象に空主語文処理の実験を行った。格助詞を持つ日本語においては、主文動詞を習得していない段階でも、解析器は格助詞の情報(言語的知識)を用いて文処理を行うという可能性が考えられる。しかし、実験の結果から、主文動詞をまだ習得していない段階にある低学年児は位置・距離のような「知覚の方略」を用いているが、主文動詞を習得している高学年児になると、言語的知識を利用して文処理を行う段階に移行することが示唆され、「透明性の仮説」の妥当性が支持された。

 第4章においては、英語を母語とする中国語学習者を対象に中国語空主語文処理の実験を行った。実験の結果、初級学習者は位置・距離などの「知覚の方略」を用いて空主語文処理を行い、中級学習者は「知覚の方略」だけではなく、動詞shuoを利用するという「言語的方略」も用いるようになり、習得度が高い上級学習者は即時的に動詞の語彙情報を利用する「言語的方略」に移行することが示された。

 第5章においては、英語を母語とする日本語学習者を対象に日本語空主語文処理の実験を行った。実験の結果は以下のことを示した。初級学習者は母語の干渉による擬似的な文法的手がかりと、距離のような「知覚の方略」の両方を用いて文処理を行い、中級学習者は母語には存在しないターゲット言語の文法的手がかりを用いるようになり、上級レベルになると、母語話者と同様の「主語優位」という文法的手がかりを利用するようになる。

 第6章においては、前章までの実験結果や議論を踏まえ、言語知識の発達に伴う処理方略の移行を論ずるとともに、本論文の言語処理研究における意義を示した。

 本論文は、異なる言語において、第一言語習得者と第二言語習得者に着目し、言語知識の発達につれて処理の方略が移行することを明らかにした。この成果は、言語処理と言語理論との関わり、さらに第一言語習得研究、第二言語習得研究に対する意義を有する。