昨年のことですが、東北大学教授の嶋﨑啓氏から『語りと主観性ーー物語における話法と構造を考える』(阿部宏編、ひつじ書房、2022年)をいただきました。お礼が遅くなってしまいましたが、ご寄贈に心から感謝いたします。同書は、言語学、物語論、表象論などの多角的な観点から、体験話法と言われている自由間接話法を考察する実に興味深い論集です。
私はまず豪華な執筆陣に大変驚きました。私がこれまで興味をもって読んだ名著の執筆者が複数名、名を連ねているからです。第1章「話法と構造」では、鈴木康志氏のお名前がすぐに目にとまりました。鈴木氏は本書で自由間接話法の研究史を手際よくまとめられています。そこで検討されているドイツ語圏のハンブルガーやシュタンツェルの理論は、私にとりましてとても懐かしいです。両者の代表的著作を修士課程在籍中に読んだので、過去の記憶が甦り、とても参考になりました。それに、教員になってからでしょうか、鈴木氏の著作『体験話法』(大学書林、2005年)から大いに学んだこともよく覚えています。
また、第1章で嶋﨑啓氏が担当された「ドイツ語の自由間接話法」は最初に読みました。いわゆる体験話法は、主観のみの思考から生み出される内的モノローグと大いに異なり、主観と客観が混交する話法である主張されています。嶋﨑氏は語学研究者でありながら、同時に文学にもとても詳しい方、同氏の論述を読み、あらためてそう思いました。
文学作品からの具体的な考察は、第2章「物語と主体」で一層掘り下げられています。いずれの論考も興味深いですが、私が興味を抱いたのは、吉川一義氏の「プルーストにおける自由間接話法と分身の声」です。吉川氏は岩波文庫の『失われた時を求めて』の訳者、それでお名前がすぐに目にとまりました。同作全体に自由間接話法が多々見られるとのことです。「私」のジルベルトに対する恋心の描写や「私」のアルベルチーヌに対する恋心の描写を例にあげての論述、当該場面を思い出しながら、拝読しました。いずれも興味深い場面です。『失われた時を求めて』に対する私なりの理解を思わぬところで深めることができました。
そして第3章「言葉とイメージ」では、三瓶裕文氏の「三人称小説における語り手の視点 ドイツ語の〈三人称的〉語りと日本語の〈一人称的〉語り」がとても参考になります。助手の頃でしょうか、体験話法に関する三瓶氏の論文を読んで大いに学びました。今回のものは日独語の比較という観点からの興味深い論述です。
当方、トーマス・マン研究者として、もっともっと本書から学ばなければなりません。『トーニオ・クレーガー』には自由間接話法が多々見られるので、この作品を引用したり、訳出したりする際には、細心の注意が必要です。「あすはクリスマスだった」、そんな訳をしないようにしたいですね。(小黒康正)

