トーマス・ベルンハルト『息』(今井敦)

龍谷大学の今井敦氏からトーマス・ベルンハルト『息 一つの決断』をいただいた。但し、これが初めてではない。現代オーストリア文学を代表する作家トーマス・ベルンハルト(1931-1989)の「自伝五部作」は、1975年の『原因』(今井敦訳、2017年)、1976年の『地下』(今井敦訳、2020年)、1978年の『息』(今井敦訳、2023年)、1981年の『寒さ』、1982年の『ある子供』(今井敦訳、2016年)からなる。いまだ翻訳が出ていない『寒さ』を除く四冊を、訳者本人からいただいた。いずれも松籟社から刊行されている。

それにしても、いただく度に、いずれの作品ものめり込むように読む。ベルンハルトの特異な精神的出自が、見事な翻訳によって、それぞれ示されているからだ。あまりの素晴らしさに、毎回、私なりの感想文を九州大学独文学研究室のホームページで公表してしまう。いや、そればかりでもない。世界文学会からの依頼で「アナ・クロニズムの怒り」というタイトルで『原因』の書評を書いたこともある。世界文学会編「世界文学」No.128(2018年)だったと思う。ベルンハルトにおける否定精神の出自には、本当に心を揺さぶられる。

以前、引用したこともあるが、『ある子供』にある辛辣な箴言をここでも示そう。「半端な教養人は、時間がたって酸っぱくなったお粥ばかりを食卓に出してくる。」「いつでも、好きなときに自分の命を絶つこと、これこそ人間の一番大切な財産なのだ。」「学校そのものが子供の殺戮者だ。」「警官と教師は悪臭を地上に拡散させている。」いずれの言説も祖父の言葉であった。ベルンハルトに決定的な影響を与えた人物である。そんな祖父の最後の言葉は、病院付き神父に対する罵倒「出て行け」だった。この息を引き取る間際の言葉を、作中の「私」はしっかりと受け継ぐ。

但し、生死をさまよった経験から、「息」をし続けなければならない決意をしてのことだ。作中の「私」にとって、「息」は死を乗り越えて生へと向かう意志に他ならない。だからこそ、「一つの決断」という副題がついている。祖父の言葉を『息』からも引用しておきたい。「病人は千里眼だ。」「芸術家、とりわけ物書きなら、ときどき病院に行かなければならん。」「芸術家、特に物書きで、ときどき入院することがないような輩は、次第に無価値の中へと消えて行く。表層に絡みとられるからだ。」これらの言葉を読んでいると、私なりに『魔の山』を思い出した。 (小黒康正)