ヘミングウェイ+α研究ページ

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「赴任の挨拶」

九英会の機関誌に載せた、九州大学赴任の挨拶です。挨拶といいながら結局は昔のどたばた騒ぎについて書いています。

今年の4月に九州大学に赴任いたしました高野と申します。よろしくお願いします。九州の地に引っ越してきてからもうすでに半年近くがたとうとしています。村井先生、西岡先生、鵜飼先生をはじめ、学生の皆さんにもいろいろと助けていただいたおかげで、土地にも職場にもすっかり慣れることができました。


九州に住むのは生まれて初めてのことですが、赴任前はそもそも九州に足を踏み入れたこと自体が一度しかありませんでした。その一度というのはもう8年前になりますが、北九州大学(現在の北九州市立大学)で日本アメリカ文学会全国大会が開催された時でした。生まれて初めての全国大会発表をすることになっており、当時京都在住であった私は学会初日の朝、少し時間より早めに京都駅に向かいました。ちょうどその日、JR史上初の大事件なので覚えておられる方もたくさんおられるかと思いますが、新幹線の広島―山口間でトンネル内のコンクリート剥落事故が起こり、新幹線が完全にストップしてしまったのです。とりあえず臨時の「こだま」が広島までは(鈍行で)動いており、一応広島までは向かったのですが、広島駅構内は足止めを食った人々でごったがえしておりました。そこから先へ向かう手段は何もなさそうで、その場の人々はただ新幹線の復旧を待つほかなかったのです。


結局、復旧はその日の夕方あたりになり、広島以東の人々は、前日に九州入りしていた人を除いて、ほとんどが学会初日のプログラムに間に合わなかったようです。当時院生だった私は、数少ない発表のチャンスを逃したくはなかったので、なんとか発表の時間までに間に合うように小倉まで行く手段はないかと頭を絞りました。そして結局広島駅の前でタクシーをつかまえ、そのまま北九州大学まで向かってもらうことにしたのでした。旅行ということで多めに持っていたお金(5万円ほど)を運転手に見せ、これ以上は払えない、もし発表に遅れたら1円も払わない、と半ば脅すようにして北九州大学まで向かわせました。学生の私にはずいぶん痛い出費でしたが、それでもなんとか発表をやり終えたことが、今ではいい思い出になっています。


それ以来、九州を再び訪れることはなかったわけですが、当時はまさか自分がその地(もちろん小倉と福岡で地理的には少し違いますが)に赴任することになるとは夢にも思いませんでした。自分が研究者生活をスタートさせた思い出の土地に戻ってこられたことを、今では大変うれしく思っています。そして研究をするにも教育をするにも素晴らしい環境を与えていただいたことを、心から感謝いたしております。まだお目にかかっていない九英会関係者の方々もたくさんおられますが、今後の出会いを楽しみにいたしております。今後ともよろしくお願いいたします。