ヘミングウェイ+α研究ページ

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「ほたる」お題「故郷」

前回に続いて何となくノスタルジックになっていたみたいです。もちろん実話です。

私の実家は大阪の柏原市というところで,同じ大阪でも浪速(なにわ)ではなく河内と呼ばれる地域にあります。河内ことばは日本でもっとも汚い方言として有名で,知らない人が河内人どうしの会話を聞くと,きっとやくざか何かと勘違いしてしまうでしょう。そんな河内人にとっては,浪速の大阪弁は妙になよなよした,力の入らない言葉に聞こえてしまいます。


いまでは浪速ことばなど,気恥ずかしくてとても喋っていられませんが,実のところ私は小学校の1年生の途中まで,浪速の下町で生まれ育っています。いまでは天王寺近郊の住宅街という感じの場所ですが,私が子供の頃はまだまだNHKの連続ドラマに出てきそうな町並みを残していました。


家は四畳半と六畳の二間で,風呂はなく,二階には別の人が住んでいました。風呂がないのと部屋が狭いのとで,実際この家にいることよりは,歩いて10分ほどのところにある祖母の家にいることの方が多かったのです。幼稚園に行く前は朝,母親の掃除が終わると祖母の家に行ってそこで一日過ごし,風呂に入って家に帰るという生活でした。幼稚園に行ってからは祖母の家が自分の家であるかのように直接そっちに帰ったり。


そういう訳か,自分ではなんの疑いもなしに河内の人間だと思いながら,故郷というと河内の実家でもなく,子供の時の自分の家でもなく,あの人間関係の濃密な祖母の家周辺を思い浮かべてしまいます。祖母の家の近所の人たちはみんな知り合いでしたが,自分の家のご近所さんとはほとんど面識がなかったりしたのは,きっと私の家と祖母の家が当時生まれつつあった新しい町と,昔ながらの町との境界線をまたいでいたのでしょうね。


祖母の家も思い出たっぷりで,お話ししたいことはたくさんありますが,今日は私の家と祖母の家のちょうどまん中辺り,おそらく古い町並みと新興住宅地(というには私の家はあまりにもぼろぼろでしたが)のぶつかる辺りにあった公園の話をしてみたいと思います。


ちょうど私が幼稚園に入った年の夏休み,私は生まれて初めて蛍という生き物のことを知りました。蛍はきれいな水の水辺にしか現れません。30年近く前のこととはいえ,当時から汚いどぶ川しか流れていない大阪の町で天然の蛍を見る機会などあろうはずがありません。そこで町内会が,子供たちのために数百匹の蛍を近所の公園に放して蛍狩りをしてもらおうという企画を考えたのです。


私は蛍狩りの日がやってくるまでに,祖母から,蛍が昆虫であるにもかかわらず光を放ちながら空中を舞う不思議な生き物であることを教わっていました。そのような生き物など当然それまで目にしたこともなかったので,一体どんな虫なのかとひどく好奇心に駆られてその日を心待ちにしていました。


やがて蛍が放される日,私は母親に連れられてその公園に行きます。日もとっぷりと暮れた後,まるい公園はまるで鍋底のような暗闇でした。そこはすでに虫かごと虫取り網を持った子供たちで埋め尽くされており,私は出足が遅れたことに少なからず焦りを感じていました。公園には幼児から小学生に至るまで,あまりにもたくさんの子供たちがいたせいで,知り合いの顔すら見つけられません。本当にこれだけの数のライバルの中で,数少ない蛍を捕まえることができるでしょうか……。


小学生はもちろん最大の敵です。連中は身体が大きいので,いくら私が先に狙いを付けても後から手を伸ばして獲物をかっさらうこともできてしまいます。当然力も強いので抗議をしたところで聞いてもらえはしないでしょう。案外強敵なのが私より年下の幼児です。奴らは力こそないものの,押しのけたりしようものなら隣にいる親が我が子かわいさのエゴイズム丸出しで,こちらをまるで病原菌であるかのように追い払おうとするに違いありません。


予定の時間になるまで,今か今かと泡立つような焦燥感の中で,私たちは蛍が放たれるのを待ち続けました。やがて時間になり,拡声器を持った見知らぬおじさんがこれから蛍を放すことを宣言,私たちの期待感は一気に高まり,我知らず前に立つ人の背中を押しながら公園の中心に向けて押し寄せます。もはや公園の中心にいる人の姿も,そこで何が起こっているかも,人の背中でさっぱり見えなくなります。


前方でひときわ大きなどよめきが起こり,私は蛍がついに放たれたことを知りました。しかし,そのときに起こった群衆の動揺は,瞬く間にまるでとまどうかのような静けさに取って代わられてしまいます。私は,そして私の周囲の誰もが,一体何が起こったのかと辺りの様子をうかがいます。すると前の方から徐々に断片的な情報が私の耳にも届いてきました。どうやらいったん放たれた蛍は,一瞬のうちに真夏の空へと,光る間もなく消えていったのです。


拍子抜けした沈黙に続いたのは,さながら阿鼻叫喚!蛍を楽しみにしてきた子供たちがすさまじい勢いで鳴き叫び,その叫び声につられて周辺をうろつく野良犬が狂ったように恐怖を吠えたてるのです。私は蛍が見られなかった悲しみよりはむしろ,その情景にあまりにも衝撃を受け,自分がどういう反応をしていいのか分かりませんでした。


その日は家に帰らず祖母の家に泊まることになっていました。祖母の家の近所のおじちゃん,おばちゃんたちが家の玄関の外にいすを持ち出して夕涼みをしているところ,母親が話しかけられるたびに蛍の脱走話を繰り返します。その人たちに「残念やったねえ」「かわいそうにねえ」と声をかけられるごとに,少しずつ奇妙な,空虚な感覚を身体の中に感じ始めていました。喪失感ということばを知らない子供にとって,その謎の感情をどう捉えてよいのか見当もつきません。私はきっとあの日の道すがら,次第にふくらみつつあるその焦りにも似た奇妙な感覚を抱きながら,失うことの悲しみという感情を徐々に覚えつつあったに違いありません。


今でも時々,あの日の公園のことを思い出すのですが,私はいったい何を手に入れられないでいるんでしょうか。