ヘミングウェイ+α研究ページ

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「くちびるの花」お題「秋の妄想」

これは何となくお見せするのが恥ずかしいのですが。これは5年間過ごした岩手を離れるにあたって、大好きだった土地へのオマージュとして書きました。「妄想」というテーマにかこつけてやりたい放題って感じですね。場所以外は完全にフィクションなんですけど、意外に本当にある花だと思い込む人が多くて驚きました。

みなさま,くちびるの花ってご存じですか。といってもこれまでくちびるの花を見たことのある人は誰もいません。なぜならくちびるの花自 体がただでさえ珍しい上に,花咲くのが秋の紅葉の季節のほんの一時期に限られており,もみじの木の枝を借りて咲くものですから,真っ赤なもみじの花に紛れて判別するのが非常に難しいのです。また,くちびるの花は花びらを落とすことなく,秋の終わりとともに蒸発して,あんなに赤かったのが白く空に舞い上がって雪になって降り落ちるのです。


こんなにも珍しいくちびるの花ですが,実は岩手ではほんの少し,他の地域よりも発見の可能性が高いのです。というのも岩手の秋の気温は相当低く,もみじの紅葉の期間が通常よりも短いために,散り始めたもみじの葉っぱの合間にくちびるの花が姿を見せることがあるのです。岩手に住み始めて5年間,毎年のように学校の隣に位置する森林公園に行って,探し続けましたが,今年こそはどうしてもこのくちびるの花を発見したいのです。


職場の隣に森があるというのはいいものです。仕事に疲れたとき,ふと外に出てみれば,駐車場のその向こうはもう森です。歩き慣れた踏み分け道を分け入って,岩手山を見上げ,滝沢の村を見下ろす展望の広場へと向かいます。


東北の森は気温の寒暖の差が激しいために,暖かい地方よりもずっと赤く色づきます。そろそろ終わりを迎え始めたもみじやつつじの紅葉は,まるで血の色のように深紅に染まっています。京都で目を楽しませてくれた奥ゆかしい紅葉とも違って,ほとんどおどろおどろしいような色なのです。


展望の広場には,そろそろ寒くなってきたせいか人の姿はなく,のんびりとくちびるの花を探し始めることができました。一体くちびるの花はどんな場所に好んで咲くのか,そもそも誰一人として目撃者がいませんので,さっぱり分かりません。手当たり次第に見回るしかありません。去年は西の木立を探しましたので,今年は東側の,広場からはもう少し奥まったところまで脚を伸ばしてみます。


まわりに茂る木々に日を遮られ,この辺りのもみじの木は少し薄暗く,暗い中に血の色のもみじがぼんやりと浮かんでいます。こんなに暗いところで果たして繊細でかぐわしいくちびるの花は見つかるのか……。だんだん不安になってきますが,沈みゆく西日にせかされるまま,頭上を見上げて歩き続けます。


……やはり思ったとおり暗すぎます。もうずいぶんと歩きましたが,それがもみじであるのか,もしかしてまだ見たことのないくちびるの花であるのか,さっぱり分かりません。もう太陽は沈みきっており,あと数分もたてばこの辺りは真っ暗闇になってしまうでしょう。やはり今年もだめだったか……。


今年こそはと息巻いていたものの,くちびるの花はとうてい手に入れることのかなわない幻の花なのかも知れません。そう思いかけたとき,もう少し奥まったところの,もうすっかり真っ暗になった木立に,なぜか一箇所だけ,例の真っ赤な血の色が浮き立っています。これは一体どうしたというのでしょう。急ぎ足でその木の下へ。


するとなんということでしょう。蒸気となって空へ舞い上がる直前のくちびるの花の、そのきらきらと輝きながら空中へ立ちのぼる水滴が,もう消えようかという太陽の光をわずかに捕らえ,周囲のもみじを照らしているのです。くちびるの花自体も真っ赤で,蒸気に濡れて光を放ち,空中に溶け入るにつれて,まるでリズムを合わせるかのようにかすかに開いたり,閉じたり,まるでささやいているかのような……,いやもしかすると傍らにあって先に空中に溶け入ったもう一つのくちびるの花を求めるかのように,ふるえながら揺れ動いています。


目にした時間はおそらくものの数秒,しかししっかりと目に焼き付けました。やっと見つけたのです……。


しばらく放心したように,暗くなった森に立ちつくしていますと,やがて岩手にしてもまだ早い,雪のかけらがほんの少しだけ,舞い降りてきました。ひとかけら,私の唇に触れて溶けたときのあの冷たさ……。