「前略 ねこさま」お題「干支の戌にちなんで」
追記:その後、学生の指摘でうっかり勘違いしていたことに気づきました。『吾輩は猫である』のねこは餅を喉に詰まらせて死んだわけではありませんでしたね。最初の方で餅を喉に詰まらせて家人に笑われる場面がありましたが、そちらと混同してしまったようです。文学研究者として反省の意味を込めて、あえて訂正せずに恥をさらし続けることにします。
むかし,わたしはいぬのほうが好きでした。いぬのほうがかしこいしいぬのほうがにんげんのよきパートナーだと信じておりました。それはテレビや映画などではいぬのほうによりおおく出会っていたからかも知れません。名犬ラッシーや名犬ジョリーなど名犬何とかというタイトルの作品はさんざん見てきましたし,ちょうどわたしがこどものころには『南極物語』が大はやりしたものでした。あるいはこどものころ大好きだったトムとジェリーの影響もあって,ねこはわるいいきものだとおもっていたのかも。
しかしいつのころからでしょうか,わたしはしだいしだいにあなたのほうによりひかれていきました。いぬのほうがかしこく見えるのは単にいぬがにんげんに従順なだけで,じつはにんげんの言うことなんか聞かないねこのほうがよほど頭がいいのではないか。だれの命令も聞かず,自由気ままに,身勝手に生きているあなたのほうがよほどかっこいいではないか,そう思いはじめたのです。
はじめて文学のなかであなたに出逢ったのはいつごろでしょうか。とちゅうで挫折した夏目漱石の『吾輩は猫である』でしたでしょうか。そのときはさいごまでたどり着きませんでしたが,もちをのどにつまらせて死なせてしまうなんて,いくら日本を代表する文豪だからといってあまりにひどい仕打ちですね。
たぶん最初にあなたにこころが移りはじめたのは上野瞭の『ひげよ,さらば』を読んだころではなかったでしょうか。6~700ページもある大部の本を,たんにぶあつい本を読んでみたいという征服欲だけにかられて図書館から借りてきたとき,当時小学生のわたしはさいごまで読み通せるじしんが実はあまりありませんでした。でも読み始めるとあなたたちの魅力的な活躍につい引き込まれ,ねる間もたべる間もおしくてむさぼり読んだのをよくおぼえています。あれからなんどあのぶあつい本を読み返したことでしょう。
にんげんのなかには文学を,それもよそのくにの文学を読むのを商売にしているおかしな集団がいるのですが,わたしが所属しているグループがおもにあつかっているへみんぐうぇいというひとの作品にも,よくねこが登場します。このひとの作品にでてくるねこもまあまあかっこよかったりするのですが,でも基本的にはにんげんのはなしなのですよね。つまらないにんげんのことになんかかかわらないで,ねこだけを登場させればいいのに,といつも思ってしまいます。
ねこの世界はねこの世界でそれなりにつらいことも大変なこともあるのでしょう。しかもことしはいぬの年だというじゃありませんか。でもそんなのはにんげんがかってに決めただけのことで,あなたはそんなこと気にしたりしませんよね。にんげんが何をもてはやそうがおかまいなしに,つんとすまして,まわりのことなどどこ吹く風のそのふてぶてしさに,わたしはなによりひかれてしまいます。
では,これからもやりたいことだけをやりながら,いつまでも自由気ままに生きてください。それがあなたのいちばんの魅力なのですから。
草々
高野泰志