『いつもおなじ雪といつもおなじおじさん』(新本史斉)

 私は「しゃけ」かもしれない。最近、そう思うことがなんだか多い。名前が「オグロ」なので、小学校のときはよく「マグロ」と呼ばれた。そんな私が子供の頃に聞いたローカルな曲を、なぜか最近、よく口ずさむ。「カンバックサーモン、カンバックサーモン、カンバックサーモン、帰って来いよ、しゃけ、しゃけ」と。私の世代だと、道産子なら誰でも知っている曲、札幌の豊平川周辺で展開された「カムバックサーモン運動」のテーマ曲だ。

 私のドイツ文学研究は、『黙示録を夢みるとき トーマス・マンとアレゴリー』(鳥影社、2001年)から始まり、その後、『水の女 トポスへの船路』(九州大学出版会、2012年;新装版、2021年)に行き着いた。私なりにドイツの学術世界を意識して、前者は博士論文、後者は教授資格申請論文と勝手に位置づけている。この間、いくつかの翻訳も手がけた。特にヘルタ・ミュラーに関しては、訳出を2度も行い、いずれも三修社から刊行したし、ルードルフ・カスナーの訳出もそれなりに挑戦したのだ。自分のライフワークになるのは、トーマス・マン研究のあと、どちらの研究だろうか、そう自問し続けていたのである。

 ところが、最近、私の周囲で「カムバックサーモン運動」が再びおきた。『魔の山』刊行100年にあたる2024年、そしてトーマス・マン生誕150年にあたる2025年から、NHK、岩波書店、九州大学出版会、白水社、あいんしゅりっと、さらに、ドイツのトーマス・マン協会、バイエルン放送局、バイエルン独日協会などから、さまざまな依頼を受けたのだ。いずれもトーマス・マン関連のものだった。もっとも、正直に言うと、マン研究から少々離れていたこともあり、自分の原点に戻るのに、かなりの苦労をしている。「帰って来いよ」と呼ばれるままに、「階段式魚道」をのぼる「しゃけ」のように……。

 そんな折に、ヘルタ・ミュラー『いつもおなじ雪といつもおなじおじさん』(新本史斉訳、三修社、2025年、ISBN  978-4384060287)の寄贈を三修社から受けた。同書は、ミュラーの文学世界を知るため入門書であり、そしてそれ以上のエッセイ・講演集だ。それだけに、私自身、「カムバック」をしなければ、次に訳出を手がけようと思っていた。実際に、授業で扱い、割と訳していたのである。だからこそ、あの箇所はどう訳されているのであろうか、そう思いながら、寄贈書の頁をめくった。

「しゃけ」にとって一番気になったのは、「階上のわたしはまさにくだらない冗談、わたしの事務室はハンカチでした」という文章だ。この文章だけではなんのことか分からないと思うが、実にヘルタ・ミュラーらしい一文である。ちなみに「くだらない冗談」には「トレッペンヴィッツ」というルビがふられている。「階段の頬、階段の眼――階段にはつまり、顔があるのです」という文章が続く。こうなってくると、ヘルタ・ミュラーの文学世界にルードルフ・カスナーの観相学が合わさっている。そう思えたのも、私なりにトーマス・マン以外の研究もしてきたからかもしれない。ともあれ、こうした奇抜な表現も、実に見事な訳業によって支えられている。安堵した私は、自分の「階段」に安心して「カムバック」する気になった。 (小黒康正)