『ドイツ文学と映画』(山本佳樹)

2024年11月だったでしょうか、山本佳樹編『ドイツ文学と映画』(三修社、2024年)を落掌いたしました。私は優れた著作をいただいた際には、(1)講義や演習での紹介、(2)九大独文 HP での紹介、(3)九大図書館への所蔵依頼、以上を行っております。もっとも、九大独文 HP での紹介は、私なりの「感想文」を載せるつもりでおりますが、ここのところ皆さんからいただく本が増えたこともあり、かなり遅れ気味です。とはいえ、『ドイツ文学と映画』は興味をもって早めに拝読しておりました。

同書は、ドイツ文学の代表作であり、かつ、映画化作品としても秀逸なものが、主な考察対象になっています。そして、同時に、映画『ニーベルンゲン』(1924年)を扱う第1章「同時代的神話の創造」(山本潤担当)にて示されているように、ドイツ文学の代表作が、単なる古典ではなく、映像メディアを通じて、私たちが現実に直面する問題や矛盾として提示されているのです。その意味で、同書は、ドイツ文学の古典をいまの問題として読む契機を、私たちに与えてくれます。

私自身はトーマス・マン研究者、それだけに映画『ベニスに死す』(1971年)は、機会があるたびに、映画館で、教室で、ホームビデオで、スナックで、コンピュータで、観てきました。この点を自覚させてくれたのが、第6章「海辺の写真機」です。論者の山本佳樹氏は、文学における自由間接話法(あるいは体験話法)が映画においてどのように取り込まれているかも考察されています。あまりにも見事で明快な論述だからでしょうか、映画『ベニスに死す』を新たな視点で改めて鑑賞したくなりました。

当方、本書で扱われている映画のほとんどは、翻訳もしくは原文で読んでおります。それだけに、基本的に「読んだものを観る」という流れですが、「観たものを読む」という流れのものがありました。それが、映画『未来を乗り越えた男』(2018年)です。映画が心の琴線に触れたからでしょうか、映画の余韻に浸りながら、ゼーガースの原作『トランジット』(1944年)をドイツ語原文で読んでしまいました。香月恵理氏担当の第12章「トランジット空間を生きる人々」も、マルク・オジェの「非ー場所」を踏まえた秀逸な紹介です。

ところで、クリスティアン・ペツォルト監督が『未来を乗り越えた男』の次に取り組んだ作品をご存知でしょうか。フケー『ウンディーネ』の現代版『水を抱く女』(https://undine.ayapro.ne.jp)が次作です。これも文学作品のすぐれた映画化であります。実は、同作の映画パンフレットには、当方のコラム「「水の女」の別れと出会い」が載っています。目の前の現実を乗り越えようと、コロナの頃に書いた拙文です。自分でもすっかり忘れていましたが、私なりに「密封空間を生きる人々」のために書いたことを思い出しました。 (小黒康正)