九州大学言語学研究室

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今村 亜子「言語発達過程における『誤り』と『修正』に関する考察」

本研究は、言語研究と言語障害研究との接点を探求することを目標とし、言語発達過程にみられる言語運用上の「誤り」が解消する過程の解明をテーマとした。定型発達の子どもたちの場合、言語運用上の「誤り」はいつのまにか自然に解消する。そのためどのような段階を経て「誤り」が修正されるのか詳細に把握することは難しい。しかし言語発達障害の子どもたちにおいては、自分の言語運用上の誤りに対して自発的な修正が発生しないことがある。こうした言語運用上の「誤り」が解消する段階を明らかにし、自発的な「修正」の発生について検討することは言語発達障害児へのサポートという観点からも重要である。そこで言語運用上の「誤り」が観察された3つの異なる事例からその解消過程を考察した。

1つめの事例は「音声置換現象」である。機能性構音障害の子どもたちを対象として音声置換という「誤り」が修正されないのは音韻的な知識のレベルでの混同か、あるいは音韻的な知識のレベルでは区別ができているが実行システムに問題があるのかについて検討した。その結果、音韻的な知識のレベルでの混同ではなく、実行システムの問題であると考えられた。その上でなぜ実行システムの問題に気づかないかという点を考察し、自己産出音声に対する範疇的な知覚の基準にズレがある可能性を指摘した。修正が生じるにはこのズレが解消される必要があると考えられた。2つ目の事例は「可逆事態かきまぜ文の処理方略」である。単文処理方略には語順方略から助詞方略の移行があることが知られているが、助詞方略に至る過程には、中間的な方略があるのではないかという観点から事例検討を行った。対象は理解に比べて表出に著しい遅れがみられた表出性の言語発達障害児である。「被動作主(ヲ)+動作主(ガ)」の可逆事態かきまぜ文について助詞「ガ」のみ利用する「ガのみ方略」があることを主張した。3つ目の事例はリテラシー確立の前段階である「プレリテラシー」である。ここでは「読むふり」から「読み」のリテラシーへの移行と、擬似文字から文字への移行について事例検討を行った。その結果、プレリテラシー段階は、自分流の読み書き行動の疑似性についての自覚がない段階とある段階に区別されることがわかった。リテラシーへの移行には後者の「擬似性の自覚」が重要であることを主張した。以上の異なる領域の言語発達の事例考察から、言語発達過程における「誤り」の解消段階を次の3つに想定した。

段階I:初期段階(誤り解消に必要な言語知識に気づかない段階)
段階II:中間段階(誤りの解消に必要な言語知識に気づくが実行段階で目標からズレがある段階)
段階III:完成段階(誤りの解消に必要な言語知識に気づき、目標からズレが生じた場合にも気づくことができる段階)

段階Tから段階Uへの移行には「言語知識への気づき」が必要であり、段階Uから段階Vへの移行には実行段階のズレを検出する「実行のズレへの気づき」が必要である。定型発達児の場合、段階Tから段階Uへの移行および段階Uから段階Vへの移行が、他者の働きかけをうけなくても進行すると考えられる。これは否定証拠の欠如や刺激の貧困という言語獲得の生得性の重要な議論とも一致する。これに対して言語発達に何らかの障害がある子どもたちの場合にはこうした移行過程に問題があると考えられる。事例検討から言語運用上の「誤り」は、他者からの働きかけがあっても修正できない場合と、他者からの働きかけを契機に修正可能な場合があることを確認した。子どもたちが言語知識に気づかない限り「誤り」は解消しないが、他者との配慮されたやりとりによって移行過程を促進する可能性があると考えられた。言語研究と言語障害研究との接点としてこうした「誤り」の解消における移行過程を解明することの重要性を主張した。