九州大学言語学研究室

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西岡 いずみ「現代チュルク諸語の指示詞の研究」

本論文は現代チュルク諸語の指示詞の機能と体系を明らかにすることを目的としたものである.従来から多くの研究がなされてきた日本語の指示詞コ・ソ・アや韓国語,英語の指示詞は3系列或いは,2系列であるが,本論文が対象とする現代チュルク諸語は,2系列から7系列以上の指示詞をもつ.

(1)チュルク諸語の指示詞
アゼルバイジャン語: bu,o
トルコ語:  bu,o,şu
新ウイグル語:  bu,u,šu,mawu,awu,mušu,ašu
ウズベク語: bu,šu,u,oša,anau
カザフ語: bul,ol,sol,mïnaw,anaw,osï,sonaw

指示詞の系列が多ければ多いほど,指示詞の機能・役割は細かく分けられることになる.現代チュルク諸語のなかで系列数の少ない指示詞体系と系列数の多い指示詞体系とを対照させることによって,談話構造,談話過程に関わる知識や認識のあり方がとらえやすくなると考えられる.

しかしながら,現代チュルク諸語指示詞の研究は質・量ともに十分とは言い難い現状にあり,それらの指示詞の機能や体系は個別的研究においても,対照研究においても十分明らかになっていない.

そこで,本論文はチュルク諸語に属する言語の内,カザフ語,ウズベク語,新ウイグル語,トルコ語,アゼルバイジャン語を取り上げ,それらの指示詞の特性を明らかにすることを目的とする.また,従来個別に研究されてきた現代チュルク諸語の指示詞を,さらに対照研究という形で総合的にとらえることによって,人間言語の普遍的特性と各言語の個別的特性を探り出すことを目的とする.

まず第1章では,統一的な考察・記述の規準として以下のようなものを用い,指示用法の区分を行った.

(2)指示用法区分の規準
・発話現場において指示対象が知覚可能か否か
・談話内で当該の指示詞より前に,同一の指示対象を表す言語表現が必要か否か
上記の規準によって以下のように区分される指示用法ごとに,各言語の指示詞の分析を行った.

(3)指示用法の区分
1)現場指示用法(発話現場において知覚できるものを指示する用法)
2)非現場指示用法(発話現場において知覚できないものを指示する用法)
2−1)独立指示用法(言語表現によって談話に導入された要素と同一指示となる必要がない指示用法)
2−2)非独立指示用法(言語表現によって談話に導入された要素と義務的に同一指示となる指示用法)
以上述べたような考察・記述の基準や方法は,日本語,漢語,朝鮮語,英語など他の言語の指示詞研究においては以前から用いられているものであるが,チュルク諸語の指示詞の先行研究においては明確ではなく,また統一的ではなかった.本論文はこのような規準を用いてあらたに言語資料を収集,分析することにより,チュルク諸語の指示詞の機能と体系を正しく,また,その出現環境について予測力のある形で記述しなおすことができた.

第2章では,以上のような規準・区分の下に言語ごとに指示詞を分析し,対照を行った結果,以下のような対応関係が明らかとなった

(4)チュルク諸語指示詞の区分
  要素の新規導入 導入済み要素の指示 導入済み要素からの選択
カザフ語 近称 mïnaw bul osï
遠称 anaw ol sol
ウズベク語 近称 manavi bu shu
遠称 anavi u o'sha
新ウイグル語 近称 mawu bu mušu
遠称 awu u ašu
トルコ語 近称 şu bu
遠称 o
アゼルバイジャン語 近称 bu
遠称 o
これらの結果を基に以下のような点を主張した.
(1)チュルク諸語においては,言語間で形態的に類似した指示詞にも,機能の違いがある.
(2)チュルク諸語においては,言語間で系列数が異なるにもかかわらず,各言語の指示詞は現場指示(直示)用法における距離条件の下では遠近2系列である.
(3)現場指示(直示)用法,非現場指示(あるいは文脈指示/照応)用法のいずれにおいても,距離の条件の上に,あるいはそれとは別に談話処理のための条件や談話構造が関わって指示詞体系が構築されている.

第3章では,現代チュルク諸語の指示詞体系と,系統の異なる言語の2系列や3系列の指示詞体系とを対照した.その結果,距離の条件による指示詞の区分において,言語間の類似性が見られる一方,その他の条件による区分は言語ごとにさまざまに異なることが示唆された.

指示詞は談話構造や談話過程に関する話し手・聞き手の知識や認識をとらえるのに有効な研究対象であり,近年,そのような観点から,諸言語の指示詞を対象とした研究が生まれている.これらの研究が対象とした言語は,日本語のコ・ソ・アをはじめとして,2系列や3系列の指示詞体系をもつものであった.多系列の体系を含む現代チュルク諸語の指示詞についての本論文の成果は,従来の研究成果に加えて,指示詞研究,談話研究一般に大きな貢献をなす可能性をもつものである.