九州大学言語学研究室

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田中 大輝「連接名詞句のスコープと文の意味理解モデル 」

 本論文は、「文そのものが持つ意味」とは何か、そして、我々の理解がそれを基にしてどのように成り立っているかという問題について議論する。ここでの枢要な前提は、認知科学としてのアプローチを採り、なかでも生成文法の立場に立つということである。認知科学とは、人間の脳の働きをモデル化し、立てた仮説を検証していくアプローチである。また、生成文法の立場とは、ことばの運用の背景に、単語を構造化して文を構築する計算体系(Computational System)が存在するというもので、Computational SystemによってLF表示が出力され、これがさらに別のモジュールで「解釈」されることにより、最終的に人間は文を発したり文の意味を理解することができると考えられている。

 LF表示は、語彙項目がComputational Systemによって構造化されたものである。そのLF表示から機械的に派生される意味の表示を本論文ではSR(Semantic Representation)と呼ぶ。つまり、このSRこそが「文そのものが持つ意味」であるという立場である。当然ながら、SRそのものには、我々が持っている文化的な背景知識などは盛り込まれていない。しかし、実際に我々がある文から感じ取る意味の中には、様々な世界知識や常識などが関わるものもある。本論文では、このような「理解」は、出力されたSRがその後のモジュールで「変形される」ことによってもたらされたものによると考えている。この「変形されたSR」をModified SRと呼ぶことにする。

 そこで問題となるのは、実際の文について、(i) そのSRはどのようなものか、そして、(ii) そのSRからどのようなModified SRが生じうるのかということである。本論文では、「AやB」「AやらBやら」「AとかBとか」といった連接名詞句が持つスコープ解釈に注目することによって、この問題に取り組んだ。

 スコープとは、意味解釈においてその言語表現の影響下にある(と感じられる)範囲のことであり、これまで、特に量化詞(quantifier)のスコープを中心として、Computational Systemのあり方を追究する研究でよく扱われてきた。スコープ解釈はLF表示を反映するものであると見なされてきたため、スコープ解釈を観察することによって、どのようなLF表示が出力可能であり、どのような働きがComputational Systemに備わっているかを予測することができると考えられてきたからである。

 連接名詞句には、従属節の中にある場合に主節全体をスコープに取れるという特徴がある。しかし、これは量化詞には見られない特徴である。その他にも、逆スコープ解釈、弱交差現象など、連接名詞句はいくつかの点で量化詞とは異なる振る舞いをする。さらに、連接名詞句は、文内にとどまらず、文を越えた範囲をスコープに取ることもある。したがって、連接名詞句のスコープは文レベルの問題(すなわちComputational Systemのみが関わる問題)ではなく、談話レベルの問題(周辺モジュールも関わる問題)として扱わざるをえない。本論文では、連接名詞句が具体的な対象物を念頭に置いたグループ表現であるという点で量化詞と性質が異なることに注目し、一見特殊に思える連接名詞句のスコープ解釈は、SRにおいて直接表現されているものではなく、「とりたて」および「個体視」という認知的操作によって生じたModified SRによるものであるという分析を提案した。

 ある言語表現について、あるスコープ解釈が観察されたとしても、それはComputational Systemの働きを直接的に反映するものであるとは限らない。スコープ解釈には、SRで表現されているもの(すなわち、Computational Systemの働きによって決まっているもの)だけでなく、Modified SRによって表されているものもあるからである。したがって、スコープ解釈からComputational Systemのあり方を追究する研究を行うためには、観察されたスコープ解釈が何に基づくものであるかを慎重に見極めなければならない。本論文においてその性質を明らかにした「とりたて」および「個体視」という認知的操作は、この点において重要な役割を果たすことになる。これらの認知的操作が適用可能な場合を絞り込むことができるため、そのスコープ解釈がSRで直接表現されているものかどうかの判断がよりスムーズに行えるからである。たとえば、第4章で述べているように、いわゆる量化詞の場合でも、スコープ解釈にこれらの認知的操作が関わっている場合があり、本論文の分析に基づけば、それらの場合を適切に排除することが可能になる。このように、本論文は、連接名詞句を主に分析の対象としているが、その波及効果は、名詞的表現一般の分析に及ぶものである。