人間環境学への想い

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1.昨年末に参加したIUAESからはしばらく時が経ってしまったので、話題を変えようと思います。話題は最近、募っている想いでもある、人間環境学についてです。 2.この話をする前に、迂遠な話ですが、これまでの大学の話から始め … 続きを読む

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言葉

1.「言葉」この一つの話だけで、いくつもの側面があって、論じるのが本当に難しい。また以前、竹内敏晴さんに教わった、声や身振りの次元は味わうに愉しい。言葉は人間にとって、汲めど尽くせぬ源泉のようなもの。少なくともその一つ。

2.昨年末、ドイツで理科系の学生たちと食事をしていたら、ある学生さんが注文した飲み物のボトルを前に「僕、こういうのを見ると、成分は何なんだろうって考えちゃうんですよねぇ」と言うと、周囲にいた理系の学生たちが「そうそう」「わかるぅ」と共感して聞いていた。

3.それを見て、「ははぁ」と思った。私たちにはそういう発想は弱い(ないわけではないのは以前も書いた)。けれども、同じ飲み物を見たら、僕やその学生なら、「この飲み物はどこからどういう人伝いに来たか」と考えるんじゃないかと思った。

4.同じ世界を前にしても、どこに焦点をあてて、何に着目するのかは多様だ。同じボトルを前にしても、その「中身」の成分に注目するようにトレーニングされた人々もいれば、その「物」の経緯に注目するようにトレーニングされた人々もいる。

5.社会心理学やメディア研究で、「マスメディアの効果」について論じる際、有名な議論に「(メディアの)話題設定機能」というものがある。メディアで放映されたものを見聞きしたからといって、すぐにそれを模倣すると思われていた(強い効果論)、かといって、例えば政治的信念のある人に対して、その信念を変えるほどの効果は及ぼさないという実験結果も出ていた(強い効果論の否定)。これらの後に出てきた、ちょっとフーコーの言説=権力論と共闘できそうな議論が「話題の設定機能」というものだ。おそらく、理系にせよ、文系にせよ、学校というメディアで学生が学ぶ言葉と、その「話題設定機能」というのがこういう形で現れるのであろう。そして、一度「成分」に注目が行くと、その中の分析に話題が方向づけられ、逆に一度「経緯」に注目が行くと、その経路や人手に話題が方向づけられがちで、それは決定されるわけではないけれども、その他の発想の展開を大きく規定する、という話である。

6.なので、もう10年ほど前から、大学の授業で、かなり一般的な入門的な授業であっても、僕はマスメディアの投資構造というものをいつも新入生たちに話すようにしてきた。テレビ局は株式会社なので、それに投資する人たちがいてはじめて成り立つ。そして、多くの場合それは、新聞社(やラジオ会社)なのである。なので、テレビ局が、自社系列の新聞社の批判を積極的には報道できないことは当然のこと、という話をする。「だって、君たち学生だって、僕が成績を出す以上、積極的に批判はしにくいでしょ」という話もする。

7.こういう話をすれば、勘の良い学生なら、「じゃぁ、その新聞社の株主はだれなんだ?」と思うだろう。これはこの10年くらい、いったん株式公開が義務付けられた後、修正されて、なかなか大手新聞社の出資者が簡単には分からないように、生命保険会社とかになっているけれど、地方の新聞社などではかなりあからさまにみられるところもある。例えば西日本新聞社の場合、大株主のトップ3は電通、九州電力、新日本製鉄がそれぞれ3%台を保有している。これらの投資者は、西日本新聞が運営されれば自社の商品も売れる仕組みなのだから当然であろう。その仕組み自体を問題視はしていない。そういう社会に生きているのだから、そこから便益を享受している市民が1人1人知っていることが望ましい。

8.が、こういう仕組みがあるから、視聴者は、テレビ報道の内容を、この構造を考慮して聞いた方が良いし、読者は、新聞報道の内容を、この構造を考慮して読んだ方が良いのである。これは大学生の社会科学入門にふさわしい内容だと思うので、僕は新入生に教えているのである。

9.ドイツのTazに出かけた際、「日本はなぜ唯一の被爆国なのに、原子力発電に強く反対しなかったのか?」と記者に聞かれた。ある理系の先生が「日本では核の<軍事利用>と<平和利用>は別と考え、無限のエネルギーの可能性を秘めていると思われていたし今も一部の科学者はそう思っている」と応答したので、文系の人間として「それは一時読売新聞が大々的にアメリカと組んでプロパガンダしたからで…」と補った。このことは『原発導入のシナリオ―冷戦下の対日原子力戦略―』というタイトルでNHKで1994年に放映された番組で描かれており、隠すべきことは何もないと思われたからである。また、ハインリヒ・ベル財団で「どうして日本では福島の後でなお、再生エネルギーが進まないのだと思いますか?」と訊かれ、同様に応えたうえで、「新聞社の大株主に電力会社があるからといって、必ずしも直接的に発電会社がメディアに力をかけるわけではありません。私が知っている例でも例えば東芝EMIが反原発ソングのアルバムを差し止めたことなどは中間企業の自粛です。しかし、こうした自粛とときにあからさまになる外圧とを支えるのは、このような投資の構造があるからです」とお話しした。

10.実際、テレビでも新聞でも罹災地の「惨状」を報道する内容は多く、それがゆえに、特に当初は多くの「支援」ボランティアが詰めかけ、今も、頑張っている。他方で、ドイツから不思議に思われて何度も質問を受けたように東京電力や政府、アメリカに批判が向かわないのは、そのような問題を指摘して積極的に書く報道、記者、メディアが少ないからであろう(全てとは思っていない。年末のNHKや朝日新聞はこの点、よくやっていると思う)。メディアを通じて「話題設定機能」は充分に機能している。特にそれは、今回のように、何か普段から考えたことがない人には最も効果的に浸透する。そういう作業をしているのだということを、報道の人たちには分かってほしいと思う(*)。かといって、そうした批判の先に「よい原発電力会社」ができることには疑問なので、私は私で、NPOもやいバンク福岡、九州大学大学院人間環境学研究院FD「安心・安全検討委員会」やIMSのナチュ村でドイツのエネルギー革命と教育についてお話し、より安全な基準でエネルギー供給をする仕組みを提示したいと思う。問題は原発か否かではなく、同じものであればより安全な基準にしてゆくということに生の質を増す仕方があるからである。

*そういえば、ドイツでの旅程中、こんなことがあった。テレビ用の取材に来ていたディレクターとカメラマンが、取材2日目ではやくも「政治的な絵をとって、文化的なものをいれて、それで先生からインタビューをもらうのが良いんじゃないですか?」と。私は10日のうち、2日目にしてこうした決められてゆくテレビ報道の「構文」にいささか驚いた。そのことを同行の新聞記者の方にお話ししたところ「そうですよ、彼らが欲しいのは『絵』ですからね」とお話ししてくれた。「ただ」と付け加えられたところでは「ある意味、新聞はもっと枠組みが決まってますよ」とも話をしてくれさらに驚いた。確かに、2人で相談していたので、テレビ取材の「構文」が明らかになった訳だが、1人で考えている新聞取材の「構文」は顕現しないだけなのかもしれない。そのときに話し合ったのは、テレビと新聞の世界というのは、研究者にとって、パワーポイントと論文の世界に似ている気がするということ。パワーポイントだと、ある程度論理に齟齬があっても「見れてしまう」が、論文だとそうはいかない。けれどもパワーポイントだと見てわかる側面が強くなるので、多くの人に投げかけられる。研究者の論文にもこうした「構文」はもちろんある。たまに指導で「論文としてはもうひとひねり欲しい」などと言われるのがそれで、ある種の期待と、その裏切りがないと研究者は満足できないのである。私自身はちょっと斜に構えて、そういう現象を見ているが、それ自体が研究者の構えの構文なのかも。

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ドイツの印象

1.この10日、ふとしたことがきっかけでゲーテ・インスティチュートから招待をもらい、罹災後の日本への贈り物として「エネルギーシフトとしての文化転換」というプログラムに参加する機会をいただきました。内容についてはこれから、17日NPOもやいバンク福岡での報告をしたり、20日ゲーテ・インスティチュートにも報告書を提出しますし、3月の年度末出版予定の報告書(『フィールド人間環境学ことはじめ』)で書こうと思うので、ここでは彼らが私たちに呈示しようとしたところ以外で、私が感心したことを書こうと思います。たった10日なので、印象にしかすぎませんが、それでもヨーロッパは初めてだったので、大変興味深かったです。

2.今回は南西ドイツのフライブルクから北東ドイツのハンブルクまで、列車やバスを乗り継いでいったのですが、まず興味深かったのが、大地と建築との関係でした。例えば北ドイツの方に行くと、赤土がよく露出しているのですが、そういう土地の家には赤煉瓦が使われていたりして、当たり前のことですが煉瓦も土の産物なのだと実感させられました。またドイツは近世に至るまで領土が小分けにされていたので有名ですが、現在でもその土地に根差した建築様式が見られ、ハイデガーの弟子和辻が「風土」という概念を思いついたのもよく分かる気がしました。

3.現在でも大学の主な財源は州からのものであり、連邦国家からのものではないようです。もちろんそれが故のデメリットもあるのですが、例えば連邦の首都ベルリンでさえ、それほど高層の建物はなく、それに匹敵する都市がミュンヘンやハノーヴァ、ハンブルクにも見られるように、ドイツに来ると一極集中していない「道州制」というのが如実にイメージできました。そうして、自分たちの身近なところから積み上げていっているせいか、どの土地に行っても自分たちの納得したやり方で子どもたちを育てている「落ちつき」が感じられました。

4.また都市に近づくと一角に低い掘立小屋が並んでおり、最初は移民のゲットー化したものかと思って驚きましたがさにあらず。同行したドイツ近世史家の出村先生に依れば日本で言えば日曜農園のようなもので週末にバーベキューなどして愉しむのだとか。まぁそうした子育てと菜園の愉しみを持つ風土なればこそ、チェルノブイリ事故の後はスペインの小さな島に移住した家族も珍しくはなかったと伺いました。

5.また「風土」と書くとある環境がいつも変わらぬ人を生むと考えられかねませんが、私たちが眼にしたのはあくまで2011年の戦後ドイツの帰結であり、歴史については興味深いもののまだほとんど何も知らないことを認めざるを得ません。ただ、戦後のドイツ史は日本の戦後史と酷似している構造と、大きな違いが両方見られ実に興味深いものでした。

6.具体的には戦後の経済体制が上手くゆき、工業を中心に再興し、その象徴が自動車産業だったこと。それがゆえに環境汚染を引き起こしたこと。また戦前との対決として学生運動が熾烈を極めたこと。そこから過激派の赤軍、反原発、有機農業志向などがうまれたこと。その後、政治やメディアが保守化したことなどは構造的に酷似しているように思われました。

7.他方で、ベルリンでは自由時間を利用してナチの恐怖政治を展示する「恐怖の地政学」や、被虐殺ユダヤ人モニュメント、ユダヤ博物館などを見てきたのですが、あぁした博物館が首都のほぼ中心部にあること、また「ドイツでは反原発とか有機志向を表明しない人間や研究者は奇妙な目で見られた」とさえ言われることから、大学における研究者差別が逆向きになっていること、そして緑の党の指示や2022年までに原発撤廃を決めたことなどには大きな違いがあると思われました。

8.出かけた時期がクリスマスシーズンだったこともあり、「これはゲーテ・インスティチュートからのクリスマス・プレゼントのようだなぁ」と感慨深く思いました。私がその受け取り手としてふさわしい人物だったかどうかはまだ迷いますが、私の今後次第でふさわしくも「なれる」かもしれません。

9.少なくとも、私たちを介して罹災後の日本をこんなにも応援してくれる人たちがいることを忘れてはならないし、自分もしっかりしなきゃな、と思えました。大学というのは(その他の機関と同様に)様々な力がひしめく場所なので、時には内部の人間関係でうんざりさせられることもあるのですが、外でこういう風に真摯に取り組んでいる人たちに出遭い、はげまされました。

10.一緒にいった東北の理系の学生たちもすがすがしくて、いつかまた会いたいと思っています。こうした人間関係はいくらこちらが望んでも、自分の意図だけでは再生も、持続も可能ではありません。だからこそそうした関係を心行くまで慈しむために、私たちが責任のある大人としての判断をしなければね。文化人類学実習の学生たちも、不在中、関先生とよく頑張ってくれました。さぁ、世界に向き合おう!

 

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