共生社会システム論宣言!

1.九州大学人間環境学研究院人間共生システムコース共生社会学に奉職して5年。10年内位には「共生社会システム論」とは何をする学問なのかを形にしなければと思ってきたが、自分なりに見通しがついてきた。

2.そもそもなぜこんな名前の専攻ができたのか、また、表向きの看板の論理と文部科学省と九州大学の本部からの論理とがいかに異なっているのか、という問題もあるのだけれど、これはもう置いてゆく(学問的には高い理想を失っていて、実にくだらないのである)。

3.共生社会システム論は、3本の柱を持った学問生活である。

4.1つは、社会科学であり、私はこれまでの経歴で言えば、地理学、比較宗教学、共生社会システム論を学んできた。こういう人間からすると、実に当たり前のことなのだが、社会の実態を捉えるための様々な方法が社会科学には蓄積されてきている。私がこれまで主に親しんできたのは文化人類学的な参与観察であり、卒業論文、修士論文で取り組んできた栃木県久野又の研究、宮崎県椎葉村の研究、福岡県福岡市の野宿者研究、オーストラリア先住民アランタ民族の研究は、この系譜にあたる。

5.但し、社会科学にはある種の限界が付きまとう。具体的には、健常な社会であれば研究者が「参与観察」で学ばせてもらう、という態度になっていても構わないのだけれど、何らかの意味でダメージを受けた社会では、そこで「観察」することが、新たなダメージの再生産につながることがある。特に、「暴力」現象の疑われるフィールドではそうした危険性が濃厚になる。なので、これまでの私の親しんできたフィールドで言えば、オーストラリア先住民アランタ民族の世界や児童福祉施設の世界、熊本県水俣市の世界などは、この系譜に連なると言えるのではないかと思う。そこではダメージ・リカバリーの具体的で支援的な姿勢が必要になる。

6.ダメージ・リカバリーへの支援は必要かつ重要なのだが、ダメージを受けての姿勢になるので、そこからダメージの生じにくい健常社会を構築していく姿勢には弱い側面がある。そこで、積極的に先回りして、健常社会の代替案を創出する代替実践の姿勢が必要になる。これまで私の親しんできた世界で言えば、臨床心理学の世界、市民講座でのワークショップの世界、NPOもやいバンク福岡の世界がこれに当る。

7.この3つの柱は、理念的・論理的には相互に循環し、社会科学→ダメージ・リカバリー→代替実践→社会科学(変化の科学)…となってゆく。当たり前と言えば当たり前のことなのだけれども、実にこれがそれぞれに分化していて、必ずしもそうした展望で学問生活が展開されてきていない世界の方が圧倒的なようである。実際、通常は、①を学者の世界、②を開発・福祉・医療の世界、③を運動・信仰・芸術の世界のように描いてこられたように思う。そしてそれぞれの世界では「それだけ」のツールで頑張ろうとする人が多い。

8.けれども私が思うに、この3つの姿勢はいずれも人間が生き生きと生きてゆくうえであると良い姿勢であり、どれも必要なのである。私は「選択」するのは苦手なので、人生で新しいものに出遭ったらなるべく「包括」するように努めてきた。ある意味でその学問化が、私の共生社会システム論と言えるのかもしれない。これは既にその片鱗を「生成する儀礼」[飯嶋・徳安1999]で書いていたけれど、当時は②の柱が弱かった。10年毎くらいに自らの研究をふりかえり、これまで何が見えてなくて、そこから何が成長してきたのかを確認していこうと思う。

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