2013年度行事開催記録


【報告】「応答の人類学」第12回研究会(2014年2月19日)

以下の通り、公開研究会を行いました。

参加者約20人(+メディア取材数人)

課題研究懇談会「応答の人類学」第12回研究会+徳島大学パイロット事業支援プログラム Field Station ワークショップ「地域で学ぶ、地域と学ぶ:大学における地域貢献とフィールド教育の展開」

主催:平成25年度徳島大学パイロット事業支援プログラム(社会貢献事業)「地域の持続的発展に資する機動型臨地教育/研究拠点(フィールドステーション)の形成」/日本文化人類学会課題研究懇談会「応答の人類学」

日時: 2014年2月19日(水)10:00~16:00
会場: まちなかキャンパス@徳島(徳島市東新町1丁目16-3 VEEビル3F)

趣旨
近年、大学が地域のニーズに応える研究/実践あるいは地域のニーズに応えることができる人材育成をおこなうことが求められています。そうしたなか各地で、教育の場を地域社会に求め、地域と協働した教育/研究/実践をおこなう試みがなされています。このワークショップでは、北九州市立大学地域創生学群における課題解決型学習(Project-Based Learning: PBL)導入事例や徳島大学の人類学・社会学系教員によるフィールドワーク実習のとりくみ事例を検討しながら、地域との協働にもとづく大学教育/研究のあり方やそのマネジメントについて考えます。会場準備の都合上、事前申込をお願いします。

【基調講演】
10:00-11:00:「地域におけるPBL+SLの実践:地域の再生と創造を担う人材の育成に向けて」
眞鍋和博(北九州市立大学 基盤教育センター・教授)
11:00-12:00:質疑応答
12:00-13:30:昼食
【話題提供】
13:30-13:50:「地域課題に向き合う学生を育成するためのカリキュラム改革」
玉真之介(徳島大学 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部・教授)
13:50-14:10:質疑応答
14:10-14:30:「学生実習におけるフィールドステーションの構築と活用:教育と地域貢献の両立を目指して」
高橋晋一(徳島大学 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部・教授)、内藤直樹(徳島大学 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部・准教授)
14:30-14:50:質疑応答
14:50-15:00:コーヒーブレイク
15:00-15:30:コメント
コメント1 飯嶋秀治(九州大学 大学院人間環境学研究院・准教授 )
コメント2 矢部拓也(徳島大学 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部・准教授)
15:30-16:00:総合討論

眞鍋和博氏プロフィール:
北九州市立大学 基盤教育センター・教授/地域創生学群・群長/地域共生教育センター・センター長、北九州まなびとESDステーション・プロデュ-サー、北九州市ブランド推進委員会・委員長、日本インターンシップ学会・常任理事
株式会社リクルートを経て、2006年に北九州市立大学キャリアセンターに着任。地域創生学群の創立・マネジメントに尽力。2009年より現職。

【討論の内容】
大学の評価軸の一角に「社会貢献」や「地域連携」が入って10年か経過し、その成果が問われつつある。そこで今回は、日本に3つある「地域創生」の1つ徳島大学の地域創生センターが、もう1つの北九州市立大学の地域創生学群の眞鍋氏を招聘して、基調講演を行ってもらい、今後の「地域創生学」の在り方を討論した(ちなみにもう一つは札幌大学)。
最初に、今回の企画の内藤直樹氏より、今回のワークショップの趣旨として、「地域の<潜在的資源>の掘り起し」拠点を形成するために、京都大学でやってきた「総合的臨地教育/研究モデル」を活用しつつ①課題解決型のプログラムマネジメントをどうするか、②亜大解決型のプログラムの運営方法をいかにするか、③社会的要請への応答のあり方を、応答の人類学を含めてどうするか、という問題提起があった。
次に、北九州市立大学の眞鍋和博氏より①リクルートで14年働いてきた自己紹介、②3年間の「実習」と4年間の「演習」から「卒業論文・実践報告」へ至る地域創生学群のカリキュラム内容について(2009年~)、③地域共生教育センター(通称421Lab.)という地域創生学群以外学部生への地域貢献への開放について、④北九州市内の10大学が連携したPBL、北九州まなびとESDステーションについて(2012年~)、⑤学生の成長トリガーについて、内幕を講演をしていただいた。

【教員A】学部をつくられる時の学生の出口は考えられていますか?
【眞鍋】どこの企業でも行ける学生を育てたい、ということで創りましたが、一方で高校からは「そんな就職先がイメージできないようなところに行く学生はいない」と相当言われました。が、1年目は就職率は100%です。
【教員A】教員側のストレスは?
【眞鍋】あると思います。地域での実習教育は自分の専門外のことをやっているので。ですがまぁ、やっていくしかないので、教員ができるだけスムーズにやっていけるように私が動く時もあります。それと教員12人中6人はこの学群のために獲っているので、やってもらっています。3年目くらいまでは苦労しましたが。
【学生A】凄い大変そうと思いました。実習の合間に授業に行くとのことですが、授業を実習のために休まないといけないとかないですか?
【眞鍋】絶対に授業優先ということは徹底してますが、どうしても大きなイベントがあって、自分が抜けられない時だけは休めるようにします。
【学生B】大学生らしいことがやれない気もしますが、逆に貴重な経験ができるとも思いました。
【眞鍋】サークルと実習との関係では、実習を絶対優先です。地域との関係があるので、ここは崩しません。唯一許せるのは、サークルのレギュラーで大会に出る時だけです。でもサークルをみんな結構やってますけどね。時間の使い方がうまくなってますね。アルバイトもしていますし。
【学生C】長期休暇(夏休み)なんかもとれなくなると両立が難しくなるのでは?
【眞鍋】現場はルーティンなので、チームでローテーションを組んでやってますね。帰省しないってことはないと思います。
【学生D】留学とかを考えている学生は?
【眞鍋】年に4~5人いますが、本人が勉強する機会を遮断はできないので、地域の方々や実習のチームメンバー、担当教員とでよく話し合って許可を出します。
【学生E】大変そうだけれど、フィールドワークには興味があるので、良いかな、と。
【眞鍋】きつめに言いましたが、うちの学生は愉しそうにやっていますし、実習以外のボランティア活動や実践的な活動も同時にしてますよ。アルバイトも勉強も。むしろ卒業時の満足度アンケートでは、他学部に比べてうちはトップで、「大変満足しました」が8~9割でダントツですよ。
【教員B】経験がない学生からするとインパクトあったかも。僕の場合、(フィールドに)子供も一緒に行って、面倒見てもらって、って感じにやってて。だからイヤイヤやっている訳でなくて、そのポイントは(そういうプログラムが向いている学生を入れるような)入試があるからですよね。
【眞鍋】入試制度と、学部の雰囲気がそうなっているので、凄く良いんですよ。
【教員B】愉しみの中でちゃんとやりますっていう体制があるとずいぶんいいんでしょうね。
【眞鍋】昨日、あるプロジェクトリーダーと話してて、決断を迫りましたよ。これまで4年間市の助成を受けてきたのを、「自分たちでやらんといかん」と気づき始めて、半年ほど結論が出ず「今日判断しろ」と迫りました。その学生は「ゆるキャラ」をマネジメントする団体を自分でやってて、発注が来るようになってて、イベントに派遣するようなことをやっています。それは実習活動に支障がないようにということと、地域に迷惑かけないように言ってますが、それを両立させてのは凄いですね。
【教員C】社会が求める人材をつくることが徹底しているので、各都道府県に1つあると良いかな。払っている授業料の10倍くらいとっているのでないか。会社に入った時の伸びしろも違いそう。全部が全部とは思いませんけど。
【眞鍋】そう、私もそう思いますが、でもこれが大学として良いのかというのが分からないところ。しかし、企業で求めているのは、指示なしで自分で考えて動ける人材なので。
【教員D】大学が改組と言うがネーミングだけの問題になってしまうが、今回は話を聞いて凄いと思った。リクルートから見た大学像をイメージして創ったような。今、企業に入ると本当に大変だから、大学と企業のギャップが凄くあるから。それを無理やりでなく、自らやっているのが凄いと思いました。
【眞鍋】就職した卒業生に聞くと、「大学時代の方が大変だった」と言いますね。こんなんでいいのかとは思いますが。あとは、逃げられないところからやり遂げさせるという話をしましたが、今の社会だと、やり遂げられないとわかると仕事をやめて、というのを繰り返して、10年たってみたら何も身についてないみたいなことになっている人が多いように思います。そういう人間を作りたくないんですね。壁を乗り越えて初めて達成感が得られる。年に2~3人は実習プログラムを移りたいっていう学生が出てきますが、変えさせないですね。そのような学生に話を聞くと、しっかりと活動ができていないことが多いです。
【教員E】ある大学だと、あまりにもテクノロジー・スキルを身につけて、企業を馬鹿にするような学生と現場の距離が生じる時がありますが、むしろ社内教育システムをもっているとやりにくいってことはないですかね。
【眞鍋】あると思います。しかもうちの学生たちは大手企業志向をあまり持っていないようです。大手も面白いけれど、自分のやりたい仕事がすぐできない、と。大企業の社員は、しっかりしているけれど、つまらなそうにやっているな、とか。むしろ地元に密着している現場の第一線でやりたいみたいな学生が多いですね。
【教員E】他方で大学では知識を学ぶって路線で来てますから、基礎知識を学ぶことが社会に役立つと言ってますが、そういう学的学びとの関係は?
【眞鍋】難しいですね。ただ3年生くらいになると、だいぶそういうところが出てきます。例えば、実践をやってみたけれど、失敗した、知識がなかったことに気づいて、大学でマネジメント論や知識を習得できる授業をやってますから、それを履修するといった具合です。また、クリティカルに現実を捉えるやり方は教えています。それと、専門的知識については、「学部ではなく、大学院で」と考えています。
【教員E】自分で学べる学生は好きな一方で、社会の風潮では専門人材とか資格を取らせるという発想がありますよね。高校の教員や文部科学省など。そういう風潮に対してはどんなふうに?
【眞鍋】専門人材が必要な分野もあって特化すればいいとは思いますが、私の分野で学生のことを考えたときに、学ぶ方法や動機づけ、シチズンシップが重要だと思っています。それから資格も、うちの学生たちは必要なら、自分たちで取っているみたいですね。なので、資格に関してはあまり強く取り扱うことはやってないです。
【教員B】(これだけの応募)人員と卒業人員(就職実績)の数字がすべてを正当化できますよね。
【眞鍋】今のところは有難い限りです。
【教員F】プロジェクトは3年連続ですか?
【眞鍋】はい、詳しく言うと、1年生に入学する直前から、既存の1~2年がプレゼンします。偏りは多少あっても大体第一希望で収まってきていますね。
【メディア】人口が減る中で会社で求められる人材開発が大学でここまでやっていることでショックを受けました。一方で、大学で学問をする時間を確保したい気もして、学生時代に何のためにやっているのかわからない本を読んで、現場に行って、というのを4年やった結果が後の力になっているところもあるので、そういうところも大学にあってほしいと思いました。
【教員G】北九州市だと、がれき受け入れがあったりするから、学生がやりたがっている方向と、市の方針がぶつかったりして、問題化するような事態はありませんか?
【眞鍋】今までに大きい部分でぶつかったことはないですね。というのも考えてみると、「これは教育なんです」「みんなで学生を育ててください」と地域にお願いしてきたので、多少方針が違っても、大人として教育するという方針では大丈夫だったんだろうと思います。

午後は玉真之介氏より、話題提供の1つ目として、「地域課題に向き合う学生を育成するためのカリキュラム改革」に関する報告があったが、これは徳島大学で現在進行形の将来構想なので、ここでは割愛。ただしそこにはフィールドワークが大きな比重を占めるがそこは現在のところ白紙であったので、それを具体的にどうするのかを考える必要があるので、その部分を高橋・内藤の報告で考えるという役割分担である。
次に、前日の18日に学生たち20人ほどと現地住民60人ほどの方を前に報告してきた高橋晋一氏から、「学生実習におけるフィールドステーションの構築と活用―教育と地域貢献の両立を目指して―」で、自己紹介から実習調査の歴史的変化、徳島県美波町木岐での津波防災とまちづくり実習(2年生か3年生が履修)を報告し、冒頭の内藤報告を受けた「機動型フィールドステーション」での文理融合・学際的な地域研究の展開と課題を示唆。話題提供の3つ目めとして、内藤直樹氏から学部1年生の基礎ゼミナールで行った「マイ避難路からマイ避難システムへ:美波町阿部における住民と大学生による避難器具の共同開発」で、隣の集落における主体的防災装置作りの共同開発プロセスを報告していただいた。

これらの講演を受け、飯嶋は九州大学での教育に基づき、①建築・教育・人間科学という3部門での学際実践の歴史、②児童福祉施設での学際実践がどうしてうまく進んだのか、③熊本県水俣市でのこの5年の学際教育が何をどのように模索しているのか、市場的にはペイ(元手が取れない)調査研究の意味を話し、④こうしたそれぞれの大学でフィールドからの呼びかけに応答する人類学のあり方の実践から、(1)真鍋氏には基本的な文化人類学的質的調査者を随伴させることで、質的評価ができる可能性、(2)玉氏には、北九州市立大学のように入試を変えなくても学生のプログラム実習の質を上げる課題の出し方の可能性、(3)高橋氏には演習が数年交代でもプログラムが切れ切れにならない仕組みづくりの可能性、(4)内藤氏には伝統的な人類学的エスノグラフィーの普遍化とは異なる、具体的な文脈に落とし込むフィールドワークの可能性について、コメントした。
矢部拓也氏からは、時間が押していたため、1点のみ、ということで、都市社会学の議論では政府セクターの縮小と変革が、市民セクターの拡大につながるという議論を紹介し、①政府(国と自治体)に対してはNGO、②民間企業(市場)に対してはNPO、③家族に対しては「非私的組織」という形で、市民セクター(新しい公共)であると言われているが、徳島の地域の特性を考えたうえで、どのような地域貢献を具体的に考えていったらよいのか、との具体的な姿が見えてこないので、真鍋氏を招聘したとの問題提起を行った。

【眞鍋】大変勉強になりました。われわれの取り組みが高等教育にふさわしいかというのを問いつつも、どの大学でもディシプリンの壁を越えて地域につながる努力を行っていることと課題を抱えているのが分かりました。逆に私たちはそこを無理やり替えたので、量的以外の評価も入れていかなければ、と思いました。それと、COCプランについては審査員でもあったんですが、3~40校を聞いたところ、どこも目茶目茶本気で絵を描かれていました。その中では徳島大学のプランは他大学とどう違うか、また全学に広がっているかどうかのポイントが大きいんですね。
【教員B】徳島大学として課題解決の何かを提供できないといけないのだけれど、それを本気でやるかどうかというところが問われているように思う。ただそれが過疎とか人口問題だと、どこにでもある問題なので、独自のやり方でやらないといけない。北九州市立大学の場合、いくつもオプションが同時に走っているし、市とのパイプにもなっている。その辺をどう考えるか。その辺りの戦略的視点が欲しいように思うのだけれど。大学の地域貢献ということで言えば、コンサル(タント業者)とかみていくと、我々以上にやっていて。市民セクター理論で見ると、こうした活動は基本的には残余カテゴリーなので、その残余の中で何にどう関与するのか。その中でどこに徳島大学が立っていて、誰をカウンターパートにしたらいいのかが見えない。今のところ県なのだけれど、県立大学でもないし。北九州市立大学のようにコンサル的な実力をもってできるかどうか。それをやるには範囲を絞り込まないといけない。僕の場合は研究までは求められていないから、そのステージではやれるけれど、それだけでは評価されない。でも必要。その辺をどう踏まえて、大学としての見取り図を描かないといけないのではないか。
【教員H】私自身は社会貢献という軸が10年前に出てきたときに、既に医学部や工学部がやっている以外のものを徳島大学としてやるというのが最初の5年だった。もう一つは、地域支援・社会貢献をやっている時には、地域の人にも教育プログラムと理解してしまって、地域も教育されて、我々も教育されてきたところがある。なので、基本は教育の一環というのがある。地域は本当に弱っているが、我々が地域の全てのニーズに応えられるわけではないので、教育と調整がつくところでやると理解してきた。どこかで一線を引いて、学生を一定レベルにして送り込まないと、相手に迷惑をかけるのではないかという。本当はそれは自治体や住民がやらないといけないのをどこまでやるのかという見極めが大事なのではないか。

(文責:飯嶋秀治)

【関連リンク】
徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部
北九州市立大学地域創生学群
九州大学大学院人間環境学府


【報告】「応答の人類学」第11回研究会(2014年2月10日)

北陸地区研究懇談会第127回例会との共催で、公開研究会を行いました。

テーマ:「デザイン工学系および情報産業との関係から『応答の人類学』を考える」

参加者 約30人

日時: 2014年2月10日(月)13:00~17:45
場所: 北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)知識科学研究科5階コラボ2室
(〒923-1292 石川県能美市旭台1-1  http://www.jaist.ac.jp/general_info/access

趣旨
2009年の文化人類学会分科会において、「人類学で/を豊かにすること:人類学の拡張可能性を考える」中で、人類学で産業、ビジネスや工学系を豊かにできないかと問いかけた。さらに昨年の日本文化人類学会分科会「応答の人類学」において、人類学の社会的意義、また若手研究者の新たな職業の開拓を考えることを話題にした。今回の研究会はその延長上にあり、人類学者が人類学について考えるために他分野の研究者から意見を聞くというスタイルをとった。エスノグラフィを実践しているが人類学者ではない二人の発表に人類学者がコメントし他者のロジックを内側から学びます。

司会:伊藤泰信(北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)/「応答の人類学」)

プログラム:

13:25-13:40 主旨説明
伊藤泰信(北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)知識科学研究科)

13:40-14:50 発表
安藤昌也(千葉工業大学工学部デザイン科学科)
「人間中心設計のためのエスノグラフィの現状と展望」

14:50-15:00 休憩

15:00-15:35 話題提供
神田陽治(北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)知識科学研究科)
「情報産業のサービス化事業事例におけるフィールドワークの活用法」

15:25-15:30 質疑

15:40-16:00
コメント1 飯嶋秀治(九州大学人間環境学研究院)/コメント2 亀井伸孝(愛知県立大学)/コメント3 伊藤泰信

16:00-17:00 全体討論

事務局よりご連絡(今年度の活動および会計、科研申請報告など)

◆発表(安藤氏)の概要:
人間中心設計の分野では、ユーザーの利用環境を把握する手法として、エスノグラフィックな調査の方法が1980年代から行われ、1990年代後半には一つの方法論として定着した。フィールドワークによってユーザーの営みを把握することは、昨今ますますその必要性が認識されている。しかしながら、理想としてのエスノグラフィと実際の開発現場の間には大きな溝がある。また、エスノグラフィと称してはいるものの、その実態には様々なレベルがあり、必ずしも人類学や社会学といった分野のそれとは同じではない。本発表では、エスノグラフィを人間中心設計あるいはユーザエクスペリエンスデザイン(UXD)の観点から、その現状を述べ、今後の展望および人類学等との関連性について述べる。

安藤昌也氏プロフィール:
千葉工業大学工学部デザイン科学科・准教授。
NTTデータ通信株式会社(現株式会社NTTデータ)を経て、1998年アライド・ブレインズ株式会社の設立に参加。取締役に就任。ユーザビリティ・アクセシビリティを中心にコンサルティング業務に従事。公立大学法人首都大学東京産業技術大学院大学助教を経て、2011年より現職。NPO法人人間中心設計推進機構(HCD-net)理事。総合研究大学院大学文化科学研究科メディア社会文化専攻修了。博士(学術)。ユーザエクスペリエンス、人間中心設計、エスノグラフィックデザインアプローチなどの研究・教育に従事。

◆話題提供(神田氏)の概要:
サービスの時代を支えているのは情報処理技術である。高度なコンピュータシステムが、グローバルなスケールの高度なサービス提供には不可欠だからである。しかしながら皮肉なことに、コンピュータシステムを販売している当の情報産業は、コンピュータシステムの販売に頼って来ており、サービス化には遅れを取っている。今回は、発表者が所属していた企業における情報産業のサービス化事業を説明し、その中でのフィールドワークの活用法について、発表者の経験に基づいて述べる。

神田陽治氏プロフィール:
北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)知識科学研究科・教授。
東京大学工学系研究科情報工学博士課程修了。工学博士(1986)。富士通国際情報社会科学研究所、富士通研究所、富士通フィールドイノベーション本部を経て、2011年より、現職。サービス研究に従事。

【討論の内容】
・人類学会では、開発と福祉、臨床の現場のようにフィールドから何かしてくれということを強く迫られる領域は、マジョリティではない。そうした領域と対比すると、例えば人類学者はお金を取らないで、健全な社会に<素人>が行き民族誌を描くのに対して、臨床では専門家が有料で問題のあるところにどうやるとよくなったかを時系列で書く。応答の人類学はそれぞれにそうした領域を抱えた人類学者の集まり。
・古典的もしくはマジョリティの人類学では1週間じゃフィールドワークと言わないし現地の視点じゃない。1年間はちゃんとみて、季節毎にかわっていくところをみる必要がある。けれども、ビジネスの領域でエスノグラフィが有用であるなら、無理に人類学にあわせる必要はないのではないか。
・ビジネスとアカデミックの2項対立ではない。逆にビジネスの側からアカデミックをみると、アカデミックでは産業と結びつかず、問題を集約できない、経済的に効率が悪い、限定社会的であり、次の展開を考えていないのではないか。
・相手に役立ってはじめて、市場経済の中では消費者と企業と文化の翻訳ができる。
・エスノグラフィが有用でだれかがやらなければいけないなら、例えばJICAや開発のエージェントと言った人達がやるなら、人類学者がかかわることで人類学の幅を広げるのではないか。
・発表では、企業のフィールドイノベーター達は3人一組で調査に出かけるのに対して、人類学では、マリノフスキーのように一人で現地にいく「孤高の人類学者」だ。現場のニーズを探るにはクライアントと一緒にやるのが時間も短縮できるのではないか。
・人類学では現地の人達と一緒に生活するが、企業にもサムスン電子の地域専門家制度のように、1年間特定の地域にただ住んで生活するという役割を設けた例がある。これがあるから良い製品ができるという訳ではないが、製品開発の際に意見をきくために呼ばれたりなどするから、何らかの貢献はできている。
・人類学者はこれまで、エスノグラフィを作成するときに直結する系図を見える化(スキル化)してこなかった。そのため、Contextual Designのテキストのように、5つのワークモデルを作成し、それを構造化して提示するように手法を明示されると、我々もこのようにやってきたかなと思う。
・フロアA:エスノグラフィの作成について、医療の現場で看護師にそのまま書くように言ってもそこで解釈してしまっている。フィールドノーツがそういった記録とどのように違うのかを、専門知として明文化することが必要か。
・フロアB:フィールドイノベーターの半年間の教育はどのようなものか。
・フロアC:アカデミックの人類学者と企業・工学系のいわゆる“えせのグラフィ”は、作法は違うけど実はあまり違わない気がしてきた。専門家の領域が狭まってきており、表面的に30%ほどは素人でもできることがあるようだ。逆に、「人類学者」ではない自分たちに、できないことは何ですか?と問いたい。
・フロアD:コンピューターの発展で人間のできないことの多くを担ってきた。それでも人間が勝つところはどこか?また、猿まねでもフィールドイノベーターは現場で新たな問題を発見してきた。それ以外に何ができるのか、教育してほしい。

終了後、懇親会

記録者所感:
エスノグラフィは、いまや企業や医療現場などで、コンピューターを導入することにより人とどのような関係を構築するか、またさまざまな製品開発の現場などで応用され成果をあげている。しかし、理由はさまざまあるが、アカデミックな人類学者はこれをまともにとりあげてはこなかった。人類学者はこれまで閉じた社会に固執し、その手法を秘技化していたといわれてもしかたがなかったともいえるかもしれない。これからは人類学者がやっていることはこんなこととして、マニュアル化や集約化により上手く言語化することで、それを学んだ学生が社会に出たときに役立つだろう。また、それがかえって人類学の幅を広げることとなると思われた。
(文責:山口宏美)


【報告】「応答の人類学」第10回研究会・公開合評会(2013年10月12日)

以下の通り、公開研究会を行いました。

参加者 16人

2013年に刊行された以下の2著作の合評会を行います。
他者の生活の場へ繰り返し参与するフィールドワークが、ある場面において、人々の記憶を掘り起こし、関係性をつなぐ記録となるとき、さまざまな現場における文化人類学の「応答」のありようがみえてくる。
2著作それぞれの時間と場所の特定性にこだわりながらも、それらが提示する共通課題について、著者とともに議論してみたいと考えています。
多くの方々のご参加をお待ちしています。

共通テーマ: 震災・噴火・開発――民族誌的「応答」を模索する

1. 木村周平『震災の公共人類学: 揺れとともに生きるトルコの人びと』(2013年, 世界思想社) >> [著作紹介ページ]
2. 清水展『草の根グローバリゼーション: 世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略 』(2013年, 京都大学学術出版会) >> [著作紹介ページ]

司会進行: 亀井伸孝(愛知県立大学)

日時: 2013年10月12日(土)14:00-17:30
場所: 日本福祉大学名古屋キャンパス北館 8D教室
(名古屋駅からJR・地下鉄で約5分。鶴舞駅から徒歩3分)>> [地図]
(当日は、同大学大学院博士課程の口頭発表会が開催されている関係で、使用可能な会場に限りがございます。恐れ入りますが、ご参加いただける方は可能な限り事前にご連絡いただきますようお願いいたします)。

スケジュール:
14:00-14:10 主旨説明 「応答の人類学」世話人
14:10-14:30 著者による概要報告 1
木村周平(筑波大学)
『震災の公共人類学: 揺れとともに生きるトルコの人びと』
14:30-14:35 事実確認の質疑
14:35-14:55 著者による概要報告 2
清水展(京都大学)
『草の根グローバリゼーション: 世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略 』
14:55-15:00 事実確認の質疑
休憩
15:15-16:00 個別著作へのコメント
松浦直毅(静岡県立大学)
中原聖乃(中京大学社会科学研究所特任研究員)
秋保さやか(筑波大学大学院)
東賢太朗(名古屋大学)
日丸美彦(愛知県立大学大学院)
16:00-16:10 全体討論に向けて 小國和子(日本福祉大学)
16:10-17:00 討論とまとめ
17:00-17:30 「応答の人類学」今後の計画
以上。

尚、会場および資料準備の関係上、ご参加ご希望の方は可能な限り事前に以下までご連絡いただけますようお願い申し上げます。
申込み・問い合わせ先:日本福祉大学 小國和子(oguni@n-fukushi.ac.jp)

【討論の内容】

著者による概要報告と事実確認の質疑をした後、全体討論を行った。
木村周平(筑波大学)『震災の公共人類学: 揺れとともに生きるトルコの人びと』
清水展(京都大学)『草の根グローバリゼーション: 世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略 』

木村報告では、東日本大震災の直後の刊行となり、ひとつの「あきらめ」として本書の刊行に至ったという位置づけが示された。人類学はアンタイムリーな営みであってよい、必ずしも直接的な役立ちではなくゆるやかに関わり続けることがあってよいとコメントした。

清水報告では、本書はフィリピンと日本の多くの人たちの声が響き合ってできたテキストであるという位置づけが示された。人類学の最良の部分がテキスト偏重になっている現状を批判的に受け止め、フィールドでの軽いノリでの応答の中に身を置くことの意義を事例とともに示した。

討論の中では、以下のような論点が浮かび上がった。

【フィールドにおける個人の立ち位置】
・プロジェクトにおける人類学者の役割はどうだったか
・軟派な研究者であってもよいのか
・私はいつも巻き込まれ、巻き込まれているうちに変わっていく
・失敗しないように応答したいという欲望がある

【変わりゆく世界】
・「周回遅れのトップランナー」に注目する視点はおもしろい
・グローバル化を飼い馴らしつつ、飼い馴らされているのではないか

【文化人類学分野のあり方】
・学生は、博論まではディシプリンを勉強して、テキストを自ら編み出す覚悟が必要だ
・テニュアについた人類学者は、初心に帰って仕事をすべきである
・オリエンタリズム批判を真に受けて身動きできなくなってしまうのはやめよう
・日本の文化人類学はそこそこ中規模の市場であり、本も売れるから、自足完結の甘えが出るのではないか
・差異の人類学から、類似性と相同性の人類学へ
・関連領域として、地域研究の可能性もある

【応答のいくつかの様相】
・応答のあり方において、地域性は関わるのか。他の地域の震災などと異なる点はどこか
・ふたつの応答(個人としての現場での応答、民族誌を通じた人類学の外への応答)の関係はどのようなものか
・文化人類学は長期間かけて新しい人間観を創出するという応答のしかたがある。それぞれの研究においてそれは可能でありそうか
・応答の人類学は、新しいものというよりは、これまでの人類学の語り直しであろう
・三つの「応答」を考えている。一つ目は、フィールドにおける応答、つまり個々人への応答である。二つ目に、民族誌として書くという応答、すなわち人類学の外に向けて書き、発言することである。三つ目は、自分自身への応答である。人類学をしたいと思った理由は、自由になりたかったからだ。
・応答として、フィールドにおけるコミュニケーションから、時代への応答、社会への応答など、さまざまなスタイルがある。軽いノリでいこう(ボケとつっこみ、あるいは漫才のように)

以上

(文責:亀井伸孝)


【報告】「応答の人類学」第9回研究会(2013年7月27日)

中部人類学談話会および「グローバル社会を歩く」研究会との共催で、公開研究会を行いました。

参加者 約30人

応答の人類学」第9回研究会
シンポジウム「グローバル社会を歩く-かかわりの人間文化学」
主催:中部人類学談話会「グローバル社会を歩く」研究会日本文化人類学会課題研究懇談会「応答の人類学」

#中部人類学談話会第218回例会を兼ねて行われました。

日時 2013年7月27日(土)13:30-17:15
場所 名古屋市立大学滝子キャンパス 1号館 1階会議室
(旧称 山の畑キャンパス・人文社会学部棟 1階会議室)
[アクセス]
[キャンパス]

趣旨
この度、「グローバル社会を歩く」研究会が、名古屋市立大学人間文化研究叢書の第3冊として『グローバル社会を歩く: かかわりの人間文化学』(新泉社)を出版しました。フィールドワークでのかかわりを通じて、「人間文化学」を構築していこうとの意志を再確認するものです。フィールドワークを中心とした研究活動をおこなう過程で経験してきたことを自省しつつ、フィールドでの、さまざまな人びととのかかわりを通じて、未来志向の学問について考察します。

今回のシンポジウムでは、『グローバル社会を歩く』の編者と執筆陣が発表者となり、日本、フランス、タンザニア、インドネシア、中国での調査経験をおもに紹介するとともに、人類学の「応答性」の観点も含めた討論を行います。

司会:亀井伸孝(愛知県立大学/「応答の人類学」)

13:30-14:00 赤嶺淳(名古屋市立大学)
趣旨説明「かかわりあいのフィールドワークをめざして」

14:00-14:30 岩井雪乃(早稲田大学)
「「かりそめの共存」を求め続ける: アフリカゾウの脅威と生きる村」

14:30-15:00 佐野直子(名古屋市立大学)
「言語を「文化遺産」として保護するということ」

15:00-15:20 休憩

15:20-15:50 福武慎太郎(上智大学)
「「自主避難」のエスノグラフィ: 東ティモールの独立紛争と福島原発事故をめぐる移動と定住の人類学」

15:50-16:20 浜本篤史(名古屋市立大学)
「海外研究・異文化研究における調査方法論: 社会調査の前提をとらえなおす」

16:20-16:35 飯嶋秀治(九州大学/「応答の人類学」)
コメント

16:35-17:15 討論

【討論の内容】
まず大前提として、論文では紙幅の経済で結論をまえがきに遡及させて書かざるを得ないこともあるが、そればかり読んでいると、いつも社会調査があらかじめ考えた「計画」に沿って効率的にやられているような錯覚に陥る。そうなるとフィールドで「出遭ってしまった」ことから構想するという、フィールドではよくある学問の展開の仕方が発想として希薄になる。なので、著作には論文に書けない領域がある、というのを改めて確認した。

・基本的に環境保護か開発かという議論で当事者主義に立つ点では本書も環境社会学(生活環境主義)があるが、彼らがフィールドから構築してくる「論理」とは別の、「過程」記述の意味はあるだろうか。
・フィールドへの応答として毎年違う学生をフィールドに送り込んでいるとしたら、現地との関わりで「毎回違う人間が来る」ことへの不服や、学生たち内部で「先輩たちの課題」を後続の人間がただやるということで、モチベーションを維持するのが大変になるのではないか。そのあたりの工夫はないか。
・文化的多様性としばしば疑問視される言語的多様性にはどのような違いがあるか。
・「難民」たちの理解から「私たち」の移動と定住の日常性への問いかけという結論は認識論的には面白かったが、福島の自主避難民の日常と研究者たち日常を認識論的に一緒にしてしまうと、あまりにもその不本意性を捨象している、といったところに自分でも何か考えるところはないか。
・少数言語習得主義と通訳者同伴論が共存できる、パートナーシップ論は構想できないか。
・フロアA:言葉に関しては、私も手話は話すけれど、同じ手話でも分かりやすい、分かりにくいはある。いつもこちらに説明の労をとってくれる話者にであうわけではないので、そういう場合、やはり説明してくれる人間の存在が重要になるのでは。
・フロアB:現地の対立があって巻き込まれた場合、こういう対立をどうにかするのに何か体験があれば教えてほしい。
・フロアC:私の場合はフィールドを転々としたこともあり、現地の言葉は覚えなかったが、リンガフランカとしての英語があった。なので、リンガフランカで調査するのがもう一つのやり方だろう。また、研究会でシベリアやアフリカの研究者とフィールドを見せ合うというのをやったが、これはお互いの視点が違うので面白かっただけでなく、その後、国際学会での議論にも役だった。なので、調査は1人でやるものなのか、複数でやるものなのか、というのも考えてよかろう。
・フロアD:その意味では、私たちも調査をやり始めたころ、私の調査地に大御所の先生方が来てあれこれ話をしていたが、その後、そうした乗り入れがむしろなくなっていった。その意味で、マルチ・サイティッドに他分野連携調査というのを考えたらいいのではないかと思う。

終了後、懇親会

グローバル社会を歩く研究会もまた、国際経済学、生態人類学、社会言語学、文化人類学、開発社会学などの広くフィールドワークを方法的共有のみならず、関心も似通っていたので、新たな仲間を見出した気分であった。けれども、ならば「応答の<人類学>」の輪郭をどこに有意に見出すべきか、と長年の疑問が再度浮上してきた。単なる専門の仕分けを非時間的な言説空間でおこなうのは、思うに、無意味だ(意味としてのセンス(方向性)を見失う)。状況をにらみながら、「有意な」輪郭を描くことが必要とされよう。
(文責:飯嶋秀治)

【関連リンク】
日本文化人類学会課題研究懇談会「応答の人類学」
中部人類学談話会
「グローバル社会を歩く」研究会
『グローバル社会を歩く: かかわりの人間文化学』(赤嶺淳編, 2013, 東京: 新泉社)


【報告】日本文化人類学会第47回研究大会分科会「応答の人類学」(2013年6月9日)

日本文化人類学会第47回研究大会(2013年6月8-9日(土-日), 東京都港区, 慶応義塾大学三田キャンパス)において、分科会を開催しました(本分科会は、「応答の人類学」第8回研究会として行われました)。

参加者 約100人

【公開】分科会「応答の人類学: その初志と課題」(代表: 飯嶋秀治(九州大学大学院))
日時 2013年6月9日(日)15:00-17:25
場所 慶応義塾大学三田キャンパス

【概要】
飯嶋秀治(九州大学大学院)
「趣旨説明」

伊藤泰信(北陸先端科学技術大学院大学)
「「呼びかけ」と「応答」―他領域との関係から考える」

秋保さやか(筑波大学)
「利用される「他者性」と「呼応」をめぐる相互行為―カンボジア南部稲作農村におけるフィールドワークの事例から」

亀井伸孝(愛知県立大学)
「フィールドワークの失敗学―調査技法と応答の共有に向けて」

小國和子(日本福祉大学)
「手段であり/目的となるフィールドワークにおける応答性–「応答の人類学」1年目の議論を踏まえた論点の提示」

コメンテータ:木村周平(筑波大学)

※各報告の概要は、以下の日本文化人類学会第47回研究大会の発表要旨集ページから、G会場の最終セッションをご参照ください。
発表要旨集ページ

■討論の内容
当日は、最終セッションにもかかわらず多くの参加者を得て、活発な意見交換がおこなわれた。以下にいくつかの意見をご紹介する。

・人類学は応答である。「応答」を考えることと、「応答」を通じて考えること、がある。
・応答とは贈与である。
・応答から連携・協働(うまく、長くつきあう)へ、という議論か。
・’Informant’と’Interlocutor’。
・応答について、立ち止まって考えることで、応答すること(たとえば幸福に資すること)から遠ざかっていないだろうか。立ち止まらずに、応答しながら考えよう。
(以上、コメンテーターの木村氏より)。

・応答の人類学とは、実践人類学の話ではなく、人類学全般の課題である。
・人類学の営みは贈答行為ではないのか。何を、誰にお返しするのか。
・経験を英語や現地言語で発信していく必要性。現地での発表会の実施(たとえば亀井氏)など。
・全体として受動的な印象。「応答は文脈に依存する」というのは非常に受身ではないだろうか。「呼びかけ」についてもっと考えないといけない。応答というものには「呼びかけ」がある。「呼びかけ」を創りだす人類学、を考えていく必要がある。偶然をうまく利用してコミットしよう、というのでは弱いのではないか。
・応答が「人類学」であるとは限らない。別の形の媒介者になるということもあり得る。
・二つの応答(一つはフィールドに対して。もう一つは社会全体に対して)。受身ではない応答として、言論への介入が考えられるのではないか。リアリティに基づいて反応していくことが一番の応答だと考える。
・応答にはプロセスがある。時間、変かが入ってくる。スローワークであるからこそ語れることもある。
・広い構えとしての応答。
・アンタイムリーがタイムリーになりうるような応答。
(以上、フロアからの意見および報告者とのやりとりより)。

限られた時間ではあったが、人類学として、あるいは人類学を通じて、さらには人類学をきっかけとして、本懇談会で2年目以降に深めていくべき検討課題や取るべき姿勢につながる数々の貴重な意見が交わされた。当日足をお運びくださった皆様、ありがとうございました。

(文責:小國)


【報告】「応答の人類学」第7回研究会(2013年6月7日)

日本文化人類学会第47回研究大会の開催にあわせて、その前日に研究会を開催しました。

参加者 10人
【公開】「応答の人類学」第7回研究会(企画担当:亀井)

日時 2013年6月7日(金)19:00-
場所 早稲田大学西早稲田キャンパス(理工キャンパス)51号館3階第5会議室(部屋番号51-3-09)

【概要】
■話題提供
内藤直樹(徳島大学)/木村周平(筑波大学) 「「応答の人類学」をめぐる話題提供と討論」
亀井伸孝(愛知県立大学)/飯嶋秀治(九州大学) 「2012年度事業報告」
小國和子(日本福祉大学) 「2012年度決算報告」
参加者一同 「2013年度事業計画に関する討論」

■討論の内容
内藤氏からは、「日本の地方大学における<災害の地元学>にむけて~徳島沿岸部における南海トラフ地震予測の影響」と題し、赴任先の徳島県の津波対策と、学生指導の一環で調査実習として取り組んでいるフィールドワークについてのご報告があり、二つの課題(①地方大学で「人類学」すること、②他専門領域との間で「フィールドワーク」という言葉がいみするところの違い)が提示された。
木村氏からは、「応答の人類学」に関する話題提供として、トルコ地震以降のNGOや市民の動きについて、フィールドにおける「呼びかけ」と「応答」を切り口に、人類学からの「応答」の可能性について論じた。

話題提供者二氏の事例に共通するキーワードとして災害、防災が浮かび上がったため、
これを受け、参加者間で、大学教育と地域、被災地、防災といったテーマを中心に、応答性、応答について意見交換がなされた。

当日出た意見や問いかけの一部を以下に紹介する。
・数字として危機予測がある中でも、人類学は住民リアリティに寄り添うことから始める。
・大学教員としての人類学者が、地域とともに防災に関してできることとは。特に、「予測」に人類学が「応答」としてかかわるとはどういうことか。
・高齢者などが、従属的な主体として逃がされるのではなく、運ばれながらも「ともに逃げる」というバランスに気づいていく面白さ。
・社会調査実習で「社会学」がやることと何が違うのか。
・コンテクストへのこだわり。
・応答とは、求めている人がいて、求めているものを提供していくことだとすれば、役に立つかどうかわからない、ということをもって応答する、というようなことはあるのか。
・「役に立つこと」とは。
・呼びかけが、ある種の贈与として捉えられることができるような、呼びかけと応答の主体が相互互換するような場面があるのではないか。たとえば呼びかけを求めている側がいて、それに対してよびかけられる、というようなこと。
・タイムリーな、役に立つ、呼びかけ手に対する応答ばかりでなく、アンタイムリーで役に立たない、呼びかけ手ではない人への応答も人類学的な応答の可能性としてあるのではないか(木村)
・他の人類学者の応答にどう応答するのか。
・個々のフィールドワークにおける呼応、応答の蓄積が何を生み出せるのか。
・外に向けて「人類学は」というだけでなく、人類学者の間でもやっていく必要がある。

また、亀井氏・飯嶋氏より2012年度活動報告、小國より会計報告があり、本懇談会の2年次活動計画に向けて、地方での開催展開や競争資金獲得準備などについて、積極的に意見が交わされた。

以上。

(文責: 小國)