文化人類学という学問の全体像を要約するのは、いつの時代にも困難な課題です。他の人文系学問以上に、その姿は大きく変化している気さえします。文化人類学者が対象としているテーマも多様であり、研究対象によってこの学問を総括できそうにもありません。方法論についても、同じです。しばしば、フィールド調査や参与観察が文化人類学の方法論であるという記述を目にした方も多いかもしれません。しかし、博物学の現地調査、社会学の質的調査法なども、フィールド調査と類似しているところが多く、方法論に学問の独自性を求めることは、むずかしくなっています。

こんな正体不明な学問に関心をもつ方は、好奇心がとても強い人です。その好奇心は大切にしてください。19世紀末から20世紀初頭にかけて、西洋諸国でこの学問を大学内部に制度化した文化人類学者たちは、(当時のことばを使えば)西洋から見た「未開社会」を、現地調査によって詳細に記録することを試みました。その成果を、民族誌という書物に残しました。文化人類学者たちの故郷から遠く離れ、厳しい自然環境のもと、不慣れな食べ物を口にし、難解な言語の壁を突破し、ひたすら現地の事情を知ろうという意志のもと、文字通り「フィールドで仕事」をしていたわけです。どこから、こんな意志が生まれるのでしょうか。

もちろん、先達をして文化人類学に興味を抱かせ、フィールド調査まで導いたのは、好奇心だけではなかったでしょう。しかし、この学問に、自分とは異なった生き方をする人々に対する好奇心を通して接近するのも、この学問に参加する道筋の一つです。

いくら先達たちが好奇心を旺盛な人たちであったとしても、歴史を振り返れば、好奇心だけではこの学問も開花したとはいえません。たとえば、異郷、エキゾティックな存在への関心は、ギリシア時代から歴史家たちを動かしてきました。文化人類学の先達たちは、好奇心だけではなく、自らの視点を意識し、研究対象の眼から見た世界に接近しようとしています。自らの常識を疑う批判性は、対象の視点から世界を見ようという精神と表裏一体をなしているともいえます。過不足なく対象を捉えると思えても、それが「思い込み」にすぎないことを反省しつつ、対象の内在的理解へと向かおうとする意志をもっていたようです。ですから、西洋で当時流行していた社会学や言語学の通説に、現地調査の資料に基づいて、反論を加えています。好奇心とは別に、文化人類学への参加の道筋は、ここにもあります。哲学にも似た、理解に関する深い思索への興味を通し、この学問への入り口を発見することは可能です。

もちろん、今から振り返れば、文化人類学者が訪れた場所はすでに植民地主義や先住民を征服し国家を建設するという暴力の歴史を無視できない場所でした。そのような場所から、文化人類学者のフィールド調査への批判が出なかったのは、ただ時代がそのような反論を許さなかっただけかもしれません。脱植民地化は、それを可能にしたのです。しかし、脱植民地化は、文学、歴史学、社会学、哲学など、他の人文系学問にも大きな影響を与えています。歴史の外で学問は存在しませんから、それは当然のことでしょう。

学問が実践される場所と時間を意識すれば、現在では、いまだに継続する脱植民地化の影響に対応するだけでなく、グローバル化も大きな変化を及ぼしています。それにともない、文化人類学における研究テーマも、大きく変化してきています。以前にも増して、文化人類学とは何かという疑問に、簡単に答えることが困難になりました。反対に、多くのテーマがこの学問の守備範囲に入ってきたともいえます。

文化人類学という学問は、歴史と社会のなかに存在します。この学問を体得する過程で身につける二つの能力、すなわち、常識を疑問視し、批判的思考を実践できる力、そして異なった世界を成り立たせている前提を想像し、それを内在的視点から理解する力は、大学においては、教養(リベラル・アーツ)教育での習得目標の一つであり、また日本社会においても、グローバル化、多民族、多言語状況が常態となりつつある時代、善き市民像を形成する不可欠な素養になっています。文化人類学は、けっしてエソテリックな(オタク的)学問ではありません。

九州大学でも、ここに紹介する9名の教員が文化人類学を専門にして、それぞれの研究テーマに基づいて学部、さらには大学院で教育、研究を進めています。大学の組織上、すべての教員が一つの部局に集中して配属されているわけではないため、「どこに行けば文化人類学を研究することができるのか」という疑問に対する解答が、大学外部の方には明らかではないという特殊事情もあります。しかし、九州大学では学部教育、さらには大学院教育を通して、体系的に学問を習得することができるシステムになっています。

文化人類学に関心をお持ちの方々は、以下に示す、各教員の研究テーマ、ゼミや講義の内容紹介などを参考にし、九州大学、大学院で実際に行われている教育活動の具体像を得てください。また、各教員の独自の研究テーマやフィールド調査、さらには著作にふれ、直接コンタクトをとり、自らの関心を試してみる勇気も大切です。文化人類学への第一歩は、このHPから始まるのかもしれません。