年報朝鮮学
朝鮮史学研究室に事務局をおく九州大学朝鮮学研究会では、会誌として『年報朝鮮学』を年1回発行しています。講読を御希望の方はメール(his.kor.qdai☆gmail.com ☆を@に変更)でお問い合わせ下さい。
号 数 | 発行年 | 内 容 |
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創刊号 |
1990年12月 |
● 論文 ・濱田 耕策 新羅「太王」号の成立とその特質 ・長 節子 孤草島釣魚の変容 ・六反田 豊 海運判官小考―李朝初期におけるその職掌と創設背景 ・桑野 栄治 檀君祭祀儀礼の分析 ・秋月 望 魚允中における「自主」と「独立」 |
第2号 | 1992年3月 | ● 論文 ・桑野 栄治 李朝初期における高麗王氏祭祀 ・ルイス・ジェイムス 近世日本人の朝鮮観―倭館における公貿易接待の費用を例示として― ・白川 豊 植民地期朝鮮と台湾の日本語文学小考―1930~45年の小説を中心に― ・田村 宏 「訓民正音」表記体系の終声音に関するいくつかの問題 ● 書評 ・六反田 豊 金玉根著『朝鮮王朝財政史研究』Ⅲ |
第3号 | 1993年3月 | ● 論文 ・武田 幸男 その後の広開土王碑研究 ・浜中 昇 高麗初期の邑の丁数 ・福田 殖 朱子学の伝来と李退渓(滉)の朱子学の特色 ● 学会動向 ・多田 千男 釜山地域の歴史学会 ● 書評 ・桑野 栄治 李範稷著『韓国中世礼思想研究―五礼を中心に』 |
第4号 | 1994年5月 | ● 論文 ・延 敏洙 七支刀銘文の再検討―年号の問題と製作年代を中心に― ・佐島 顕子 壬辰倭乱講和の破綻をめぐって ・藤石 貴代 朝鮮転向文学小考 ・西垣 安比古 朝鮮の聚落の場所論的構造―河回マウルの場合 ● 書評 ・六反田 豊 村井章介著『中世倭人伝』 |
第5号 | 1995年7月 | ● 論文 ・韓 文鍾 朝鮮前期の受職倭人 ・李 薫 漂流兼帯制に対する一考察 ―1682年漂民順付(壬戌約条)交渉および運用を中心に― ・永島 広紀 一進会の活動とその展開―特に東学・侍天教との相関をめぐって― ・白川 春子 李光洙の日本語小説について ● 資料解説 ・六反田 豊 新出の大同法関係史料について |
第6号 | 1997年7月 | ● 論文 ・山内 民博 李朝後期在地士族の訴訟にみる親族 ・諸 洪一 明治初期における日朝交渉の放棄と倭館 ・ケネスR.ロビンソン 1455年3月の人名記録にみる朝鮮王朝の受職女真人 ● 目録 森田芳夫先生著作目録・追補 |
第7号 | 1999年9月 | ● 論文 ・濱田 耕策 渤海国王位の継承と「副王」 ・李 美子 渤海国の社会経済―史料の検討を中心として― ・六反田 豊 19世紀済州島民の海難と漂流―『済州啓録』の分析― ・永島 広紀 釜山・嶺南地域に残る歴史資料の現状について―主に日本統治期を中心に― |
第8号 | 2002年3月 | ● 論文 ・長 節子 朝鮮前期朝日関係の虚像と実像―世祖王代瑞祥祝賀使を中心として― ・伊藤 幸司 中世後期における対馬宗氏の外交僧 ● 書評 ・原 智弘 稲葉継雄著『旧韓国の教育と日本人』 |
第9号 | 2006年3月 | ● 論文 ・森平 雅彦 『晦軒実記』刊行始末初探 ・押川 信久 『経国大典』度牒発給規定の成立 |
第10号 | 2007年3月 | ● 論文 ・長 節子 壬申・丁未約条接待停止深処倭に関する考察 ・李 泰勳 三浦恒居倭に対する朝鮮の対応―課税案と課税を中心として― ・原 智弘 大韓帝国における文官任用令―明治日本との対照を中心に― ・石川 亮太 海港期漢城における朝鮮人・中国人間の商取引と紛争 ―『駐韓使館档案』を通じて― |
第11号 | 2008年5月 | ● 論文 ・井上 直樹 五七〇年代の高句麗の対倭外交について ・森平 雅彦 高麗群山亭考 ・長 節子 十六世紀後半における深処倭武田教実等の復活交渉 ・広瀬 貞三 朝鮮総督府の労働官僚宮孝一 |
第12号 | 2009年5月 | ● 論文 ・李 鎮漢(豊島悠果訳) 高麗時代における宋商の往来と麗宋外交 ・川西 裕也 朝鮮初期における文武官妻封爵の規定と封爵文書体式の変遷 ・三ツ井 崇 朝鮮総督府「諺文綴字法」の歴史的意味・再論 ・井上 和枝 植民地朝鮮に行った鹿児島県出身者に対する基礎的考察 |
第13号 | 2010年5月 | ● 論文 ・李 鎮漢(豊島悠果訳) 高麗時代における宋人の来投と宋商の往来 ・長森 美信 朝鮮伝統船研究の現況と課題―近世の使臣船を中心に― ・藤井 賢二 李承晩ラインと日韓会談―日韓漁業交渉の妥結― |
第14号 | 2011年10月 | ● 論文 ・濱田 耕策 劉仁願紀功碑の復元と碑の史料価値 ・安田 純也 高麗時代の蔵経道場について ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(一) |
第15号 | 2012年12月 | ● 論文 ・濱田 耕策 新羅の国学運営と学令 ・白井 順 前間恭作と鮎貝房之進の交流―在山桜文庫資料を通して― ・井岡 博 朝鮮労働党第六回大会再考―旧東ドイツ資料を利用して― ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(二) |
第16号 | 2013年12月 | ● 論文 ・中田 稔 一七世紀蔚山における鶴城李氏家門の形成 ・山口 華代 対馬宗家文書伝来の朝鮮文化財とその特徴 ・永島 広紀 旧宮内省図書寮の朝鮮本蒐集と日韓の文化財問題 ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(三) |
第17号 | 2014年12月 | ● 論文 ・武田 幸男 広開土王碑「長崎西高校本」の研究 ・長森 美信 朝鮮前期の漢江津渡―渡丞制下の京江津渡を中心に― ・須川 英徳 朝鮮後期における銅銭使用の普及にかんする試論 ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(四) |
第18号 | 2015年12月 | ● 論文 ・関 周一 高麗王朝末期・朝鮮王朝初期の対日使節 ・森平 雅彦 モンゴルの日本侵攻と高麗における軍需調達問題 ●書評 ・赤羽目 匡由 橋本繁著『韓国古代木簡の研究』 ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(五) |
第19号 | 2016年12月 | ● 論文 ・木村 拓 15世紀前半朝鮮の対日「交隣」と「私交」―明に送られた世宗の行実を手がかりとして― ・加藤 裕人 朝鮮前期仏教史に対する歴史学的研究の推移と課題―「排仏」と「抑仏」を超えて― ●書評 ・押川 信久 馬場久幸著『日韓交流と高麗版大蔵経』 ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(六) |
第20号 | 2017年12月 | ●論文 ・六反田豊 朝鮮初期三浦倭料の調達方式と財源 ・押川信久 倭乱における義兵僧の処遇 ・朴正珉 朝鮮前期の対女真政策 ・森平雅彦 朝鮮における内水面水産資源利用の歴史に関する導入的考察 –内水面環境とヒトの関係史のひとこまとして– ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(七) |
第21号 | 2018年12月 | ●論文 ・広瀬貞三 一九三四年朝鮮南部の洪水と復旧活動 ―洛東江を中心に― ・藤井賢二 1960年代の韓国の日本漁船拿捕について ●資料解説 ・川西裕也 朝鮮初期における太上王文書と国王文書の新事例 ―獅子菴賜牌と楡岾寺教書― ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(八) |
第22号 | 2019年12月 | ●論文 ・田中美佳 出版社新文館(一九〇八-一九二二)の刊行物と女性 ―崔南善の女性観に着目して― ・田中美彩都 近代朝鮮における養子離縁の「慣習」の形成過程 ―慣習調査事業(1908~1910)に着目して― ・吉川絢子 植民地朝鮮の離婚請求訴訟と「慣習」 ―1911年~1923年、京城地方法院判決の分析を中心に― ●朝鮮鶏肋篇 ・森平雅彦 趣旨説明 ・森平雅彦 奎章閣韓国学研究院所蔵『慶尚道続撰地理誌』の乱丁について ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(九) |
第23号 | 2020年12月 | ●論文 ・鈴木開 伝石之珩撰『南漢日記』尊経閣本について ・柳忠熙 〈朝鮮的なもの〉の特殊化と普遍化 ―崔南善の不咸文化論・神山巡り・時調創作― ・森平雅彦 朝鮮前期の慶尚道における内水面漁梁の分布 ―『慶尚道続撰地理誌』の記録から― ●朝鮮鶏肋篇 ・赤羽目匡由 杜牧作「新羅王子金元弘等授太常寺少卿監丞簿制」をめぐるいくつかの問題 ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(10) |
第24号 | 2021年12月 | ●論文 ・松田利彦 日本赤十字社と朝鮮―日清戦争期から韓国併合まで― ・千 受珉 愛国婦人会朝鮮本部の活動と朝鮮総督府の統治政策―韓国併合から三・一運動の直後まで― ・小林知子 「壱岐朝鮮人海難事故」(一九四五年)について考える―「朝鮮人遺骨問題」の戦後の展開に即して― ●研究ノート ・押川信久 仏画の銘文よりみた朝鮮初期の仏教政策の一面―知恩寺所蔵『阿弥陀浄土変相図』銘文の分析を中心に― ・鈴木 開 丙子の乱開戦過程についての学説紹介と若干の検討 ●朝鮮鶏肋篇 ・長森美信 朝鮮国王の名前―呼称という迷路(上)― ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(11) |
第25号 | 2022年12月 | ●論文 ・田中美佳 『中等朝鮮語作文』(一九二八年)の成立過程―一九二〇年代における朝鮮出版界の一断面― ・柳忠熙 戦時期における崔南善のアジア認識と〈朝鮮的なもの〉 ●書評 ・辻大和 周永河著、丁田隆訳『食卓の上の韓国史―おいしいメニューでたどる20世紀食文化史―』 ●朝鮮鶏肋篇 ・長森美信 朝鮮国王の名前―呼称という迷路(下)― ●史料訳註 ・櫟翁稗説を精読する会 『櫟翁稗説』訳註(12) |