「中国民間信仰の系譜」 10選

文献十選(論文5通、著書5冊)(百年間中国民間信仰の系譜)

 民間信仰と言えば、先祖の霊を信じたり、精霊の憑依を信じており、太古の昔からある原始宗教を延々と未だに信じているわけである。中国民間信仰の発展歴史を見れば、特に1912年-2012年の百年間で、封建迷信と見なされたり、文化遺産に認定されたりして、天地を覆すほどの大きな変化が起きている。下記の文献十選(論文5通、著書5冊)は、日本人による中国民間信仰に関する人類学研究の多様な考察や豊富な記述を含む研究成果の一部として捉え、先行研究を引きながら、中国民間信仰を紐解く研究者に百年間中国民間信仰の諸相と系譜を概要・紹介して示したい思う。

第一期、 1912年(中国民国元年)―1949年(中華人民共和国元年)「抑圧期Ⅰ(国民党)」

1 三谷(みたに) (たかし)

1978「南京政権と迷信打破運動(1928-1929)」『歴史学研究』第455号:114.

1912年に孫文によって建国された中華民国は、孫文の民主主義に基づき、世界列国と同等の実力を養うことを方針として策定した。文化体制改革の一環として、政府は中国の近代化を妨げる儒教的・伝統的な文化・制度を批判するという「迷信」打破運動を行った。本論はその時代の宗教否認、迷信打破、旧習除去、思想・文化への改革実践を捉えるのに必読の論文である。

2 久保(くぼ) (とおる)

2011『中華民国の憲政と独裁(1912-1949)』慶應義塾大学出版会(東京).

本書は三谷氏による論文が「文化政策」の実態を扱うのに対し、中華民国の政治体制のメカニズム-国民党・政府・軍隊の三位一体の内実を明らかにすると共に、民衆デモ、民族問題、国共提携、文化政策など、富民強国目指す国民党時代の中国には、党民関係が抱える社会矛盾に関わる諸問題にも鋭く切り込み、当時の社会史の研究にも欠かせない必読書なのである。

第二期、 1949年(中華人民共和国元年)―1958年(宗教制度改革開始)「抑圧期Ⅱ(共産党)」

3 塚田(つかだ) 誠之(しげゆき)

2009「広西における「改良風俗」政策について-近現代中国における文化政策の一齣」『革命の実践と表象:現代中国への人類学的アプローチ 』韓敏編.風響社.pp.157182.

本論文は中国南方における多くの少数民族が暮らしている広西省を事例として、1930年代に行われた「改良風俗」と1950年代に行われた「風俗改革[1] (移風易俗)」政策を取り上げ、両運動の異同点を比較して考察している。特に両党の中央政府は、当時の社会気風や民衆習慣をどのように改良したのかという問題を主に文化人類学の視点から、20世紀中国社会の実践の諸相と過程を検討しようとする試みである。国民党と共産党と両体制の文化政策を深く理解するために、必ず薦めている論文と思う。

4 (そん) (こう)

2007『近代中国の革命と秘密結社-中国革命の社会史的研究(一八九五~一九五五)』汲古書院.

本書は中国国民党や中国共産党、また政府の秘密結社に対する認識史及び関係史である。扱われている時期は主に孫文の辛亥革命期から、秘密結社がひとまず解体される新中国建国後の1950年代に及ぶ。両党の革命派が革命戦略によって、どのように民間信仰や宗教のネットワークを利用し、秘密結社をめぐる歴史的文脈を解きほぐした。特に秘密結社に対する認識史及び関係史の役割などが明らかにされた。このように、本書は単なる中国社会研究にとどまるのではなく、その時代の民間信仰や宗教の実況をも見通すものとなっている。

第三期、 1958年(大躍進運動)―1977年(文化大革命)「停滞期」

5 渡邊(わたなべ) 欣雄(よしお)

2002「風水とシャーマニズム-中国東南部の事例」『民俗文化研究 』第3:2849.

現代中国の農村地域において、風水からシャーマニズムまで民間信仰、即ち人々人びとの日常に根ざした民俗宗教の現象が中国各地にみられる。しかしながら、文革時代に、共産党政府は民間信仰を「迷信」として徹底的に封じ込めた。本論文は風水やシャーマニズムという切り口から、民間信仰が日常生活の暮らしの中でどのように応用されているか、また、それがなぜ地下活動や民間の活動として「盛んに」なる原因が明解に分析されている。中国の風水や占い師の実像を明らかにした画期的論考である。

6 川野(かわの) 明正(あきまさ)

2005『中国の憑きもの-華南地方の蠱毒(こどく)呪術(じゅじゅつ)的伝承』風響社.

本書は、これまで中国の民間信仰としての内実が知られることの少なかった蠱毒など、呪術的内容をもつ霊物の伝承を取り上げ、中国南部農村地域における民俗社会の心性に光を当たっている。蠱毒とは、一言でいえば、霊的な毒物に関する信仰である。蠱は毒物で、その毒性を蠱毒と呼ぶが、特定の人物、家庭で使役され、他人に病気などの被害をもたらすとされる。日本の「憑きもの」信仰形成にも影響を与えたとされながら、実態が明らかにされてこなかった蠱毒、五通神(ごつうじん)[2]鬼人(きじん)(生霊的霊物)、恋愛呪術な[2]ど、中国南部地域に顕著な呪術的民俗伝承を、文献と実地調査から詳細に分析した労作である。

第四期、 1978年(改革開放)―1998年(文化立国の主唱)「復興期」

7 川口(かわぐち) 幸大(ゆきひろ)

2004「共産党の政策下における葬送儀礼の変容と持続:広東省珠江(しゅこう)デルタの事例から」『文化人類学』 69(2):193-212.

中華人民共和国の建国後、特に文化大革命期間をピークとして、中央政府は「封建迷信」というラベリングを(ほどこ)しながら、既存の伝統文化・慣習・信仰などの批判や排撃を進め、そこに()の価値を定着させていった。結果、党員幹部や高等教育を受けた新たなエリート層に属する人々は、例えば父の位牌の作成を放棄するなど、儀礼の伝統的な手続きに否定的な態度を示すようになった。こうして、人々を伝統の葬送儀礼から切り離すことには成功しつつあったが、農村社会の一般住民にとっては、死者の(たま)を冥界へ送って、位牌と墓を設け、火葬した骨を風水墓地(はかち)に埋葬するのが伝統的な作法だった。本論文は、1990年代以降の中国共産党の政策下における村落社会の葬送儀礼がいかに変容と持続を通して、政府と民衆との拮抗(きっこう)と融合の過程を解明したものである。

 

8 小長谷(こながや) 有紀(ゆき)川口(かわぐち) 幸大(ゆきひろ)長沼(ながぬま) さやか編

2010『中国における社会主義的近代化-宗教・消費・エスニシティ』勉誠出版.

中国については改革開放後をすでに「ポスト」とみなす研究者や、本質(ほんしつ)的に社会主義ではなかったとみなす研究者もいるが、実際のところ、一般の人びとにとっては、共産党が強力に進める社会主義的近代化を経験し、その政治的な拘束力はいまなお維持されている。そこで、本書では、共産党政府が発したさまざまな政策や政治運動に対して、人々がいかに対応してきたか、またそうした対応を経て文化、宗教、エスニシティはどのように再編されていったのか、といった問いを立て、多角的に検討を試みる。具体的には、普通の人びとのもとで実態調査を行い、彼らの価値観や社会関係について分析を行う。そこからは、今日の中国においては、文化が社会・政治・経済と不可分、相互依存的かつ相互補完的であったことが示される。

第五期、 1999年(ユネスコ無形文化遺産保護加盟)―2012年(共産党第18回全国大会)「高揚期」

9 鈴木(すずき) 正崇(まさたか)

2011「少数民族の伝統文化の変容と創造-中国貴州省トン族の場合」『現代宗教2011:258282.

中国では、特に西南地域の村落には人々の住居よりは目立って大きく、古めかしい造りの建物である一族の祖先を祀った祠堂(しどう)とか、観音(かんのう)や関羽など様々な神を祀った廟が点在している。場合によっては、その中に大勢の人々が集まって、祖先祭祀を行っていたり、神々に儀礼を捧げたりしており、生々しい民間信仰が、いまも息づいている。このような農山村には、必ず長い時間の中で伝承されてきた固有の文化を核として、都市部とは異なる歴史の重みと民俗の香りを帯びる地域の伝統文化が存在すると考えられる。本論は中国貴州省における少数民族のトン族を中心にし、伝統的な文化人類学研究方法である参与観察を通して、地域の伝統文化の伝承が途絶えて全国に共通な文化が凌駕するようになったことを論じている。また、トン族がどのように相互の連帯性を強化し、地域個性(アイデンティティ)を必死に維持し、伝統文化を形づくる行事や風習等を大切に保全・継承・活用していくのかについて言及がなされている。現代中国における少数民族の伝統文化の変容と創造をめぐって、その再生や繁栄を解明する上で大変有益な論文と評価できる。

10 瀬川(せがわ) 昌久(まさひさ)川口(かわぐち) 幸大(ゆきひろ)

2013『現代中国の宗教-信仰と社会をめぐる民族誌』昭和堂.

1949年に中華人民共和国を建国した共産党は社会主義体制の確立を試みるなかで、村落社会における祭祀・儀礼を「迷信」として排撃した。その結果、祠堂や廟の多くは破壊され、祭祀・儀礼は断絶を余儀なくされた。1990年代から、共産党政府は共産主義の実現を事実上棚上げにして経済発展を軸とした近代化を新たな国是とするに至った。このように、建国当初から文革まで弾圧されてきた中国の民間信仰に対して、有益だと判断したものであれば、一貫して否定してきた祭祀や儀礼であっても、公認あるいは黙認(もくにん)するようになり、大きな転換を迎えた。本書は、現代中国の村落社会をフィールドに、死者儀礼、神祇(じんぎ)祭祀、宗族組織に着目して、地域研究の枠にとどまるのではなく、宗教・民俗を介した国家と末端社会の人々との関係を主題としているという点で、この伝統のポリティクスについての文化人類学的研究を試みたものである。

 

[1]「民俗改革(移風易俗)」とは、中華人民共和国建国間もない時期に行なわれた「社会風習」の全国規模での改良を指す。建国当初までの中国の社会は、共産党と国民党による内戦で、国民が安心して生活を行うことができなかった。強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買(童養媳)、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。古き習慣を捨てさせ、新たな社会主義者社会を創るために、毛澤東自ら指示するかたちで「移風易俗」というスローガンを掲げて、全国的に「新文明を創造せよ」、様々な宣伝工作、社会改良が行われた。

[2]五通神(ごつうじん)はかつて中国南部の江蘇省・浙江(せっこう)省・福建省などに広く信じられた神である。同じ動物霊に属する中国北部の狐仙(こせん)の信仰と比べると、五通神は人間の姿に化けてあらわれ、気に入った家の婦人を淫するなどと言われる。また、五通神を神として家に祀るならば、五通神は周囲の家から財物を(かす)め取り、祭祀者の家に与えるが、祭祀を拒否したり、無礼なふるまいが少しでもあれば、怒ってその家の財物を外にもちだして、没落させてしまうとされる。その正体は猿や犬に限らず、蝦蟇(がま)、蛇などの爬虫類を含める場合もある。本性はみな強健で、凍った鉄のように冷たいという。また、陽物(ようぶつ)は逞しく、婦女がこれに犯されると、痛くて堪らず、憔悴(しょうすい)して気色(きしょく)を失ない、精神は萎えてしまうと言われる。


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