「速度と人生 その2」

関 一敏のコラム 「速度と人生 その2」~筆の速度~

 筆にもまして遅かったのが足だった。徒競走で一回だけ3位に入ったことがある。走ったのは6人だが、3位と4位では意味がちがう。いつも4位だったの に、その時はなぜかコーナーで加速した。ぐん。と抜けた気持ちよさは今でも憶えている。ぐん。と抜ける感覚を毎回味わっているだろう俊足のアンカーたちの 快感は、どれほどのものかと今でも考えることがある。花形くんは、片足がアンバランスだったが、凄まじく速い少年だった。いまでも、上下動しながらアッと いう間に走り去るうしろ姿が目に浮かぶ。

 

爾来、俊足と聞くと無条件に崇敬するクセがついてしまった。初恋の高橋敏江ちゃんは、 サル顔の足の速い子だった。国鉄(現JR)の官舎にいたな。ずっとあとになって、民俗学のSTさん(存命)が11秒そこそこだと聞いて、知人のなかでひそ かに別格の存在になった。そのバネには畏怖心をいだいてきたし、足の筋肉に触らせてもらったこともある。さらに栗本慎一郎は10秒台だったと読んで、俊足 学者として初期のポラニイ論とともに一目おいている。足の速い学者かあ。ぼくは走る ぼくは走る(清岡卓行)。

 

足の速さは子どもの序列に深くかかわっていたと思う。大学に入って何が変わったかというと、走力や体力とは別のところに自分を置いていると感じられたこと だ。いま思うと体力はまだしも瞬発力に乏しいことが、どれほど自分の「体育人生」を窮屈にしてきたことだろう。そして子どもにとって、体育はおたがいを測 る大切な目盛りのようなものだ。

 

ただ、この歳になってようやく、走力と関係のないところで社会生活を結ぶことが、大切なものをそぎ落としてきた気がしている。現代都市社会で身体でしか結 べない関係は何か。1)病院。2)性。3)力仕事とわざ仕事。4)スポーツ。そして5)戦争。欧化・近代化を旨とする戦中のインテリゲンツィアが、さまざ まな地方出身の、日本の土と自然により近い暮らしをしている人々と出会ったことが、戦後の日本思想の可能性の土壌だと、鶴見俊輔は云っている。そうだ、イ リイチがなぜこれらの主題にこだわるのかというと、1~5の機会を除けば、4をはじめとして現代は走力・体力・身体を「学校」という場に閉じこめてきたの だった。さらに5の「軍隊」経験を省いた戦後の日本では、大人になることは、ほとんど 身体とは無縁の次元でひとと関係をつくる方法に習熟すること、であるかのようだ。

 

「教会」はどうだろうか。映画『エクソシスト』(1973)には、ギリシャ移民の若い修道士が出てくる。カラス神父。イエズス会精神科医というからド・セ ルトーと同じだが、最後のシーンで、少女に憑依した悪魔(イラクの遺跡からやってきた魔神)を自分の身体に憑かせて階下にとびおりる人物だ。かれは母を養 護施設にあずけて、質素な暮らしをしながら、黙々と神のための人生を歩んでいる。そのかれが陸上競技場を、白い息を吐きながら走る冬のシーンがある。なぜ そんな風景を描くのか合点が行かなかったのだが、あとになって「神のアスリート」と修道士たちをよぶことを知った。

 

わたしの知っている神のアスリートたちは、ブラジル、ハンガリー、ドイツからやってきた中学・高校時代のイエズス会の神父たちと、1987年に再訪した南 仏ルルド近郊のベタラムの大きな修道院で、静かに山のような古書を管理していた2人の修道士の顔である。もの静かな、妙にペーソスを感じさせる、走るより は散策のにあう人たちだったが、日々の務めと伝道に、ひとりで黙々と走るアスリートの姿が重なってくる。大人になって走らなくなることのネガティブな意味 を、そういう比喩的な表現がひきおこすめまいの感覚に読みとれるだろう。速度よりも距離という判断がどの時点で人生に入ってくるかについても。


Parent page: 関 一敏(Kazutoshi Seki)