研究室の理念

これまで人類は、人間・モノ・自然をめぐる厖大な知識と技術を蓄積してきました。アジア・アフリカ・南米を旅すれば、大地の広さと人間の多様性に目をみはる思いがするでしょう。宇宙からみた地球の縞目もようにおりこまれた人類史の細部が、めまいの遠近法となってわれわれをゆさぶるのです。

日々の生活のなかではどうでしょうか。路地裏の銭湯で会った渋い入れ墨の老人が鳶職の絶妙な身体感覚をもち、くすぶったような古道具屋の主人がインターネットの先駆的存在であることを発見したときの不思議な喜びと感動。本の匂いの充満した図書館はどうでしょうか。せまい棚のあいだを往来すれば、まだ見知らぬことばによる知恵と愛の書から、宗教・法・経済・国家・科学をめぐる古典の書、性・植民地・環境・福祉の論争の書まで、陶然とするような無量数の文字群がわれわれを襲います。

このめまいと陶然とした快感、そして素朴な驚嘆の心がわれわれの学問の初心です。旅をし、暮らし、歩き、話をし、静かに書を読み、深く現在ととりくみたい。

世の中と人生は難問だらけだが、だからどうした。そのことと向かい合うのでなければ、何のための学問かと。

19世紀以来、ものとことば、自然と文化、人間と社会がおりあげる関係の束はさまざまなかたちで対象化されてきました。ものと自然と人間とを対象化するその仕方そのものからいくつもの分野が生まれ、再編成されて、いま見える大学の学部と学会のカテゴリーを作ってきました。それぞれに特有のことばと視角は、歴史的に一定の作法と気風を醸成し、学問的再生産の場を提供してきました。

もともとその作法は、むこうにほの見える自由に到達するための不自由のしかけでしたが、その自由のための制約がただの不自由へと自己目的化したときには、これまで有用だったカテゴリーをほぐさなければなりません。それはときに蛮勇をふるった闘争モードであり、またときにさりげなく鍼灸師のハリ一本を落とすようないとなみです。

今われわれが渦中にいるのは、これまでのカテゴリーを巧みにほぐし、その遺産を上手にすくいとりながら、やがて到来する新しい学問紀への準備の時代です。準備の時代にするべきことは、身辺を整理し、できるだけ背負うものを軽くして遊撃力をおもいきり高めること。どの分野を僭称しても有無を云わさぬ胆力と体力と走力を養うこと。透明な魂は悪食の精神に宿る。世俗の帰属性から役割剥離をくりかえし、コミットメントの最大値を未来形の学問に託すること。時代の波に目を凝らし、精神の鼓動に耳をひそめ、ときにあらあらしく、ときにひっそりと息づく人類の叡智をすくいあげること。ジャガーノートのように疾駆する近代とは別の速度で歩きながらこれと対話しつづけること。

そして最後に、高らかに笑うこと。なぜなら「呪術師の世界の破壊的な影響をうち消す唯一の方法は、それを笑うことなのだ」(カスタネダ)。


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