「言語生活」10選

言語は力を持つ。言語を使用することで私たち自身も力を持つ。
私たちが言語という錯綜するベクトルで埋めつくされた社会空間の中に生きているという現実と真摯に向き合うためには、狭義の言語学だけでは十分ではな い。よって、「共生社会」を常に念頭におきつつ、この項の選書は、言語の行為としての側面、生きる実践としての側面に焦点をあてて選ばれている。「言語生 活」は、それが社会生活の根幹を成し、社会生活全般に深く関連しているだけに、どこへでも歩みだすことができるターミナルポイントだと考えていただくこと もできるだろう。

1、言語生活にまつわる日常的技法:いかにして日常生活が営まれているのか

 1)H・ガーフィンケル他『エスノメソドロジー―社会学的思考の解体』せりか書房

エスノメソドロジーの源流には、A・シュッツが主張した「世界の複数性」(行為者の数だけ主観的世界が存在する)の問題とH・ガーフィンケルの原点であ る人種差別問題への関心が存在する。創始者たちが直面した「知覚の衝突」をきっかけに、ふつうのひとびとが日常の社会生活をたくみに営んでいるその技法 (ひとびとのエスノ+方法メソッド)の解読がはじまる。日常言語は私たちが社会的存在として世界と関わるためのもっとも基本的な知識であり実践である。

 

 2)J‐W・オング『声の文化と文字の文化』藤原書房

あなたは文字を使用しない文化が存在する(した)ことを知っているだろう。しかし、声と記憶に力点のある文化と文字と記録に力点のある文化が具体的にど れほど異なっているか、また、文字の出現と浸透とが声の文化に与えた影響や衝撃がいかなるものであったかを想像することは容易ではないはずだ(何しろあな たは今この文を読めてしまっているのだから)。文字の出現はひとびとの思考法、社会構造にまで劇的な変化を及ぼした。声で会話を行いながらも私たちは文字 の文化流の思考法で生活している。I・イリイチ『ABC』も同様のテーマを扱っている。

 

 3)松山巌『うわさの遠近法』講談社学術文庫

たかが「うわさ」である。しかし、「うわさは真実でなくとも真実として訴えかける力がある」(p.14)と松山氏は述べる。うわさが単なるテクスト素材 とは言いがたいのは、会話という生きた行為が媒体となっているからである。この本での考察は文献資料にもとづいてすすめられているが、丹念に蒐集された資 料の数々が、「うわさを生みだした時代精神」(p.3)やうわさの生きた力、時代を力強く生きたひとびとの姿を深く迫力をもって描き出している。また、エ ドガール・モラン著『オルレアンのうわさ』は、うわさの誕生から消滅までのダイナミクスを描いた人類学的研究の金字塔でもあり、比べて読まれるのもいいだ ろう。

 

 4)M・ポラニー『暗黙知の次元』紀伊国屋書店

言語的な知、という枠を越えて豊かな土壌を発想することで「知」の領域は拡大する。

 

 

2、言説空間で起こっていること;語りの権利/語りの権力

 5)フレッド・イングリス『メディアの理論』法政大学出版局

 6)スピヴァック『サバルタンは語ることができるか』みすずライブラリー

 7)竹沢尚一郎『宗教という技法―物語論的アプローチ』勁草書房

 8)中野卓・桜井厚『ライフヒストリーの社会学』弘文堂

「口述の生活史」であり、「個人生活史」であるといわれる「ライフヒストリー」。社会科学が抱える自己/他者(調査者/被調査者)という二項対立のジレ ンマに、語り手と聞き手との共同作業によってひとつの作品が作られるという解決法を提案する。また、個人史を社会科学として扱うにあたり、そこに社会が映 しこまれ集積しているとして社会の学たりえることを確認する。より深い理解のために、オスカー・ルイス『サンチェスの子供たち』も併せて読まれることをお 勧めする。

 

3、語ることと生きること:語ることの価値と喜び

 9)小森康永, 野口裕二,野村直樹編著『ナラティヴ・セラピーの世界』日本評論社

 10)現代思想編集部編『ろう文化』青土社(『現代思想』臨時増刊号「ろう文化」の再刊行)

おそらく、多くのひとにとって「ろう文化」とは聞きなれない言葉であろう。1995年3月の『現代思想』に「ろう文化宣言」が掲載され、1996年6月 に同雑誌で特集が組まれた。宣言の冒頭は次のように始まる。「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」、と。これ は単なる「障害者」問題ではない。口話中心の言語教育(あるいは言語の定義)に強烈なカウンターを与えるものであり、文化を考える上でも貴重な示唆を与え る問題である。また、自己の肯定的読み直しに直面している生まの現場でもある。とはいえ、ようやく注目されはじめた分野であり、文献も少ない。まずは、ど のような問題群が含まれているのかを知ることから始めていただきたい。

 

<番外 ―現象学・言語哲学・言語行為論―>

  00)野家啓一『言語行為の現象学』勁草書房

言語行為論、分析哲学を鳥瞰できる地図として。興味をもたれた方は、ジョン・L ・オースティン『言語と行為』大修館書店、J・R・サール『言語行為―言語哲学へ試論』(1969)、坂本・土屋訳、勁草書房、1986年も参照のこと。ただし、難解。

 

<おまけ ―記号論―>

  00)ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』東京創元社

アウグスティヌス哲学を修め、記号論へと進んだU・エーコが贈る記念碑的推理小説。舞台は、閉鎖的な中世キリスト教世界。宗教的権威による書物(=書き言葉、知識)の独占。裏テーマは、言語を意味と構造とを備えた記号として捉える見方の発見。記号論へのいざない。

 

(深田朝)


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