「老い」 10選

<暫定版>

―「老いのかたち」を考えること―

「老い」とは一体何だろうか。我々は、なぜ「老いのかたち」をみつめる必要があるのだろうか。

高齢化社会を迎えた現代日本において、老人問題が語られない日はない。また、多くの研究者によって多方面からの研究がなされている。このように「老い」は、社会問題として我々の眼前にはっきりと存在しているものとして捉えられている。

しかしながら、共生社会という理念から「老い」を眺めたとき、そこには「問題」として語られる「老い」とはまた違った「老いのかたち」が立ち現れてくる。

「老い」とは、人間にとって(生き続ける限り)避けられない現象である。そして多くの人間が、「生き続けること」を想定として生きている。「老 い」自体に当然だが、良し悪しはない。それは人間の一生を通じて連続しておきる「現象」であり、それは疑うべくもない「事実」である。そこに良し悪しがあ るならば、それは文化や社会、「老い」を見つめる我々自身によって付加された「価値」である。そして、そうした文化、社会で生きている以上、誰もがおそら くなんらかの「ゆがみ」を伴った「老い」のイメージを持っていることは疑いようもない。

また「老い」は身体的な現象であると同時に、文化・社会的な現象である。「老人」を身体的な老化のみで規定することは出来ない。例えばエスキモー 社会においては、アザラシのハンティングが出来なくなった男性は「老人」とみなされ、閉経後の女性は「老人」とみなされる。それに対して、日本社会や様々 な近代国家では暦年齢から「老人」が規定され、それが、社会福祉制度や医療保険制度、国民年金といった「制度」という形で社会構造の中に取り入れられ、 人々の生活だけでなく意識にも影響している。よって「老いのかたち」は時代や文化、社会によって様々に形成されるといえる。

そしてまた「老い」は常に「さき」にある現象である。それは今まさに「老い」を受け入れながら生活している「老人」であっても同様である。より 「さき」にある「老いのかたち」が彼らの目前にも存在している。こうした「さき」にある「老い」を我々は、他者の「老いのかたち」をみることによって経験 している。

このように「老い」は多様な現象あり、それは「老人問題」という言葉で尽くしきれるものではない。また「老人」という時期だけに関係する現象でも ない。もちろん、「老人問題」の解決は現代社会が必要としている現実である。しかしながら、「問題」ではない時代から、「老い」は常に我々の「まえ」に存 在するものであり、誰もがみな「老い」に向かって生き、長生きする限り「老い」を経験する可能性がある。「生きる」ことを考えるとき、それは決して「老 い」と無関係ではいられない。つまり、「老い」を考えることは、「生きるかたち」を考えることではないだろうか。そしてそこに、「生きるかたち」を読み解 くひとつの鍵が隠されているのではないだろうか。「老い」を考える意味は、まさにそこにあると考えるのである。

さて、ではどうすれば多様な「老いのかたち」を豊かに眺めることができるだろうか?以下挙げる文献は、こうした観点に立って、「老い」を考える一つの「視座」となりえるものを考え選出した。各人の興味に従って手にとってもらいたい。

 

<まずは多様な「老い」のかたちを知る>

「老いのかたち」は如何に多様であるのか?以下の文献は、それぞれの立場からこの問いに対する答えを与えてくれる。これらの文献に示されているのは、それぞれの著者自身によって描かれた一つの「老人」や「老いのかたち」である。

 1.青柳まちこ【編】 2004 『老いの人類学』 世界思想社

日常的に外国人と接していない限り、自文化以外の「老人」の姿を見つめることは、なかなか難しい。つまり、多様な「老いのかたち」を知るためには、われわ れの「老人」に対する固定観念を揺さぶる「努力」が必要である。本書は9人の研究者によって様々な社会の「老人」が描かれている。内容としては大きく3部 に別けることが出来る。1部では、敬老精神に満ちた文化を生きる「老人」が描かれており、2部では、植民地化の中で、激しい変化を蒙ることになったオース トラリアのアボリジニとカナダのイヌイトの「老人」が描かれている。そして3部では西欧型近代社会における「老人」が描かれている。

 

 2.宮本常一 1971 『忘れられた日本人』 岩波書店

本書は、昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者が、日本の常民文化を築き支えてきた伝承者としての「老人」がどの ような環境で生きてきたかを、彼ら自身の語るライフヒストリーを交えて生き生きと描いた一冊。あとがきの中で、著者は「これらの文章ははじめ、伝承者とし ての老人の姿を書いてみたいと思って書き始めたのであるが、途中から、いま老人になっている人々が、その若い時代にどのような環境をどのように生きてきた かを書いてみようと思うようになった。それは単なる回顧としてではなく、現在につながる問題として、老人たちの果たしてきた役割を考えて見たくなったから である。」と述べている。

 

 3.野本寛一 2000 『庶民列伝』 白水社

昭和50年度版の、『忘れられた日本人』と言える一冊。(白水社から出されたのは再販である。)広い領域と多様な地形要素をもつ静岡県において、伝統的職 業にたずさわる住民との語らいの中から生まれた本書は、読物としての高い格調と「民俗の心」を伝えてやまぬ面白さをもつ。宮本常一のそれにくらべて、静岡 県という限られたフィールドではあるが、そこにある生の「老人」を捉えようという著者の姿勢を一貫して読み取ることが出来る。

 

<更に「老い」への理解を深める>

Iの文献を読むことで、多様な「老いのかたち」をみた後お勧めするのが以下の文献である。それぞれの視点から、「老い」への思索を更に深めてもらいたい。

4.片多順 1981 『老人と文化ー老年人類学入門』 垣内出版

1980年代まで、「老い」に関する文化人類学的な研究は一部に限られていた。それは、文化人類学者たちが彼らのフィールドにおいて、「老人」を長い間よ きインフォーマントとしながらも、彼ら自身を研究の対象として扱わなかったからである。では、人類学者はなぜ、「老人」に取り組まなかったのか。その理由 の一つとして、著者は西欧近代的視点から規定される「老人」がフィールドにはいなかったという点を指摘している。それでは、一体彼らのフィールドにおいて 「老人」とは誰であったのか、「老人」を規定する要因とは何か。こうした問いに対して、著者は、それぞれの社会・文化には老人を規定する「文化的老人線」 があり、老人の文化が存在するという立場から、それぞれの社会や文化の「老人」の多様性を浮き彫りにしている。「老い」の一つの文化的な視点を考えるため の一冊といえる。

 

 5. シモンヌ・ド・ボーヴォワール 1972 『老い(上)(下)』 人文書院

「老い」に関心がある人なら、おそらく知っているであろう、いわずと知れた「古典」である。当時「老人」はほとんど「老人」と同様に扱われることが多かっ た中で、「老人」と「病人」は何が違うのか、西欧社会において「老い」とは何であるのか等について、向き合っている。自己の「老い」への考えをもう一度問 い直すための一冊といえる。

 

 6.山折哲雄 1984 『神から翁へ』 青土社

折口信夫が、「老人」の持つ文化の表象として、翁のイメージを提示したのは有名である。翁はマレビトであることから、祭りに望んで翁が出現する必然性を説 いたのである。折口の重視した祭りは、秋から冬、そして冬から春にかけて行われるものが中心で、そのとき来訪神が家の主人に長寿と健康をあたえてくれる。 これに対し山折は、翁を救い主と捉えている。日本の宗教思想にこめられた老翁のテーマに対して大きな成果を挙げている一冊。鎌田東二の『翁童論:子供と老 人の精神誌』もお勧め。

 

 7.鷲田清一 2003 『老いの空白ー生きる思想』 弘文堂

「老い」は空白のままなのではないか―人間が現在まで経験したことのない未曾有の老年期の延長によって、「老い」は空白になっている。こうした 観点から、著者は「老い」に関してさまざまな考察を行っている。現象学という視点に立ち、自己の「老い」の経験ともつき合わせながら論じた一冊。

 

<「老い」の否定的なイメージとの戦い>

 

先述したように、「老い」そのものに良し悪しはない。それは単なる「現象」である。しかしながら、現在「老い」を考えるとき、否定的なイメージを持 つ人は少なくない。以下に挙げる文献は、それぞれの著者がさまざまな立場から「老い」の否定的なイメージへの問題提起と回避への挑戦を試みたものである。

 8.Palmore, Erdman B. 1990 Ageism: Negative and Positive. New York: Springer Publishing.

(奥山正司・秋葉聡・片多順・松村直美(訳) 1995 『エイジズム:優遇と偏見・差別』 法政大学出版)

エイジズムという言葉をご存知だろうか。エイジズムとは、ロバート・バトラーが初めて用いた語である。彼によるとエイジズムとは、「高齢者が高齢者である ために、彼らに対して抱く、体系的なステレオタイプと差別の課程」(Butler:1987)を指す。これに対して、本書の著者であるアードマン・パルモ アは「ある年齢集団に対する、否定的ないし、肯定的偏見もしくは差別」(Palmore:1990)とし、本書ではアメリカ社会のエイジズムについて厳し く指摘している。否定的のみならず、肯定的偏見までもが、エイジズムの一つであるというパルモアの見方は、ある意味衝撃的である。

 

 9.宮田登 1996 『子供と老人の民俗』 白水社

 

日本の伝統社会における「老い」の意味と価値を再評価し、現代日本社会へ一石を投じた一冊。文化人類学と同様に、柳田國男以降「常民」の文化を「書 きとめる」ことを使命とした民俗学において、「古老」が果たしてきた役割は大きい。それではそこで語られる「老人の民俗」とは一体何であるのか。そこにい る「老人」は、現代社会が問題として扱う「老人」とはどう違うのだろうかについて考えることができる。

 10.天野正子 1999 『老いの近代』 岩波書店

「老い」への視点は当然時代とともに変化する。近代教育は、「老人」から「経験知」を奪い、「子供」を奪い、産業の近代化は、「老人」を生業からふるい落 とした。それでは「老人」の入る「席」は一体どこに行ったのか。現代の「老い」とはなにか。本書は、老いの近代史、「昭和」の老い、人と老いの出会いとい う3部構成になっており、「老い」をあるがままにみつめる静かな一つの眼差しがそこにはある。

(後藤晴子)


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